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“4月14日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1912年  アメリカへの処女航海に向かうイギリスの豪華客船タイタニック号が氷山に衝突した。

乗客・乗員2200人以上を乗せてイギリスのサウサンプトン港の専用桟橋を10日に出港した。フランス・シェルブール、アイルランド・クイーンズタウンに寄港して一路ニューヨークをめざしていた。北大西洋ニューファンドランド島沖で氷山に衝突したのは午後11時40分で、衝突35分後の15日0時15分に救難信号を発信した。

同じ頃救命ボートを下ろし始めたがもともと定員の半分以下しか用意されていなかったのと操作方法に不慣れで途中で落下転覆したものもあり、1,500人以上が船に残されたまま、同2時20分、タイタニック号は二つに折れて海中に没した。

事故当時は月のない<星月夜>で海は凪いでいたが、氷山が漂うこの海域の低水温が落水者の命をたちまち奪い、数時間後に救援に駆け付けた他船も生存者を見つけることは出来なかった。死者・行方不明者数は、乗客・乗員合わせて1,513人、1,490人、1,517人とさまざまな説があるが、それは実際の乗船者数が確定できないからだ。

船底の二重構造や防水隔壁など最新設備とされたものが一切役に立たず、キャッチフレーズだった不沈伝説や安全神話も雲散した。この世界最悪の海難事故の原因は、操船ミス説からはじまって、保険金目当て偽装説までさまざまあるが、しいてあげるならやはり安全過信であろう。まさか起こるはずがないことが実際に起きた。

タイタニック号をめぐっては多くの実話、小説が書かれ映画にもなった。こう書く私自身も多くの<タイタニックもの>にはまり続けたひとりである。
クライブ・カッスラー『レイズ・ザ・タイタニック』=邦題:タイタニックを引き揚げろ。
D・A・スタインウッド『エヴァ・ライカーの記憶』、他にもいくつものノンフィクション。
映画『タイタニック』もロードショーを見に行きました。ジェームス・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット主演でアカデミー賞をとった話題作でした。

余談ながら<タイタニック沈没100周年>でその「復刻船・タイタニック2号」がオーストリアの資産家によって建造されるとして話題になっている。そっくりなのは外見や内装などで安全航行のために最新技術がつぎ込まれるそうで「救命艇も定員以上に用意されているので安心です」という。そりゃそうだろうけど。

*1865年  アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンが暗殺された。

折から南北戦争の最末期、霧雨のそぼ降る肌寒い夜に事件は起きた。午後9時過ぎにメアリー夫人らと馬車でワシントン市内のフォード劇場に到着、ボックス席で観劇中の10時前、背後から近付いた男に隠し持ったピストルで至近距離から後頭部を撃たれた。大統領は劇場と通りを挟んだ民家に運ばれたが翌朝7時過ぎに息を引き取った。56歳だった。

犯人は売れない俳優の通称ウィルことジョン・ウィルクス・ブース。有名なシェイクスピア役者だった父の次男として生まれた。兄も父と同じシェイクスピア劇で<演劇界の貴公子>と呼ばれる名優でリンカーンの息子のロバート・リンカーンをたまたま居合わせて列車事故から救ったことでさらに有名になった。

弟のウィルは俳優ではあったがそれほどでもなく、南北戦争の結果に不満を持つ南部連合のシンパだったとされる。犯行当時は27歳、劇場から逃げる前にステージに駆け上がり「専制者はかくの如し」とか「これで南部の報復は果たされた」と叫んだあと馬に乗って逃走。26日に潜伏していた倉庫が騎兵隊によって急襲されて死亡した。

リンカーンは「奴隷解放の父」として、また「人民の人民による人民のための政治」などの名スピーチで知られるがはじめて暗殺されたアメリカ大統領となった。

*1929年  世界3大自動車レースのひとつ第1回モナコグランプリ=GPが始まった。

第二次世界大戦での中断はあったが1950年からは「F1世界選手権」としてレースが行われている。モナコGPは、イギリスGP、イタリアGP、ベルギーGPと転戦するヨーロッパシリーズのひとつで、発足時から同じコースで開催され続けているのはここのみだそうな。
ちなみに「世界3大自動車レース」のあと二つはアメリカの「インディ500」とフランスの「ル・マン24時間耐久レース」である。

レース会場は、モナコ公国の地中海沿いにあるモンテカルロ市街地の公道コースで行われることで有名。モナコ大公をはじめとする王室メンバーの観覧席があるため授賞式でのシャンパンファイトは厳禁とか。人口3万人の小国はヨーロッパ有数の高級リゾートでもあるが、レースのためにバカンスをとるF1ファンも多く、期間中は20万人以上にふくれ上がる。まさに<国家的観光イベント>だ。

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