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新・気まぐれ読書日記(24) 石山文也 異邦人

原田マハの『異邦人』(PHP研究所)のタイトルには「いりびと」とルビがふってある。
「なんでわざわざそうしたのだろう」と思いながら目次に続く<中とびら>を開くと、「京の人は、猶(なお)、いとこそ、みやびやかに、今めかしけれ。」という『源氏物語』「宿り木」の一節が引かれている。光源氏の子・薫が宇治で偶然行き合わせた浮舟をひそかにのぞき見る場面、浮舟が焚き込めたお香のすばらしさを女房たちが褒める。「東国(=あづま)にてかかる薫物(たきもの)の香は・・・」と続き、当時は都の別荘地だった宇治も東国だったわけである。それはさておき、ならば、誰が異邦人、いや、いりびとなのかと考えながら読み始めた。

『異邦人』(原田マハ・PHP研究所)

『異邦人』(原田マハ・PHP研究所)

東日本大震災による福島原発事故直後の計画停電や節電が続く4月上旬、東京発の最終「のぞみ」にようやく間に合った銀座・たかむら画廊の若き専務、篁一輝は「春の宵の匂い」がする京都駅に降り立つ。父の経営する画廊の上顧客であり、個人美術館を持つ有吉家の娘で妻の菜穂が身ごもり、周囲からの強い勧めで京都のホテルに<避難>しているのに会うためだった。菜穂は結婚後も彼女の祖父が設立した有吉美術館の副館長をつとめていた。祖父、父母、そして菜穂と三代にわたる長年の収蔵品は、近・現代の日本画、洋画で、その蒐集に一役買ってきたのがたかむら画廊である。京都行きを最初は嫌がった菜穂だったが、震災後、呑気に美術鑑賞にやってくるゲストは一切いなくなり、接待役としての副館長の仕事はなくなった。一輝からも「ホテルに連泊しておいしいものでも食べていれば、気分も落ち着くだろう。一週間か、長くても十日以内には、必ず迎えに行く」という言葉に背中を押され、キャリーケースひとつを引いてやってきたのだ。一輝がようやく会いにきたのは約束最後の十日目、しかも到着が深夜だったことで夫婦の歯車が狂い始める。

谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する平安神宮の枝垂れ桜はあと一週間先とわかり、それを話題にした「京都滞在を引き延ばしたら」という一輝の本心と菜穂の心がすれ違う。ホテルの近所だからと立ち寄った智積院の国宝障壁画「桜図」も自動音声による解説が耳障りだと菜穂は不興で、満開の桜の中を入館した京都国立近代美術館の「パウル・クレー展」も、一輝が作品よりも「後ろ姿に絵を感じた」という若い女性に見とれているのを菜穂は見てしまう。溝は埋まらないまま一輝は菜穂を残して予定通り、その日の最終新幹線で帰京してしまう。

菜穂の祖父、有吉喜三郎は、大阪の呉服屋の三男坊で東京大学の経済学部を卒業すると故郷には戻らず、株式と不動産の転売で財を成した。会社はその後、国内有数の不動産企業に成長する。菜穂は都内の名門女子大で日本美術史の高名な教授に師事し、美術史を研究した。美術品を見る独特な感覚があり、これまでも気に入った作品があれば迷わず購入し、有能な若手を見つけてはたかむら画廊に紹介してきた。その感覚をひとことでいうと「刺さる感じ」で、祖父から受け継いだ<血>かもしれなかった。ところが、バブル崩壊後、本業の不動産会社の経営が揺らぐと、大規模なリストラによって何とか乗り切るが、美術館の維持まではとても手が回らない。そんななかでも菜穂は祖父の遺産を使って気に入った作品があれば手に入れてしまう。一方のたかむら画廊も大震災後の景気冷え込みで先行き不安を抱えている。一輝と菜穂の結婚は、将来の有吉美術館の収蔵品売却にあたっての窓口となることを見越しての計算という面もあったのである。

仕方なく京都に残った菜穂は、気晴らしに出かけた新門前の老舗画廊で、まったく無名の女性日本画家の作品に出会う。いまや京都画壇の重鎮となった志村照山の内弟子の白根樹(たつる)、しかも「パウル・クレー展」で一輝が見とれた女性だった。画廊へは二度目の訪問だったが、以前、有名ではなかった頃の照山の作品を衝動買いしたことがあったことで画廊主も覚えていてくれ、通された応接室に樹の青葉の絵がかかっているのを偶然見つけた。クレーの絵のいちばんいい部分を集約し、日本画に翻訳したような、抽象的な青葉の絵。同じように「刺さる感じ」があったから迷わず購入した。

ここまでが著者から最初に示されたこれから展開するこの物語のいくつかの<ピース>である。

祇園祭、五山送り火、貴船の川床、やがて夏から秋へと移りゆく京の季節のなかで菜穂は女児を産む。明かされる菜穂の出生の秘密、そのあたりはこれから読まれる皆さんのために伏せておくが、同じ年の暮れ、東京へ戻っていく一輝は京都駅で、春の宵に到着した日のことを思い出す。

もう何度、この駅に降り立ったかわからない。通い慣れているはずなのに、来るたびに、この街は遠くなる。近づこうとすればするほど、遠ざかる。

遠くて近きもの。極楽。舟の道。人のなか。

なんの脈絡もなく、『枕草子』の一節が浮かんだ。雨に震える街の灯りに背を向けて、一輝は足早に改札口へと消えていった。

『源氏物語』にはじまり、『枕草子』で終わるというのがいかにも象徴的であるが、終盤に向かってそれぞれの<ピース>は見事に収まっていく。野暮を承知で「いりびと」に漢字を当てるとすれば「入り人」であろうか。ならば、主人公の菜穂だけでなく「小説を書き始めて10年にしてやっと京都を描く力がついた」と某新聞のインタビューに答えていた著者も、異邦人ではなく<京の街のいりびと>になったといえるかもしれない。
ではまた

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