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“8月27日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1957=昭和32年  東海村の日本原子力研究所の実験炉にわが国初の「原子の火」がともった。

これが2011年だったら、多分、紹介しなかっただろうが3.11の東電福島原発事故を経験したことで、この日が<原点>と思うようになった。
毎日新聞は夕刊の一面トップで「けさ五時二十三分、東海村原子炉で連鎖反応」「第三の火ともる」と大きく報じた。社会面は「報道陣に点火成功を手をあげて知らせる阿部企画課長」。他面にもグラフが組まれて原子炉の写真など関連ニュースで埋められている。実験に使われたのはアメリカ製のウオーター・ボイラー原子炉でその2年前のインドの国産原子炉に次いでアジアでは2番目だった。

紙面には「よかったよかった」「これで日本もやっと」「原子力が拓く明るい未来」などの<喜びの声>ばかりが目立つ。郵政省は「原子炉竣工記念」の10円記念切手を発売。地元東海村でも「祝・第一号原子炉完成」の喜びを伝える写真。つまり国をあげての慶祝ムードが繰り広げられたわけだ。直後から修学旅行コースへの採用や見学申し込みが相次いだことも思い出す。さらに1963=昭和38年10月26日には英国製の動力試験炉が初めて原子力発電に成功した。同日、日本が国際原子力機構に参加したことでこの日が「原子力の日」として制定され、これまた同じくめでたいニュースとして紹介された。

日本原子力研究所は旧動力炉・核燃料開発事業団とともに2005=平成17年10月に独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)に統合されたが、縮小されたとは聞いていないから当然ながら内部では細かな<分裂と肥大>を遂げているのでしょう。紹介したふたつの原子炉はすでに廃炉になり解体されたが、より効率の高い新型原子炉に替えるためである。「第一の火」は原始人の焚き火のような直火、石炭、石油などの火、「第二の火」は電気、ダイナマイトなどの火薬、そして「第三の火」が今回の原発事故を契機にあらためてもう一度<原点>に立ち返って考え直すべきといわれている原子力なのである。

*1937=昭和12年  愛知県挙母町(現・豊田市)にトヨタ自動車工業が設立された。

豊田佐吉が創業した豊田自動織機製作所の自動車部が独立したもので資本金は1,200万円、翌年末にトラック月産1,500台の生産体制を整えたが乗用車の量産は戦時経済体制の中では進まなかった。わずかに陸軍用のトラックを生産したが物資不足もあり困難を極めた。愛知の工場は終戦でかろうじて爆撃をまぬがれ、戦後も1950=昭和25年のドッジ・ラインに伴うデフレで経営危機に陥ったが朝鮮戦争の勃発による軍用トラックの特需でようやく倒産を回避できた。

豊田佐吉につながる豊田家のほうは「とよだ」。創業当初のロゴは「トヨダ」で英語では「TOYODA」だった。それがトヨタ自動車工業設立の前年に行われた新トヨダマークの公募で約2万7千点の応募作品から選ばれたのは現在の「トヨタ=TOYOTA」だった。デザイン的にもスマートで画数が8画で縁起がいいのも決め手になったとか。もっとも個人名から離れたことで企業も<社会的存在>であることを示したともいえますな。

ちなみに奈良時代からずっと続いた地名の挙母(ころも)は『古事記』に垂仁天皇が7人の妃に産ませた16人のひとり中津日子命が尾張国「許呂母別(ころもわけ)の祖」と書かれている。「許呂」は鉄製品の意でやじりや刀剣などを鋳造する部民のことだから、転じた挙母が、日本だけでなく世界有数の自動車メーカーの誕生の地になるのも偶然とはいえ興味深い。1959=昭和34年に挙母市から豊田市に変った。

*1969=昭和44年  松竹映画『男はつらいよ』の第1作目が封切られた。

フジテレビで放映された同名の連続ドラマの人気を受けての映画化だった。詳しく言うとテレビの最終回でハブを取りに行った寅次郎が、逆にハブに咬まれて死ぬという結末に視聴者から抗議が殺到、これに松竹が飛びついて映画化につながった。原作・脚本はテレビと同じく山田洋次が手がけたが、わずか2ヵ月で書きあげ、監督として2ヵ月で撮影を終えるスピードぶりだった。寅さん(車寅次郎)役は渥美清で同じだったが妹のさくら役が長山藍子から倍賞千恵子に変った。

シリーズは当初5本で終了の予定だったが好評に支えられて続編が次々に生まれた。渥美の死去により<打ち止め>となるまで27年間で計48本が製作されて松竹のドル箱のひとつになった。たしか30作目を越えて作品数でギネスブックに認定されました。日系人の多いブラジル・サンパウロなどでは新作封切りのたびに満員御礼と聞いたこともある。

たしかに27年は長いですなあ。渥美もだけど柴又帝釈天(題経寺)の御前様役の笠智衆、おいちゃん役の森川信→松村達夫→下條正巳、おばちゃん役の三崎千恵子、たこ社長の太宰久雄とみなさん<渡し>に乗ってあちら側へ行った俳優も多い。あちらでも別の監督を頼んで何人か俳優の代わりを探せばシリーズが出来そうな気がする。

そんな下らないことを考えていたら寅さんに「それを言ちゃあお仕舞いよ」と言われそう。

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