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“11月14日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

1924=大正13年  皇太子狙撃の虎ノ門事件を起こした難波大助に大逆罪で死刑が宣告された。

大逆罪は戦前の旧刑法などで定められ天皇皇后や皇太子などに危害を加える犯罪に適用された。大審院での一審のみの裁判で死刑が確定する厳しい刑罰だった。事件は前年の12月27日午前、虎ノ門で起きた。病気の大正天皇に代わって執政として帝国議会の開院式に向かっていた摂政宮=後の昭和天皇・裕仁皇太子の自動車を難波がステッキに仕込んだ散弾銃で狙撃した。銃弾は車の窓ガラスを破ったものの皇太子には当たらず同乗の侍従長が軽いけがをした。

難波は道路に飛び出して「革命万歳!」と叫びながら車を追いかけたが警戒中の警官や憲兵に取り押さえられた。皇太子は「空砲だと思った」と側近に語ったがこの事件を受け当時の内閣総理大臣・山本権兵衛は直ちに辞表を提出し慰留されたものの内閣は総辞職した。警護責任を取って警視総監・湯浅倉平と警視庁警務部長・正力松太郎が懲戒免官になった。正力は皇太子の結婚による恩赦があり読売新聞の経営権を買収して社主になった。

難波はどういう人物だったのか。山口県周防村(現・光市)の名家の次男として生まれた。中学まではおとなしい生徒だったが予備校に通うために上京して貧民街の現状や幸徳秋水らの大逆事件の裁判記事などを読むうち次第に左傾化していった。早稲田第一高等学院に入学したが1年で退学、関東大震災下での大杉栄らが殺された甘粕事件などを見聞してテロリストとして活動することを決意したとされる。事件当時は25歳、父親の作之進は衆議院議員だった。犯行に使われたステッキ銃は同郷の伊藤博文がロンドンで入手したもので人伝てに作之進に渡っていたのが持ち出された。

事件後、作之進は議員を辞職し、自邸の門に青竹を打ちつけ<閉門蟄居>して断食を続け半年後に餓死した。山口県下の村々では正月行事をすべて取りやめ謹慎した。難波が卒業した小学校の校長と担任は教育責任を取り辞職に追い込まれた。山口県知事は出身県というだけで2ヶ月間、2割の減俸処分を受けた。関連処分はそれだけにとどまらなかった難波が上京する際に立ち寄っただけの京都府知事まで懲戒(譴責)処分を受けた。

この事件を永井荷風は11月16日付の日記『断腸亭日乗』に
「都下の新聞紙一斉に大書して難波大助死刑のことを報ず。大助は客歳(昨年)虎ノ門にて摂政の宮を狙撃せんとして捕へられたる書生なり。大逆極悪の罪人なりと悪(にく)むものもあれど、さして悪むにも及ばず。また驚くにも当たらざるべし。皇帝を弑(しい)するもの欧州にてはめずらしからず。現代日本人の生活は大小となく欧州文明皮相の模倣にあらざるはなし。大助の犯罪もまた模倣の一端のみ。洋装婦人のダンスと何の択ぶところがあらんや」と欧米に遊学しただけに極めてクールな感想を残している。

後日談がある。作之進の死によりその選挙地盤は松岡洋右がそのまま引き継ぎ、戦後は岸信介、佐藤栄作という大物保守系政治家の盤石地盤となって昭和史を動かす遠因となった。まさに「息子の暴発なかりせば」ではある。

*1930=昭和5年  「ライオン宰相」と呼ばれた濱口雄幸首相が東京駅ホームで狙撃された。

濱口は政友会田中義一内閣の倒壊のあとを受けて民政党内閣を組織すると金解禁、財政緊縮、産業合理化などの十大政綱を発表して予算節減、公債発行中止などデフレ政策をとった。外交面での協調外交も軟弱と批判されるなかロンドン軍縮会議で海軍の反対を押し切って軍縮条約を結んだ。さらにアメリカの大恐慌が世界を覆ったことで不景気をもたらしたとして軍部や右翼の反感が強まっていた。

この日、東京駅午前9時発の特急「燕」で岡山での陸軍大演習に向かうためにホームに向かおうとしていたところを右翼青年・佐郷屋留雄に至近距離からピストルで撃たれた。濱口は一命を取り留めたが腹部を撃たれて瀕死の重傷だったため新聞は連日、容態を報道した。17日の東京朝日新聞には「待望のガス出づ、今暁1時15分、一同大喜び」ガスとはつまり<おなら>のこと、腸の活動が戻ったという意味だ。まあ、それだけ国民大衆には愛されていたということだが翌年、総辞職に追い込まれると無理がたたったのか8月26日に死去した。

濱口は高知市の出身で3人兄弟の末っ子だった。「幸雄」と命名されたが林業を営んでいた父親が出生届を役場に出しに行く途中で<祝い酒>に酔い過ぎてしまった。そのため出生届を書く際に誤って名前を前後反対に記入したのが受理されてしまい「雄幸」になった。

ところで浜口といえば<男子の本懐の>と言われる。そのよって来たるところ、濱口は撃たれた際に「小さな音とともにステッキくらいの物体を大きな力で下腹部に押し込まれたような感じがした。同時に殺されるには少し早いなというような言葉が脳裏に浮かんだ」と回想している。医師からしゃべらないようにと注意されていたが記者から「総理は何かしゃべったのか」とせかされた秘書に朝日の記者が「たとえば男子の本懐とか」と耳打ちしたのを「そう、そう言った」と口にしたのが<公式発言>になったという。いくらなんでも撃たれて死ぬかもしれないのにそれが本懐=本望などとは矛盾していますからねえ。

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