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“10月18日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1867年  アラスカがロシアから購入先のアメリカに正式に引き渡された。

アラスカはベーリング海峡にその名が残るデンマークの探検家ベーリングが<再発見>したことで知られる。テキサス州の倍の面積を持つが大半が氷原や原生林などに覆われた未開の大地だった。ロシアはアザラシなどの狩猟や交易のために18世紀末から「露米会社」を設立して北太平洋からカリフォルニア沿岸まで広く進出していた。ところが乱獲による資源の枯渇や遠隔地で輸送費がかかりすぎるなどで採算割れが続いていた。

一方では1853年からのイギリスとのクリミヤ戦争による大幅な財政難を埋める必要に迫られたことでアラスカの売却を決めた。交渉先には戦争には中立だったアメリカが選ばれたが当時は南北戦争後の混乱期だったこともあり乗り気ではなかった。アメリカ側の窓口がリンカーン大統領の国務大臣のウイリアム・スワード(1801-1872)に代わるとロシア側の譲歩もあって1平方キロあたり5ドルの計720万ドルで交渉がようやくまとまった。

譲歩とは早い話<値引き>だったのだろうが、残念ながら最終売買価格しか残っていない。契約が成立して条約が締結されたのは3月30日、上院での批准が4月9日、所有権が正式に変更されたのが10月18日でアラスカ州ではこの日を記念日=「アラスカ・デー」としている。スワードはリンカーンを説き伏せて交渉に当たったが、交渉がまとまった当時の国民の評価は散々だった。「スワードの愚行」から「巨大な冷蔵庫を買った男」、「北極熊の庭園」とまで酷評された。それもあってスワードがまとめた英領バージン諸島やパナマの買収は上院での批准は見送られた。

評価が一変するのはスワードの死後である。金鉱の発見や原油、ガスなどの地下資源が大量に埋蔵されていることがわかった。さらに冷戦期には軍事上でも極めて重要な役割を果たした。現在71万人が住む49番目の州はお買い得もお買い得だった。それを当時は誰も予見できなかったわけで歴史のなりゆきはわからないものです!

*1889=明治22年  第一次伊藤内閣の外相・大隈重信の暗殺未遂事件が起きた。

国会から官邸に戻ろうとしていた大隈の乗った馬車に国家主義結社・玄洋社の社員で31歳の来島恒喜が手榴弾を投げつけ重傷を負わせた。直後に来島は短刀で喉を突いて自殺した。大隈が進めていた日本在住の外国人に対する裁判で外国人裁判官に日本国籍を取らせて担当させるという条約改正案への反対テロだった。

条約改正は安政年間から明治初年にかけて欧米諸国との間で結ばれた不平等条約を対等なものに改正することを目ざした。外国人犯罪へ日本の裁判権が及ばないことや関税の自主決定権がないなどが問題とされていた。外相の井上馨は「外国人裁判官」制度や鹿鳴館に代表される欧化政策が批判されて辞任、その後を受けて外相に就任した大隈はイギリスとの交渉を引き継いだが交渉していた草案が「ロンドン・タイムス紙」にすっぱ抜かれるといっせいに政府攻撃が始まった。とくに大審院への外人判事登用は<国辱もの>とまで酷評された。政府内部でも反対論が出て問題はさらに紛糾、新聞なども反対の論陣を連日繰り広げた矢先の受難だった。

大隈の手術はドイツ人医師のベルツなどの執刀で行われたが、右足は切断せざるを得なくなった。以後は義足となったが大隈は犯人について「爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は蛮勇であろうと何であろうと感心する。若い者はこせこせせず、天下を丸呑みにするほどの元気がなければだめだ」と語り、来島の遺族に見舞金を出し命日には墓前への参拝を欠かさなかったと伝えられる。しかしこのけがにより外相は辞職、条約改正交渉は再び挫折に追い込まれた。

大隈はご存じ早稲田の前身・東京専門学校の創設者で、のちに総長をつとめた。早稲田キャンパスに立つガウン姿の銅像は大隈講堂を向いているが右足の義足を支えるために杖をついている。大学創立50周年と大隈の没後10回忌を記念して建てられた。指を丸めてお金を表すのは大隈が講演でしょっちゅう使って広まったとか。講演での逸話は「あるんである」という口調、ときには「あるんであるんである」と強調した。その人柄もあって1922=大正11年1月17日に日比谷公園で行われた未曾有の「国民葬」に30万人以上が参列、沿道には多数の市民がつめかけて別れを惜しんだ。

*1958=昭和33年  「フラフープ」が発売され1ヶ月で80万本を売る大ブームに。

プラスチックパイプを曲げただけの単純な構造だったこともありすぐに<模造品>が登場した。そのなかには粗悪品も混じっていたため破損により目などをけがする事故や、腰や首など体を痛めたという報道が相次いだことで学校から締め出される例も出た。
この年流行したのはこのフラフープをはじめ、サックドレス、ロカビリー、電化、ミステリー、才女、8ミリなどに「ブーム」が付いた。ことばのほうは圧力団体、いかす、いやーな感じ、神風タクシー、団地族、低音の魅力、ながら族、ハイティーン、ベッドタウン・・・。これをご記憶かどうかが「団塊の世代」以前か以後かの<リトマス試験紙>です。

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