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至福と苦痛の七分間

和氣元

 まだ麻雀も知らぬ小学五年のころ、四人組のガキどもはいつも一緒でした。

「ジャラ」は質屋の長男で、親父さんが笑いながら言うには、逆子で産まれそうになったので、これはまずいと親父さんは、手元にあった何枚かの小銭を掌に入れ、祈禱がわりにじゃらじゃらと小銭を鳴らして拝んだところ、ジャラは産道から出てきた足を急に引っ込め、ぬっと手を出したそうです。

 さすがに質屋の倅だけあって、ジャラは金勘定にはずばぬけた才覚を誇っていました。「百円を誰かに貸して、十日で一割の利息を取ったら、いつ二百円になるか」「百円を貸してひと月後に利息を五十円とるには、いくらの利息が必要か」などといったことを、瞬時に、苦もなく計算できました。まるですべての数字が頭に入っているようで、算数となれば他のガキどもはジャラをあてにしていました。

「アリ」は五人兄妹の末っ子で、親父さんはほとんど家にいないようでしたが、ある縁日で、通りに夜店が並んでいるのを、「父ちゃんが並びを決めてるんだ」と「並び」という専門用語を使って得意気に言ったことがありました。それがテキヤという、全国各地の縁日を取り仕切る商売であるのを知るのは、だいぶ後のことになります。

 アリの親父さんは体に一か所、入れ墨を施していたそうです。アリが一緒に風呂に入ったとき、「チンポコの先に蟻の絵が見えた」ので、「これなに?」と聞いたところ、「子どもは知らんでいい」と怒られたことがありました。何か秘密めいた感じがして、アリは「絶対内緒だぞ」と何度も念を押しながら声を潜めて言ったことから、綽名が「アリ」になったというわけです。

 これも大人になって知ったことですが、入れ墨を自慢気に見せびらかすのはその道のオシロウトサンで、花札の絵四十八枚をすべて彫り込む猛者はともかく、「亀頭に一匹の蟻を彫る」のが男の中の男なのだそうです。なぜなら施術の際に痛みをこらえることはもちろん、墨を入れる際もずっと勃起し続けていなければならず、これは並大抵なことではありません。さらには、限られた人しか知らない特別な彫り物がこれでした。そういえばアリは、久しぶりに親父さんが家に帰ると、「母ちゃんが早く寝ろと怒るんだ」とぼやいていました。

「コチ」は親父さんが国鉄職員で、官舎に住む次男坊でした。親父さんに似て律儀で、家からこっそり持ち出してきた懐中時計を使い、何から何まで時間を計るのに夢中になっていました。綽名は、時計の秒針「コチコチ」からきており、ある列車の蒸気機関車が終点の駅で客車と切り離し、側線を利用して再び客車と連結して先頭になるのにどのくらい時間がかかったか、同じ列車の一か月分の時間を計って夏休みの宿題でグラフにしたものの、担任から「それってそんなに大事なのか」と不思議がられたこともありました。

コチの特技は放屁でした。それもただの屁ではなく、法螺貝を吹きながら同じ音色と長さで同時に放つことができたのです。おおよそ二秒ほどの長さで、懐中時計を使いながら練習したと言っていました。ガキどもは「学芸会でやってみろよ」と囃し立てたりしましたが、コチはすでに「ドレミをひりわける」次の芸を試しているようでした。

今にして思えば、コチは自分をわざと低く見せることで、存在感を示す性格でした。現代では「ありのまま」が大はやりですが、ありのままでハナから飛びぬけている人はまあ百人に一人いるかどうかで、ちょっと考えてみれば、大抵は並以上の努力を重ねてようやく自分を高く見せることができるとわかるはずです。ありのままは聞こえがいいだけで、怠慢を正当化する勘違いに過ぎません。コチのわざと低く見せるやりかたは第三の道を探るもので、後になって「この手があったか」と充分に頷くことができました。

