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季語道楽(41)一寸寄り道歳時記・季語集  坂崎重盛

あるテーマに特化した歳時記・季語集を巡ってきたが、そろそろ、いわゆるオーソドックスな歳時記の世界を訪ねて、大団円としたい。と、思ったすぐあとに(まてよ、いわゆる“食”をテーマとした歳時記にふれてなかったな)と。気がついた。

歳時記の本丸に攻め入る前に、行きがけの駄賃、食関連の歳時記をサラッと撫でてゆきたい。本棚を眺める。おやっ、こんな文庫本が目に入ってしまった。ちょっとだけ寄り道をさせていただく。『山の歳時記』(岡田日郎・編 昭和五十年 現代教養文庫)。

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

つい先日、八月十日は祝日で、これが「山の日」だったという。そんな祝日なんて、あったんだぁ、という思いがするが2016年1月の改正祝日法で新設されたという。本来は八月十一日と決まっていたのだが、オリンピックの都合で十日となったという。

なんか、せっかく新たに設けられたのに、日をズラされたりして気の毒な気がしてくる「山の日」。そんなことはともかく『山の俳句歳時記』を開いてみる。序文は水原秋桜子、タイトルには「清浄感に満ちた俳句歳時記」。引用、紹介する。

大正時代から昭和時代の初めにかけて、真に山を愛し、名作

を多く残したのは、前田普羅氏一人だけだと思うが、現代では

山を愛して四季の別なく登山をくり返している俳句作家はおそ

らく十指を屈するほどあるだろう。

とし、

本書の著者岡田日郎君とその師福田蓼汀君とは、そういう人

びとの中にあっても特に清浄な感じを人に与える作家だと

思う。

この秋桜子の「特に清浄な感じ」という言葉が、この『山の俳句歳時記』にふさわしい。山に接し、山に登る人のイメージが禁欲的、かつロマンティズムを感じさせるのだ。

若いころ、友人たちを見ていて、大きく二つのタイプに分かれることを知った。夏休みなどのとき、海へ遊びに行く派か、山へ行く派か。「海へ行く派」はどちらかというと軟派系というか、享楽的で海岸で女の子たちと知り合い、青春を無駄に謳歌するといったタイプ。

一方、「山派」は海派の連中よりも勉強ができストイックで品行方正、しかもロマンチストという、海派からしたら付き合いにくいタイプ。身につけるファッションも海派は流行に敏感で、いわゆるオシャレ。対する山派は質実剛健、あるいは優等生的正統派。

われわれ下町育ちの悪たれどもは、圧倒的に海派が多く(たまには低い山に登ったりもしたが)、山派のロマンチストの雰囲気を陰で笑ったりしていた。

山派といえば、僕らが若いころ、戦後はやった山派の唄のいくつかを思い出す。

ダークダックスが歌ってヒットした「山男の歌」(恥ずかしい歌詞だ)。「アルプス一万尺」、うたごえ喫茶などでさかんに歌われた甘、あまな「山の娘ロザリア」。もう少し古いところでは「山の人気者」、「山小屋のともしび」などなど(歌の題名は記憶違いがあるかもしれません)。『山の俳句歳時記』を手にしていたら、ダメな我らが青春の日々を懐かしく思い出してしまった。

 

山派の、しかも山の俳句の世界は、そんなチャラチャラしたものではない。本格的な登山が厳しい姿勢を要求されるように、峻厳な山岳やその自然に対する人の句は凛としたものになる。

