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“12月8日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1941=昭和16年  太平洋戦争の始まりとなるハワイ真珠湾攻撃が決行された。

午前6時過ぎ、俳人高浜虚子は電話のベルで目を覚ました。出入りのマッサージ師からの電話で用件は「何か特別ニュースがあるそうだからラジオをつけておきなさい」だった。昨夜も彼に揉んでもらって床に就いたがその後どこかで情報をつかんだのか。虚子は早速寝床から起きてスイッチを入れるとラジオ体操の声が響いていた。洗面所で顔を洗っていると「臨時ニュースを申上げます」とアナウンサーの緊張した声が流れてきた。

「大本営陸海軍報道部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」そしてまた「繰り返します」と同じ内容を続けた。

虚子は放送を聞きながらしばらく立ち尽くした。何とも得体の知れない緊張と感動が全身を走った。ひょっとしたらそういう時が来るかもしれないとかねてから覚悟はしていたが、この発表でいきなり<その時>が来た。虚子はいつもの通り風呂に入り朝食の卓に就いた。その日は10時までに東京のホトギス発行所へ行かなければならない用事があったので午前9時3分鎌倉駅発の電車で上京した。

発行所は丸ビルの7階723号にあった。何組かの来客があり、自身でも舞台を踏むなど打ちこんでいる能の謡本の打ち合わせに丸の内会館に行った。用事が済みエレベーターで階下に降りるとちょうどこれからラジオが詔勅を放送するという。大勢の人が集まっており皆直立不動で首を垂れている。

同じ日の朝、自宅にいた山口青邨は臨時ニュースを聞かずに家を出た。出勤電車に揺られていると誰が手に入れたのか1枚の号外が回されてきた。それを何の気なしに見ると「帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と出ていたので驚いた。心臓が激しく鼓動を打ち始めた。<やった、やった>という感激とも戦慄とも形容できない稲妻のようなものが背筋から後頭部に走った。

青邨は東京帝国大学工学部の教授だった。研究室に入ると助手や学生がいたので「やったなあ」と声をかけると「えらいですね、大したものですね」と興奮しながら戦果をたたえる声が返ってきた。そのうち昼時間になって急ぎ足で大学前の「パラダイス」という洋食屋へ行った。行きつけの店だが学生がいっぱい入っていていつもの4、5倍はいるようだ。

ニュースが始まった。大戦の詔勅、東条首相の演説が続いたのでその間、食べかけたランチの手を止めた。学生たちもフォークやコーヒー茶碗を置いたからシーンとなった。

「大本営海軍部発表。一、帝国海軍は本八日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対する決死的大奇襲作戦に成功せり。二、帝国海軍は本八日未明上海において英国砲艦ペテレルを撃沈せり、米国砲艦ウェークは同時刻我に降伏せり。三、帝国海軍は本八日未明シンガポールを爆撃し大なる戦果を収めたり。四、帝国海軍は本八日早朝ダバオ、ウェーク、グアムの敵軍事施設を爆撃、マレー半島に奇襲上陸せり」と戦況を放送した。

ニュースが終わってからも青邨はぼんやりしていた。気がつくと学生たちはすっかり減っていた。「決死的大奇襲作戦に成功せり」という放送が耳に残った。「日本の海軍はすごい」と思った。

虚子は夕刻から句会「笹鳴会」に出席した。句会には大詔を拝したという出句が多かった。会が終わって新潟から出てきた高野素十と一緒に鎌倉へ帰った。新聞売場には2列の行列ができて争うように夕刊を買っていた。日が暮れて町は灯火管制で真っ暗で雨が降っていた。この日、句会で虚子が作ったのは次の3句だった。

  息白く新聞買うと犇(ひし)めけり
  外套の人息白くほゝゑめる
  懐手出して目ばたきラジオ聴く

戦争勃発という大事件に遭遇しても虚子は自分のペースを崩さなかった。虚子はそういう人だったのだろう。

一方の青邨は研究室に戻っても一日中落ち着かなかった。夕方、家に帰ると警戒管制で灯は暗くなっていた。敵の飛行機が帝都を脅かさない筈はない。これからどうなってゆくかまったく見当がつかなかった。もし、この戦争に敗れることになったら日本はどうなるか、そういう不安と杞憂が湧いてきた。それさえ今日一日の輝かしい戦勝報告が吹き飛ばした。虚子と違って青邨は句作する気にはなれず灯火管制の暗黒を見続けた。

この日がこのあと3年8か月も続く暗い日々の始まりだったが、初日のラジオからの開戦を知った国民は狂気せんばかりに喜んだ。思えば明治以来、戦争は常に<海外>でのできごとだった。中国であり、満州であり、朝鮮だった。国民はハワイを空襲した、マレー半島に奇襲上陸したと言われても戦争の実相は分からなかった。戦果を発表した海軍の平出英夫大佐は声も良かったので一躍国民的スターになった。実際には国を滅ぼす大戦争を起こした日、<海の向こうの戦争>をあおるようにラジオは終日軍歌を流し続けた。

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