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書斎の漂着本(87) 蚤野久蔵 二笑亭綺譚(3)

ここ最近の連載はほとんど「一回完結」になっていたのに、今回の『二笑亭綺譚-50年目の再訪記』はこれで3回目を迎えた。私自身が「二笑亭」の怪しい魅力というか魔力に引き込まれてしまったのかもしれない。戦前、この<未完の怪建築>を実際に訪れ『二笑亭綺譚』などで広く世間に紹介した精神病理学者の式場隆三郎はゴッホやロートレックの研究家としても知られる。国内では画家、山下清の才能を見出し支援する一方で二笑亭主人の渡辺金蔵に大きな関心を持った。注目したのは、彼らの「芸術に対するひたむきな情熱」ではなかったろうか。式場は優れた精神科医であるが、その常として優れた人間観察者でもあった。日本文化史の研究者では「精神の異常と芸術表現」の問題に関心を持った最初の人物として知られる。それにしても昭和初期の、いわゆるモダニズムの全盛期に二笑亭という<ポストモダン>な建物に注目してそれを一冊の本にまとめた先見性には驚かされる。しかも二笑亭のデザインそのものに私的な好奇心をかき立たせ作者の渡辺金蔵に大きな愛情を寄せている点といい、創作的な価値においても画期となった作品ではあるまいか。

今回は模型師の岸武臣が復元した「二笑亭」の模型から建物の内部にご案内しよう。四男の豊氏の記憶では通行人からは「まるで牢屋そっくり」と言われた玄関の格子戸は子どもの力では開けるのに一苦労するほど重かった。おまけに開け閉めするたびにガラガラ、ガラガラとすごい音がしたそうである。おまけにガラスも目隠しもなかったので縁日のときなど、よくスリが空財布を投げ込んでいった。空になった財布が門の中にいくつも落ちているのを見つけてびっくりしたという。高さは低く見えるが意外にあって左手前は鉄板の雨除けである。鍵は付いていなかったらしい。

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入ったところが玄関ホールで、左側の壁には足袋製造業だった大野屋の屋号である「石」をデザインした浮彫がある。振り向けばはめ殺しのガラス窓からの光がやさしく差し込んで床の土間に並べて敷いた石臼を照らしている。ホールは二階まで吹き抜けだから圧迫感を全く感じさせない。前回紹介した写真で式場が立っていたのがこの壁の前である。奥に中庭、その左側に茶室のある母屋が見える。

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建築家の藤森照信は、ひとり時代に取り残されながら、黙々とおのれの奇妙な宇宙を作り続けた金蔵を内側から支えたのは茶道に精進していた教養にあふれた茶人だったからに他ならない。建物は「二笑亭」という命名からも「茶の空間」として考えられていることは間違いないと分析する。茶の流祖・利休居士の感覚を裏の山から竹の根っ子を持ってきてスッパリ切って花差しにしたり、朝鮮半島の捕虜の飯椀に使われるようなありふれた茶碗を取り上げたり、真っ黒の茶碗を作らせるなどなど、当然ながら常人の感覚ではない。茶室にしても二畳に満たない極小のものを作ったし、壁はワラスサがむき出しの下塗り、窓は壁土を塗り残した穴(下地窓という)で済ませて、とこんな具合である。利休の物を見る目には、明らかにわが二笑亭と同様“オブジェ感覚”が隠されている。ゴロッとした存在感、言いかえるならば、回りの関係から切れて存在するような唐突さであるとする。

前出の豊氏は茶室の床(とこ)には何と横幅1メートルもあるナイアガラの滝の写真がかかっていたと証言している。海外旅行の土産だったそうだが、茶室の床に掛け軸代わりにナイアガラの滝というのはやはりすごい。藤森はそれも含めて二笑亭は「昭和の暗号」だったのではないかという。時代の表では通用させるわけにはいかないが、裏では一群の人々によってのみひそかに使われ、表では語ることができないことが、この暗号に託して伝えられたのではないかとも。

作家の赤瀬川原平は小説『毛の生えた星』で二笑亭にやってきた星男エムディを登場させて茶室の金蔵と対話する。

ゆっくりと茶を点てているその後ろには、壁面いっぱいにナイアガラ瀑布の大きな写真がある。
「あの写真はどのお茶室にもあるのか」
「ほかは知らない」
「あの写真は誰が撮ったのか」
「私が撮った。世界旅行のときに撮った」

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要件としては茶碗にお茶の粉とお湯を入れ、掻き混ぜたのを飲む。というだけのことだが、彼はその一つ一つの動作を念入りに、順序よく、しかも威厳をもっておこなっている。
お茶を入れて飲むのに、何故威厳をもって振舞うのかはわからない。
その威厳、規律、動作への崇拝などは、宗教の儀式に似ている。
このようにお茶を点てることを茶道といい、これは日本の伝統文化として一般にもおこなわれているらしい。だからどこまでが彼のオリジナルかはわからないが、しかしこのお茶を点てるのを見ながら、二笑亭建築の骨格がここに潜んでいるのを感じる。この二笑亭という名前ももとはこのお茶室につけたのだと言っていた。

茶道とは、おそらく人間の不安が育てたものだろう。他は分からないにしても彼はそうだ。この世がいつも地面に崩れ落ちるという、その不安を彼は一人で呼吸している。それを持ちこたえるためには、日々の行いに規律の網の目を通す必要がある。すべてが順序よく、確実にキチンと進んでいくことで、この世は安定してくる。油断すると、規律の綻び、順序の綻びから、この世は不安定に動きはじめる。この世に隣接してある世界が、ふくらんでくる恐れがあるのである。背中の壁の向こうに溶けている魚の大群が、いつか背中越しに、大漁旗を押し立ててあらわれるのではないかという恐れがあるのである。それを防ぐために二笑亭は建築される。防御の軍事教練としてお茶を点てる、そのための要塞にあたるものが、威厳と規律と物質への崇拝をもって、ここに建築されているのである。私(=星男エムディ)はそう解釈している。

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