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新・気まぐれ読書日記(25) 石山文也 老骨の悠々閑々

「本屋へ出かけると買うつもりのなかった本をつい買ってしまう、それも魅力のうち」と広告クリエーターで東京・下北沢に本屋を開業した嶋浩一郎さんが書いていた。私の場合<ささやかな小遣いと相談>ではあるが、つい、どころか、ついつい買ってしまう。これもそんな一冊である。著者に失礼な!そんなことはありません。著者にとって「本が売れる」のはなにより大事なことですから。

『老骨の悠々閑々』(半藤一利・ポプラ社)

あらためて著者を紹介する必要もないかもしれないが、文藝春秋で『週刊文春』や『文藝春秋』などの編集長、出版局長、専務を歴任、在職中に手がけた『日本のいちばん長い日』や『ノモンハンの夏』、『昭和史』など近現代史を中心に多くの著書がある。本にも登場する末利子(まりこ)夫人が夏目漱石の孫という関係もあって『漱石先生ぞな、もし』などの「漱石もの」や、子供時代からの相撲通だけに大相撲用語辞典の『大相撲こてんごてん』というのもある。帯にある通り85歳。自由闊達。円熟無碍。「おおいに健在の老骨」には違いない。

まずは「老いにホレるっ!」という帯の左、黒猫が示す「必見!」の円内にある「単行本未収録作品+秘蔵の版画集」に注目いただきたい。そう、この「黒猫」も、タイトル下の「天女」も自ら彫刻刀や画筆をとった。ひょっとしたら題字もそうかも。

「なんでまた木版画を?と驚く人もあろうが、頭の中の動きというものは奇妙不可思議なもので、文字との格闘と、絵を彫る力仕事とは、まったく別の働きをするものらしく、疲労が倍加するどころか、結構なレクリエーションになる。それで、いつの間にか木版画が何十点、それにいたずら描きみたいなスケッチがそれこそ山のように貯まった。要は、人間や人生についての見聞を<フム、これはなかなかの名画だぞ>と妄信して描いたものが残ることになったのである」(はじめに)

でも「黒猫」と「天女」くらいでは納得いただけないかもしれないので、私もそのレベルの高さに思わず唸った「砂漠の詩」シリーズの版画を紹介する。東京・青山にあった行きつけのスナックの開店8周年に常連客が開いた「大展覧会」用に制作したという。店名の「羊舎」から羊をテーマにしたのは、初めての中国旅行で敦煌へ行ったとき、ゴビの砂漠で受けた印象が強烈で、唐の詩人、王翰(おうかん)の「辺塞の歌」がすっかり気に入り、羊とアレンジしたのだという。

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葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲して 琵琶 馬上に催す
酔うて沙場(さじょう)に臥すとも
君 笑うことなかれ
古来征戦 幾人か回(かえ)る

これを井伏鱒二氏の「サヨナラダケガ人生ダ」式に、我流に訳してみると――

越ノ寒梅 ナミナミツゲヨ
ドンチャン騒ギダ 三味カキナラセ
笑ッテクレルナ 無頼ナオレヲ
ドウセコノ世ハ シャクノタネ

「マリリン・モンロー」(老骨の手習い)は、自装の表紙ですっかり落ち込んだ話だ。

旧制中学時代のクラスメイト荒川博君と共著で出した『風・船のじてん』(蒼洋社)の表紙に使った画がこのマリリン・モンロー。この本、中身は気に入っているのだが、どうしてこんなにと首をかしげたくなるほど売れなくて、参った参った。きっと著者自装の表紙が悪かったからであろうと、気を滅入らせている。
「オレに任せろ」と大口を叩いたくせに、何だよ、この絵は・・・と荒川君も大ボヤキにボヤいた。「お前、たしかにこのモンローの出演した映画を観て、この地下鉄の風に吹きあげられたスカートの場面を確認したのか」ともガミガミやられた。題名は『七年目の浮気』であることは間違いないが、正直な話、観たような観ないようなおぼろげな記憶しかない。でも、映画のスチールにはこの風でまくれあがったスカートのシーンがあって、一世を風靡したことは確かである。

ここまで書いてこの『風・船のじてん』をたまたま持っているのを思い出した。趣味のシーカヤック遠征用資料として手に入れた。せっかくなのでカットより表紙の現物のほうを紹介する。もっとも私が購入したのは、この表紙からではなく中身からだから誤解のないように!

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マリリン・モンローのあの名場面を表紙に使うという発想は、なかなか面白いと思われませんか。このあと改訂版として出された『風の名前 風の四季』(平凡社新書・2001)は項目が増やされた分、カットの半藤作品の木版画や切り絵はすべて割愛されている。こちらも「現物」で確認済みなのは、著者と同じく「<風が吹かば風吹くままに>という生き方を無上の心得としている」ゆえ。

漱石の『草枕』を「漱石先生の愛する<長閑な>気分で書いた」という「ことば散歩」は熊本日日新聞に50回連載した人気エッセイだが、最終回の「がんがらがんだから・・・」を再録する。

漱石は『草枕』という小説で芸のかぎり・学のかぎりをつくしている。とてもかなわない。しかし著者が、読者はこの小説を開いてどこでもいいから読んでいい気分になればいい、と言っているから、わからぬところはすっ飛ばして、愉快な気持ちで好むところを開いて、声をだして読むといい。
最終回にあげた床屋の親方のこの啖呵じゃないが、わが「ことば散歩」はいろいろ偉そうに書いてきたが、中身は「がんがらがん」である。これは「がらんどう」からきている。漢字で書けば伽藍堂。大きな建物を大伽藍というが、もとの梵語の意では、伽藍とは楽しむ場所、休む場所であるそうな。
この章が、皆さんの楽しむ場所であったかな、と思いつつ、筆を擱(お)く。

最後は「うちのカミさん」(スケッチ帖から)

数から言えば、他のものを圧して、カミさんを描いた絵がいちばん多くあるかもしれない。まずは年賀状で最初のころは木版画を彫って皆さんに送り届けたのであるが、その後はイラストになり、とにかくいろいろと二人そろっている絵を描いた。
(中略)
ここには数が多すぎるので、2003年の年賀状の妙ちくりんな絵にした。

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なお、念のために書いておくが、片々たるものを含めて、どの絵もカミさんの顔の表情だけは、とくに強調しておくが、すべてカミさん自身の手によるものである。わたくしはいっさいタッチしていない。女とは、面容を大切にするのであります。

「今は老齢にほれている。老骨、おおいに健在!ボケているのではありませんぞ!」
という帯の文句を最後に引きながら。
ではまた

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