「ゲン」は妹が二人いる長男でした。親父はセメントタンカーの船長をしていたので、アリの親父さんと同様めったに家におらず、しかも女ばかりが幅を利かせている家は、どうもやりきれない思いを強くしていたのだと思います。

これといった取り柄もないゲンは、綽名で呼ばれることもなく、どうしてこのガキどもに加えてもらえたのかわかりませんが、何となくコチとウマが合っていたせいか、四人組の一人としてお呼びがかかったといえます。

ゲンは現実を直視せず、よくいえば夢想、ありきたりにいうなら、ありもしない世間を作り上げ、嘘八百の世界に身を寄せるのを好む性格だったようです。嘘は一度や二度ではなく、何べんも重ねてついているうちに、それが真実の世界となります。このことがゲンの性分に合っているようでした。

ある日、四人組が川っぷちの細道を歩いていると、アリが「おい、センズリって知ってっか?」とジャラに聞いてきました。四人組の序列はアリ、ジャラ、コチ、ゲンの順で、アリは親分格です。ジャラは「知らねえよ、オメエは?」とコチに振りました。コチはチラッとゲンを見ながら「オレも知らねえ」とアリに答えました。

「じゃあ、みんなでやってみっか」

号令一下、アリはズボンの前ボタンをはずしました。他のガキどももアリに言われたように小さなモノを引っ張り出します。

「オメエら、ションベンするとき、人差し指と中指の間にコレを挟むだろ。そうじゃねえんだ、上を親指で、他の指を下にして、ちょっとしごいてみろ」

「しごく」という動詞の意味を知らないガキどもが「どうすんだよ」という顔をしてアリのほうを見ると、アリは手をピストンのように動かします。しばらくすると真似をしていたジャラが「ウッ」という声を出すと、先っちょから白い汁のようなものが出てきました。コチ、ゲン、アリも同じように続いていきます。時間を計っていたコチは「オレが終わったのはジャラから四秒後だった」とつぶやきました。

翌日も同じ時間に同じ場所で同じことを繰り返しましたが、アリはこれだけではおもしろくないと思ったか、「オメエら一緒に出すようにしようぜ」と、新たなやりかたを持ち掛けてきました。それは「一、二、三、とオレが声を掛けるから、七でみんな同時に出るよう、明日までに練習してこい」というもので、皆がアリに併せて声を出すこともそこで決まりました。

てんでんが好き勝手にやる分には得がたいひと時ともいえましたが、ある決まりに則ってやるにはそれなりの苦痛も伴います。一週間後、はじめはうまくいかなかったものの、ガキどもが次第にそれぞれツボを知り、塩梅を会得したこともあって、「七!」と声をあわせたとたん、四人組は一斉に「ウッ」となりました。

「おう、やったな」とアリが言いましたが、他のガキどもと同様、あまり嬉しそうな顔をしませんでした。思えばこの一週間というもの、一日三回は「声を出しながら七で出す練習」を続けていたので、ジャラの「でも、ちょっとくたびれた」というのが実感だったのでしょう。確かにゲンにとっても、これまで経験したことのない、ちょっとどころか、体の芯からくる、駆けっこや鉄棒など、運動した後とはまったく違う疲労感を味わっていました。

それから二日目も三日目も同じことが続き、同じように「ウッ」を合わせることができました。四日目、「明日もやるのか」とジャラ。「またやりたくなったらやろうぜ」とアリ。とりあえず翌日が中止と決まると、コチはゲンにほっとした顔を見せました。

この十日間でゲンが学んだこと、それは「ウッ」が癖になりそうなこと、やりすぎると腰が抜けるほどくたびれること、こういうことは、他人にあれこれ言われてやるものではないことでした。

それからしばらくたって、コチが引っ越しをしました。それを聞いてアリは別の四人組をつくり、ゲンも仲間から外れました。おそらくあの日々は母親や学校の担任にはバレていたのでしょうが、だれも何も言わず、放っておいてくれました。黙って見過ごすことの大切さを、懐かしい思い出とともに噛みしめています。

白水社、編集者

 
 

おとなはみんな子どもだった

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