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季語道楽(50)水原秋桜子と山口誓子  坂崎重盛

虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」にあきたらず「ホトトギス」のもとから飛び立った「四S」の一人、水原秋桜子と、それに呼応するように行動を共にした、「四S」の中のもう一人、山口誓子、この二人の歳時記と、彼ら、それぞれの理念や作風にふれてみたい。

まずは秋桜子。手元の『新編 歳時記』を取る。奥付、昭和四十二年、大泉書店刊。もちろん秋桜子編。

新編 歳時記 編:水原秋櫻子

新編 歳時記 編:水原秋櫻子

例によって、「序」(元版)をみる。

まずは、この歳時記の成り立ちから。

  • 「自分を監修の立場に置いて、執筆には加はらぬはことにした」。その理由は「季題の解説に当るには、いま最も旺んなる作句力の持ち主が適任と信じたから」。
  • 「私は馬酔木の作者の中から四人の適任者を選び、この仕事を担当することを依頼した」。その四名とは、篠田悌次郎、能村登四郎、林翔、澤聰。
  • 「解説は明治大正時代の科学的解説が廃れ、現今では一般に文学的解説が行われている」が「なほ不備なのは例句と解説が離ればなれになり、密接な関係をもっておらぬことである」。
  • 「そこで今度は例句を一層精選して解説との関係をもたしかめ」「しばしば解説の中に例句を挿入し」「或は古句と現代句との覘(ル うかがい)いの相違を説明」−ー―で、「これらは明らかに新機軸」とアピール。
  • もう一つ、この秋桜子編・歳時記では「季題の所属季節変更」。例として、これまで春期とされてきた「鳥の巣」を「確信をもって初夏に」。また、「巣立鳥」を初夏に。「蜩(ル ひぐらし)」は秋とされて来たが「正しい観察にしたがい、これを晩夏に編入」したとする。
  • そして、この歳時記が「季節的の随筆集として見ることも出来るだろう」「俳句作者ならぬ人にも親しみ読まれるかもしれない」と「期待を抱いて」いる。

その本文を読む。たしかに解説が、短い一篇の随筆の趣きがあったりする一例だけ取り上げてみよう。「麦秋(ル ばくしゅう)」

麦秋 麦の秋

俳句の季節には俳句だけに通じる秋などもその一例で、仲々含みのある

言葉である。(中略)麦が黄色く熟れる頃で、右畑などに近づくとむっと

熟れ麦の香がする。淡い人の体臭に似て、稲の熟れた頃と又感じが異な

ふ。この頃は麦秋特有の曇った日があって風がなく、じっと汗ばむ様な

暑さを感じる。

「麦秋」が「秋」という文字が入っているにもかかわらず夏の季語というのが、俳句と無縁な人は、とまどうことだろう。また、この解説では「淡い人の体臭」といった表現など、俳句の解説文としては珍しいのでは。

例句として、八句が掲げられているが、ぼくは、四句に限って選んでみる。

雑巾の乾く月夜の麦の秋      静塔

麦の秋一度妻を経て来し金    草田男

麦秋や書架にあまりし文庫本    敦

そして秋桜子が、被爆した長崎・浦上天主堂に対したときの

麦秋の中なるがかなし聖廃墟

が印象に残った。

 

もっといろいろな季題も紹介したいが、先を急がねば。

秋桜子歳時記を脇に置いて、彼による俳句随想を訪ねてみたい。『俳句作法』(昭和六十年・朝日文庫)。

俳句作法 著:水原秋櫻子

俳句作法 著:水原秋櫻子

秋桜子の文章ー―。

「菖蒲(ル しょうぶ)」のところでは、「明治神宮の神苑に咲く菖蒲を拝観したことがあるが、その美しさに打たれて句のことは考えずに帰った」。「私はかつて手入れの行届いてしかも気品の高い庭を詠んでみたいと思って苦労したが、それは結局徒労に終った。捉えどころがなくてむずかしいのである」と語り、四つ木の菖蒲園での、