草刈が入りてかへらず登山径    前田普羅

髭白きまで山を攀ぢ何を得し    福田蓼汀

北アルプス七月おぼろ月夜かな   岡田日郎

水原秋桜子の序文にあるように、俳句界では、山の句といったら、まずは前田普羅であり、福田蓼汀は、この書の著者岡田日郎の師である。

著名な作家の句も拾ってみよう。

火の山の裾に夏帽振る別れ    高浜虚子

強力ののそりと昼寝より立てり  能村登四郎

念力のゆるめば死ぬる大暑かな  村上鬼城

夏山を統べて槍ヶ岳真蒼なり   水原秋桜子

夏の季題から拾ったが、もちろん植物や動物を読んだ句も収録されている。たとえば、高山植物といえば、まずこの「駒草」。

駒草に石なだれ山匂い立つ     河東碧梧桐

駒草に落石一つ渦の風わたる    高田貴霜

「日光黄菅(きすげ)」では、

日光黄菅とその名覚えてまた霧へ  加藤楸邨

きすげ野や暗き至仏は西の方    豊田みち子

小動物にも当然出会う。「沢蟹、山蟹」。

さびしさの極みの赤き蟹つまむ   石谷秀子

沢蟹の死を見てのぼる山淋し    平岩武一

「斑猫、道おしえ」。ハンミョウは美しい甲虫で、人の行く先をピョンピョンと飛ぶので「道おしえ」ともいう。

道おしへ我は墓場に行くにあらず  横山萬花

斑猫の飛びて馬籠の坂嶮し     所 山花

山の魚といったら「山女(やまめ)」と「岩魚(いわな)」だろう。

錆落とす山女魚なりけむ水の翳   篠田悌二郎

穂高真ッ向ふにして岩魚釣     石橋辰之助

こうして『山の歳時記』に収録の句を書き写していると、ちょっと、この都会の猛暑を忘れる気分になってくる。すでに記したように、この小歳時記の刊行は昭和五十年、このころはまだ一般の日本人が各地の山に強い関心を持ち、登山もブームの一つとして人気を保っていたのだろう。日本人の多くがロマンチストだったことの証かもしれない。

 

『山の歳時記』も、かなり特殊な歳時記だが、自然をテーマにしたものには、自分は入手しなかったが『海の歳時記』や『雲の歳時記』といった書を神保町で見かけた覚えがある。ジャンル別の歳時記のしんがりに『食の歳時記』の存在に軽くふれておこう。

歌人の塚本邦雄『味覚歳時記 木の実、草の実篇』(昭和五十九年 角川選書)。著者の名と繊細でリアルな装画に惹かれて、即入手したはずだが、残念ながら今回のテーマとは一致しない。確かに歳時記ではあるが、例句ではなく、短歌が掲げられているから。

であるから、内容の一部でも紹介することは差しひかえて、一人でひそかに豊潤な塚本ワールドを楽しむことにする。

こちらは、ちゃんとした句のある歳時記。箱入りながら文庫サイズの『味覚歳時記』(大野雑草子篇 1997年 博友社刊)。著者は一九三二年愛知県の生まれ。「ホトトギス」同人。俳句、俳句評論の他に陶芸や工芸の分野での活動もある。すでに紹介した『俳句外来語事典』の他、『俳句用語用例事典』のシリーズ(「味覚」「住居」「ファッション」「気象」「海洋」などと)を執筆。味覚歳時記 大野雑草子 編

 

夏の季語から自分の好きな食べ物をチェックしてゆく。「穴子」。

観能を中座してきし穴子めし    伊藤白潮

魚河岸の女等午後を穴子割く    大石よし子

「観能を中座」が初心者では、なかなかできませんね。歌舞伎も同様。こういうときの穴子めしはまた格別でしょうね。軽くビールかお銚子を一本つけたりして。

「烏賊(いか)」いきましょう。

沖漬けの烏賊は輪切りに地酒くむ  宮前苑子

この作者、女性ながら、かなりいける口ですね。頼もしいし、いかにも旨そう。

烏賊そうめんダイアカットの鉢に盛る 石川慶子

イカそうめんの透明感とダイアカットの器が涼しげ。すりおろした山葵でツルツルと。冷酒に合います。

烏賊干して出雲神話の古港     樹生まさゆき

旅先での一景でしょう。旅館の膳に乗ったら旅情はいやますことでしょう。

植物系もいってみよう。「胡瓜(きゅうり)揉み」。

好き嫌いなき子に育ち胡瓜もみ   嶋田麻耶子

胡瓜もむ旅の前夜はみなやさし   久保田慶子

胡瓜もみ母の酢加減想ひ出す    鈴木喜勝

胡瓜もみという食べ物のありようだろうか、平凡な日常を大切にする句が挙げられている。

︱︱と紹介していったらキリもない。ただ言えるのは、食べ物の句は読んでいて、嬉しくなってしまう句が少なくない。食は人間の幸の源泉であり、また、人と人を結びつけ、人への思いの縁しとなる。

 

もう一冊、歳時記を並べてある一番端に、いつのころからか屹立しているのが、いわゆる大歳時記サイズの『味覚の歳時記』(昭和六十一年 講談社刊)。美麗な写真満載、編は講談社ではあるが、執筆陣が俳人、歌人、詩人、ナチュラリスト、食評論家などを動員。

味覚の歳時記 編:講談社

味覚の歳時記 編:講談社

例句を多く挙げる歳時記というよりは、食の解説と写真で構成された図鑑の趣き。机の上で広げてページを来るのは楽しいが、とにかく手にするには重く、めったに利用することがない。

重厚長大の豪華歳時記も、つい買い揃えたくなるが、自分の趣味としては、巨木のしだれ桜のような豪勢な巻ではなく、小さな菫のように小体な歳時記や季寄せは、いっそう好ましく感じるものである。

 

さて次回からは、各一流出版社が、社の威信をかけて、あるいは俳人、俳句評論家が自らの誇りをかけて編集あるいは監修した、いわゆるオーソドックスな歳時記の揃い踏みを拝観することとしたい。いざ、いよいよ本丸へ。

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