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“10月14日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1932=昭和7年  「第一次満州開拓移民」一行はこの日ようやく目的地に辿り着いた。

満州東北端の佳木斯(ちゃむす)現在の中国・黒竜江省のジャムス市でアムール川=黒竜江の支流・松花江を下ったその先はすぐにロシアという<地の果て>だった。日本人の満州移民は日露戦争以後、農業移民を中心に行われていたがずさんな計画から襲撃や飢饉、病気などで悲惨な結末に終っていた。

抜本策として満州事変後、吉林軍顧問の東宮鉄男陸軍大尉は農業開拓だけでなく在郷軍人による「武装農民」による移民計画を立てた。治安維持と対ソ戦に備えての<一石二鳥>を狙った。関東軍参謀・石原莞爾と秋田県国民高等学校長・加藤完治らの協力で8月16日の閣議により9月1日から募集が開始された。10月4日、関東と東北から集まった416人は拓務省の<武装移民団>の先駆けとして東京駅を出発して神戸港から満洲へ向かった。東京を出て11日目、鉄道はまだ開通していなかったから哈爾浜(ハルビン)から先は松花江を下る船便だった。宿舎は穀物倉庫を応急修理しただけのバラックで地下1メートルまで凍る想像を絶する厳しい冬と強制立ち退きを怨む先住農民による襲撃が待っていた。

5年後に発行された『旅程と費用』(博文館・1937=昭和13年)には佳木斯の案内のなかに「満州開拓の第一歩が移民にあるところは云ふ迄もなく、我が移民史の第一ページを飾るものである」として2カ所の移民村を紹介している。
永寶鎮村=佳木斯の東南12邦里(約47キロ)、人口五百。入植以来数十回に亘り匪襲を受けたが村人の死闘に依り今は自給自足の平和郷になってゐる。白木造りの神社も建立され、学校も営まれ、草花も咲き、赤ん坊の泣き声も聞こえてゐる。
湖南営村=永寶鎮の西南方7邦里(約27キロ)、人口二百八十。ここも度々匪襲を受け、或る時は五十日間の永きに亘って昼夜を分かたず交戦するといふ悲慘事にも遭ったが今は永寶鎮と同様、平和な村となってゐる。

現地取材ではなく拓務省からの資料提供だろうから<平和な移民村>が誇張されている。さすがに「匪襲」は「強制立ち退きを怨む先住農民による襲撃」と紹介しておくが辺境の町からさらに歩いて1日以上もかかるとんでもない場所だった。

*1066年  フランスがイングランド南西部に攻め込んだ「ヘイスティングの戦い」が行われた。

軍船数百隻を仕立てたノルマンディー公ウィリアムがドーバー海峡を渡った。イングランドの地は「懺悔王」エドワード王=ハロルド1世が統治していたが死後、長男のハロルド2世が<勝手に世襲した>としてノルウェー王・ハーラル3世がハロルドの弟トスティとヨーク東方のスタンフォード・ブリッジに攻め込んだ。両方から攻められたハロルド2世軍はまず北上して9月25日にハーラル3世・トスティ連合軍を破るとすぐに反転してヘイスティングでこの日ウィリアム軍と対峙した。

歩兵中心のハロルド2世軍が初めは優勢だったが半数が騎兵の軍勢1万2千のウィリアム軍は退却すると見せかけて後退、追いかけて陣形が崩れたハロルド2世軍を馬で蹴散らして撃破した。連戦の疲れもあったとされるがハロルド2世は戦死した。ウィリアム軍はドーバー、カンタベリーも落してロンドンを陥落させ、12月25日にウェストミンスター寺院で「イングランド王ウィリアム1世」として戴冠しイギリス王室の開祖となった。イングランドは以降、外国軍よって征服されることはなかったのはご承知の通りだ。

ウィリアム1世は旧支配勢力の貴族を追放すると家臣のノルマン人に戦時での参戦を約束させて領地を与えイングランドの統治を完成させた。カンタベリー大司教の任命、国王裁判所による司法制度の整備、土地台帳、諸税の統一などでイングランドの封建制度を確立した。ところでウィリアム1世はフランス生まれフランス育ち。では英語もしゃべれたのかというと宮廷では「ノルマンなまりのフランス語」が使われた。それが時代とともに現地言葉と融合していまの英語になった。英語読みのウィリアムはフランス語読みではギョームなので別名「征服王ウィリアム」とか、父のノルマンディー公=ギョーム1世の後継者として「ギョーム2世」とも呼ばれる。

*1964年  アメリカの黒人平和運動家マーティン・ルーサー・キングがノーベル平和賞を受賞。

わが国では「私には夢がある(I have a Dream)」の名スピーチとキング牧師として知られる。黒人に対する法的差別の撤回や徹底した非暴力主義を訴え続け、ジョンソン大統領政権下の1964年7月2日に「公民権法」を制定させたが1968年4月4日に遊説中のテネシー州メンフィスで銃弾に倒れた。39歳だった。

生前の業績から誕生日に近い1月第3月曜日を「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デイ」として祝日になっている。誕生日が国民の祝日に制定されているのはコロンブス、ワシントン、リンカーンと合わせて4人目である。

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