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15の春の記憶   井上 元

環境緑化新聞 編集・発行人

十五歳の頃、私は何をしていたのだろうか。小学校を終え、中・高校生するまでのことを書いてみる。

そうだなあ、彼女と出会ったきっかけは、母が交通事故で入院したことであった。母子家庭でただ一人の働き手を失い残った子ら3人は小・中学生だった。姉が中三、弟の私が中一、弟はまだ小学生だった。子どもたち3人は一致団結して、この事態を乗り越えていく必要があった。指令長官は姉である。部下となった弟2人には厳しい戒律が課せられることになった。

朝、起床の目覚ましが響くと、まず自分の寝ていた布団を畳んで押し入れに押し込む。これが1日のスタートだ。

頃合いもよく、ラジオのラジオ体操が始まる。小さな裏庭に出て。顔を見合わせながら運動だ。終わると玄関前の掃除だ。姉は炊事兵となってご飯炊き、味噌汁つくりに専心する。弟2人は部屋中の障子にはたきをかけ、箒を持つと畳を掃く。廊下の板間を雑巾がけもある。こうした一連の仕事を終えてはじめて、朝食にありつける。

これでおわりではない。私は自転車にまたがり、近くの新聞配達店に寄る。30軒ほどの朝刊を受け取って、家々に投げ込んでいく。近所の小父さんが不憫に思ったのかどうか、仕事を世話してくれたのである。 新聞配りのラストが道立病院だった。市内から離れた奥にあった。7月の夏の朝の空気は澄んでいて、なぜか気持ちも晴れやかになった。

病院の窓が見えると、母が2階の窓から乗り出し手を振った。病室に入ると新聞を手渡し、「みんな変わりなく元気にしてるよ」と型どおりの報告をする。

そんな毎日のある日、少女と出会った。同じ年頃であろう。髪を三つ編みにして両方の肩に流したおさげだ。パジャマではなく浴衣を着ていた。顔が白い。驚くほど白い。お前の肌は雪のように白い、といった外国の詩人の詩の一節を思い浮かべたぐらいだった。太陽の陽を浴びず室内に閉じこもっているせいなのか。右腕に刷毛でサッと剥いだようなシミがあった。肌が白いだけに実に目立った。

ともあれ、思いもかけない場所で見慣れぬ女性を目撃したことで、私はあわてた。「こんにちわ」といった声を出すこともなく、すれ違っただけだった。

母からの話によれば、最近隣町から引っ越してきた一家4人姉妹の3女ということだった。当時、肺結核が話題になっていて、私の父親も喉頭結核でなくなっていた。彼女の入院は脳膜炎ということだった。どのような病気かも知らず、14歳の夏は終わった。

母も家に戻った。以前の日常が戻った。すべて世は事もなしである。

夏休みも終わり、学校が始まった。学校に行くと、ちょっと騒がしい。隣のクラスに転校生が来たというのだ。胸騒ぎがした。行くとやはり例の白い顔の少女だった。覗いてみるとやはり腕にパピヨンのある彼女だった。最後席に静かに座っていた。セーラー服姿を初めて見た。ただ1時間目の授業が終わると、病院に戻った。学校からの配慮で、出席を確認出来たら単位をあげる。そうして無事卒業にこぎつけた。後年、彼女は「留年だけはしたくなかったから」と言った。そのまま高校生に進み、卒業した。他の生徒とは変わらないほど元気になり、修学旅行もみんなと一緒だった。

肝心の私は元気ではなかった。鬱々とした学生生活を送っていた。生意気にも一人の同級生を好きになっていたからだ。片思いでもあったからつらい日々だった。相手と目があうと微笑んでくれるような気がしてうろたえた。満足に顔も見ることができない。告白ができないのだからいっぽう通行である。

それでも、少しでも彼女の近くに行こうと決め、彼女が卓球部に入ると、そのあとを追って入部、さらにブラスバンド部にも移るとそのあとを追って入部する。彼女はクラリネットを最前列で吹いていた。私は小バスを与えられ、ほとんどメロディはなく、ブオブオと伴奏で盛り上げ役だった。

問題はそこになかった。私を悩ませたのは、彼女が男子同級生にとてもモテるということだった。何しろ愛嬌がある。憂いも満点だ。とてつもない美人ではないが、どういうわけか男心をそそるのである。私は、心の中で「電動磁石の女」とよんでいた。近づくと強い磁力で引っ張り込まれ吞み込まれてしまう。そんな感じなのだ。

私の中高の6年間は彼女の交友録でうずまっている。彼女が同級生と付き合っているとの同級生と付き合っていると聞くと、なぜか胸の内がカーと熱くなる。次いで別れたと聞けの事実を目撃すると、胸の内は切なく、食事も咽喉を通らない感じなのだ。恐怖と安堵の気持ちがそのたびに襲ってきて、勉学も運動もおろそかになって、高校生活も虚しく終わった。

卒業後、そうした思いを直接彼女にぶつけてみたのだが「ちっとも気が付きませんでした」との短い言葉で関係は終わった。そもそも、最初から関係はなかったのである。強烈な磁力の中で、喘ぎ悶えていたのはわれ一人芝居だったということになる。

十五歳時の私は決断した。もし結婚を意識するにしてもあまりにモテる女性は警戒して当たるのが肝要である。ハートがやさしくて決して浮気をせず一途な女性がいい。そう結論した。それが高校を卒業した時の私の信念となった。大学を卒業した時「白い顔の女」と結婚した。出会ってから今年で六十年になる。今では蝶の入れ墨にも似た痣も見えなくなった。肌がパピヨン色に追いついたのである。えくぼも跡形もない。皴の中に埋まってしまってる。

 
 

おとなはみんな子どもだった

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