おとなはみんな子どもだった
私たちは遊んで遊んで遊びました。遊びすぎて死ななかったことが不思議なくらい!
今本義子 これは、『長くつ下のピッピ』、『やかまし村』など、愉快な作品で世界中に愛されたスウェーデンの作家、リンドグレーンが自身の子供時代について語った言葉です。私はこれを読んだとき、「おぉ、リンドグレーン...
いつも戦っていた
亀井雅彦 そういわれてみれば、私も子供だった。それはその筈だが、あまり記憶がない。前世?の事も胎内のこともまったく記憶にないのはまぁ良いとしても、あまり子供の頃の記憶が残っていない。あってもかなり断片的であって、まとまっ...
そこ退けそこのけ問題児が通る
橋口正 現在、人口22万を数える大阪府寝屋川市だが、私が小学一年の昭和35年当時は5万人ばかりで、文化の香り乏しき片田舎だった。 自宅から小学校までは2キロ近くあったが、駅近くの集落を出ると、学校までは水田が広がるば...
虹
A rainbow William Wordsworth My heart leaps Up when I...
地下に輝く黄金の上で
成田守正 地下に輝く黄金の上で育った。滅すればそこへ帰る――と口には出さないものの、内心では思ってきた。三歳から十三歳まで宮城県の大谷鉱...
母のこと、そしてあの時
藍野裕之 4歳ちがいの弟とお袋を病院に連れて行った。腰は曲がり、杖を突いて歩くのにも苦労していたが、まだ手を引くほどではなかった。駐車場でお袋をおろし、前を歩くお袋にふたりでついて行った。「ずいぶん小さくな...
トンビやウグイスがいた、あの日
草野頼子 六十年ほど前、まだ私が幼かったころ、好天の青空にはときおりトンビが滑空していました。春先になると庭の木にウグイスがやってきて、ケキョケキョと拙か...
アキラの豪速球
藍野裕之 わたしは東京・池袋に生まれた。西口をしばらく歩いて立教大学の近くの四畳半のアパートに住んでいたらしい。千葉の九十九里から東京に出てきた親父は、池袋で鳶になった。「三越の工事を請け負っ...