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“11月25日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1970=昭和45年  三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊で衝撃的な割腹自殺を遂げた。

午前11時、三島は学生らに呼びかけて組織した「楯の会」学生長の森田必勝、古賀浩靖ら4人と会の制服に日の丸の鉢巻き、白手袋を付けて白いコロナで陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の門を入った。体験入隊を重ねて旧知の間柄だった東部方面総監で陸将の益田兼利との面会が目的とされていた。総監室のソファーに全員が座ると三島は4人を紹介した。

談話が進むうち森田らはいきなり総監に飛びかかり猿ぐつわをして縛り上げると幕僚らに要求書を渡し、自衛官を集めるよう要求した。正午きっかり、三島らは総監室前のバルコニーから集まった自衛隊員に檄文をまき三島が<決起の演説>を始めた。事件発生を知った報道ヘリの騒音やヤジにかき消されたため演説はわずか10分ほどで終了した。三島は最後に「それでも武士か!」と2度絶叫、「天皇陛下万歳」を三唱して総監室に退くと三島と森田は割腹自決した。三島は45歳、森田は25歳だった。

三島の辞世
益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐
が最後の<作品>となった。

*1894年=明治27年  パリで開かれたスポーツ会議で近代オリンピックの開催が決定した。  

古代オリンピアの遺跡発掘が行われ古代オリンピック復活の声が高まっていたなかフランスの男爵ピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)はスポーツにより青年たちを奮い立たせたいと考えた。2年後の1896年には第1回オリンピックがギリシャのアテネで開催された。資金集めに苦労したこともあって会期は10日間と短かったが大成功に終わった。

スポーツに関心があったクーベルタンはイギリスのラグビー校を訪問してラグビーにのめり込んだ。自身もプレーを楽しみレフリーの資格を取ると自ら笛を吹いたこともあった。しかしラグビーはオリンピック種目にはなかったので1912年の第5回ストックホルム大会で「芸術競技」に参加して金メダルを獲得した。『スポーツ讃歌』という<集団演舞>みたいな作品だった。

クーベルタンの残したとされる言葉に「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」というのがある。ところがこれは別人の言葉を彼が<引用した>ことで世界中に広まった。同じスピーチで話した「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」が本人オリジナルだそうな。これならいまでもそのままオリンピックに参加する選手たちに贈るのにはぴったりだ。

*1930=昭和5年  警視庁が横行する<エロ演芸>に手を焼いて厳しい取締規則を制定した。

関東大震災の痛手からようやく立ち直った東京ではエロチシズムを売り物にした演芸が大流行した。キャバレーやカフエーの風俗営業も然り、川端康成の『浅草紅団』に描かれたカジノ・フォーリーはエノケンが活躍した劇場だったが真っ先に目を付けられた。

「和洋合奏レビュー」という乱調子な見世物が一九二九年型浅草だとすると、東京にただ一つ舶来モダーンのレビュー専門に旗揚げしたカジノは、地下鉄の尖塔とともに一九三〇年型かもしれない。
エロチシズムとナンセンスとスピードと、時事漫画風なユーモアとジャズ・ソングと女の足と・・・      (『浅草紅団』)

まず前文からして「演劇演芸における所作、服装照明等については以下の各号により厳重取締に当たること」と厳しい。
1. ヅロースは股下三寸(10cm)未満のもの、及び肉色のものは禁止。
2. 背部は上体の二分の一より以下を露出せしめざること。
3. 胸腹部は乳房以下の部分を露出せしめざること。
4. 「静物」と称し全身に肉襦袢を着し裸体の曲線美を表すものは腰部をスカートその他これに類するものを以て覆わしむること。
5. 片方の脚のみ股まで肉体を露出するがごときものはこれを禁ずること。
6. 照明を以て腰部の着衣を肉色に照射せしむるはこれを禁ずること。
7. ダンスにして腰を部分的に前後左右に振る所作はこれを禁ずること。
8. 観客に向かい脚を挙げ股が継続的に観客に見ゆるごとき所作はこれを禁ずること。
9. 日本服の踊りにおいて太股を観客に顕すがごとき所作はこれを禁ずる。
10. 前条項に抵触せざるも著しく性的劣情を挑発するがごとき所作、服装をなし、または必要以上の残虐なる所作はすべて禁ずる。

いきなり「ヅロース」が登場して読むだけでも<性的劣情>の極みであるが「照明を以て」云々というのは<透けるからダメ>ということだそうで。

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