門川に咲けるものありて菖蒲園

「という句を作ったら、同行のうち三人までが同想の句を作ったのに驚いたことがある」

と、それこそ、彼の歳時記の「序」ではないが、“随筆的”解説をしている。

また、「紫陽花(ル あじさい)」では「紫陽花は初夏から咲きはじめ、秋の半ばまで保っているが、その間に花の色が青、紫、薄赤などいろいろ変化する。そこで紫陽花のことを「七変化」とも呼んでいるが、いやな別称で俳句には使いたくない」と、秋桜子個人の美意識というか、感性を披露している。ぼくも今後は「七変化」は使うのは止めよう。

秋桜子の文章は、きっぱりとした物言いではあるが、どこか優しく、やわらかな印象を受ける。好き嫌いを言っても、句作の指導をのべていても、ゆったりと厳格というより、説きくどくような口調となる。

「ホトトギス」の単なる「客観写生」からの、平板な「自然模倣主義」ではなく、心情をこめたこころよい調べを旨とした秋桜子の理念が、このような『俳句作法』にも表れていると思ってよいのだろう。

 

これと対称的なのが、秋桜子と同時に、虚子の「ホトトギス」を離れた山口誓子である。誓子の文体を見てみたい。神保町散歩でタイミングよく入手した『誓子俳話』(昭和四十年・東京美術刊)。

誓子俳話 著:山口誓子

誓子俳話 著:山口誓子

巻頭の一章が、これまた秋桜子の『俳句作法』同様、「作法」という言葉を使っている。その中の「我が主張・我が俳論」。

俳句は如何なる詩であるか。

俳句は「自然の刺激によって感動する詩」である、と私は定義する。私

のほしいままの定義じゃない。

いきなり真剣である。そして、芭蕉の「風光の人を感度せしむる」を援用し、「風光」は自然である、とする。さらに、ライシャワー、本居宣長、道元、斎藤茂吉、平福百穂、ロダン、ドナルド・キーン、そして元の師の虚子の言葉まで引きつつ、「我が主張・我が俳論」を展開する。

ほとんど文芸評論的俳論であり、知的読者を想定しての硬度? いや高度な文章である。

この項の末尾に誓子がもっとも言いたかったことが集約されていると考えられる 。ちょっと理屈っぽいかと思われるかもしれないが引用したい。

自然の物と物とをメカニックに考える私は、俳句の内部構造を強く主張す

るのである。

私は無心で自然の物をよく見る。その物から想像力によって他の物に飛

躍する。その二つの物の関係に感動が起る。

それは組み立てるのではない。直感的な感動がそういう二つの物に分析

されるのである。

なんか、実験物理のレポートの一節みたいな文章と思ってしまう。そして、このあとに続く一節が、なんとヘーゲルの弁証法の概念が登場する。

わたしはそれを図式で表して、

 

 

合    ←

だとする。「正」は一つの物、「反」は飛躍した他の物、その二つの物がそ

のまま「合」として統一されているのである。「正」と「反」とは、読者の

理解できる限度まで、掛け離れている方がよい。それによって「合」は高

められているのである。

現代に生を享けたために私はそういうメカニズムを強調するのである。

 

うあぁー、こんな誓子の言葉に接すると、あだやおろそかで、五七五など作れなくなってしまうのではないでしょうか。しかし、この『誓子俳話』は、文芸評論集としても読みごたえがありそう。改めて、じっくり読むことにする。ちなみに先の優しい口調の秋桜子の出身校と職業は、現・東京大学医学部卒で、宮内庁の産婦人科医。誓子は同じく東京大学であるが法学部卒。大阪住友合資会社に入社。

二人の句を紹介しておこう。すでに既出もいとわず。まず秋桜子。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり

梨咲くと葛飾の野はとの曇り

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々

滝落ちて群青世界とどろけり

誓子の句。

ピストルがプールの硬き面にひびき

かりかりと蟷螂蜂のかほを食む

スケートの紐結ぶ間もはやりつつ

海に出て木枯らし帰るところなし

 

 

 

 

 

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