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池内 紀の旅みやげ(31)四つ割りの南無阿弥陀佛ーー岐阜県東白川村

大きな石に「南無阿弥陀佛」と太い字が彫りこんである。いわゆる「名号碑」であって全国にごまんとあるだろう。しかし、よく見ると石のまん中に上から下へ筋が走っている。石がタテに割れたぐあいだが、横にまわると、こちらにもタテ一文字に割れ目がある。上から見ればピッタリ十字の形に割れていて、自然にできたとも思えない。実際、そうであって、人間がした。四つに割って、四切れの石にし、土に埋めたり、橋の土台に用いた。

所は岐阜県加茂郡東白川村。村役場の前に小さな杉木立があるが、その中に四等分されたのが元どおり合わさって立派な土台石にのっている。人よんで「四つ割の南無阿弥陀佛」。先祖の蛮行のせいで、世にも珍しい名物ができた。

岐阜県東白川村。「寺のない村」の奇蹟のような南無阿弥陀佛。

岐阜県東白川村。「寺のない村」の奇蹟のような南無阿弥陀佛。

いや、必ずしも蛮行ではなかったのだ。お上(かみ)に命令されて、泣く泣く分割に及んだまでと思われる。それが証拠に放置したように見せかけて、ちゃんと親から子へと居どころを伝えておき、のちにきちんと復元した。まんまとお上の鼻をあかしたぐあいである。

明治初年、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が全国に吹き荒れた。明治政府は強引に神道国教化を押しすすめ、神仏分離、寺、仏像、仏具の破棄、破壊を命じた。廃藩置県により大名が知事に登用された矢先で、知事布達のかたちをとった。

命令は伝えても、実行に関しては土地ごとにちがいがあったようだ。なにしろ千数百年に及ぶ信仰の拠点をぶっ壊せときた。由々しい事態であって、真宗をはじめ寺の門徒の強いところは、手かげんするしかなかっただろうし、明治政府に反感をもつ大名は、おいそれとは動かなかったと思われる。

岐阜県の白川村は世界遺産になった合掌造りの民家で知られている。東白川村は名前からして東どなりみたいだが、距離はうんと離れており、白川村は飛騨だが、東白川村は美濃である。江戸時代は苗木藩といって、現・中津川市苗木に城をもつ藩の一部だった。石高わずか一万石。地理的にいえば美濃よりも信州に近い。

小藩の宿命だが、お上に逆らっては生きていけない。新政府からの命令に対して、ひときわ厳密に実行させたのではあるまいか。当時、村には主だった寺が二つあったが、どちらも廃寺にして取り壊し、僧侶は村を去った。以来、東白川村は現在も「寺のない村」である。

もよりのJR駅は高山本線「白川口駅」。白川村の入口と思って下車する人があとをたたない。駅近くは白川町なので、なおのことまちがいやすい。東白川へはバスで三十分ほど揺られていく。たえずつきそって流れているのが白川だ。平行して赤川、黒川も流れている。川底の色合いから命名されたとみえる。

世界遺産ではなく、そもそも観光の目玉になるようなものは何もないが、空気が澄んでいて、水がきれいで、風音が聞こえるほど静かな、いい村である。「日本の最も美しい村連合」といって、合併で大きくなろうとなどせず、小さいながら自立をめざし、独自の行政に励んでいる町村の組織があるが、それに加わっている。加盟にはいくつかの条件のほか、二つの特産を求められ、東白川村は六百年の伝統をもつ白川茶と、ヒノキ材のブランド・東濃(とうのう)ヒノキがきめ手になった。「寺のない村」は一つの特色だが、これは特産というわけにいかない。

村役場からバス停で二つばかり西の山の斜面に、雄大な石垣がのこされている。「幡龍寺(ばんりゅうじ)趾」の標識から、これも廃仏毀釈のツメ跡かと思ったが、幕末に先立ち、寺と集落とのイザコザがあって廃寺となったのだそうだ。もしかすると村には、寺を厭う何か理由があって、毀釈が徹底して実践されたのかもしれない。

権力への無言の抵抗は奥が深い。この石の節理に添って闇がどこまでもつづく。高遠の石工の仕事が今も残る。

権力への無言の抵抗は奥が深い。この石の節理に添って闇がどこまでもつづく。高遠の石工の仕事が今も残る。

制度としての寺は廃しても、名号入りの石を立ち割った記憶は負い目のようにのこっていたのだろう。天保六年(一八三五)、施主の求めにより、信州高遠の石工伝蔵という者が制作した。知事布達で打ち砕くべしと命じられたとき、村は再び伝蔵にゆだねた。その際、ひそかなやりとりがあったのではなかろうか。石には「節理」というのが通っていて、これに添って割れば全体は損なわれず、のちに合わせると元通りになる。四つ割りを役人に見届けさせ、埋めたり土台に利用。百年後の昭和十年(一九三五)、あらためて四つを集めて建立した。息の長い知恵が、歴史の証言役を生み出した。

【今回のアクセス‥文中に述べたとおり、JR高山本線白川口駅よりバス。駅近くの白川橋は巨大なワイヤーの橋で、大正十五年(一九二六)架橋。「土木遺産」に指定されている】

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