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“7月26日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1825=文政8年  江戸・中村座で『東海道四谷怪談』が初上演された。

鶴屋南北が上方にのぼることになった「お岩」役の三世・尾上菊五郎の<お名残公演>のために書き上げた。南北は菊五郎の養父、初世・尾上松緑が怪談物を得意とした役者だったことや初世・菊五郎が同じく<お名残公演>で成功した『仮名手本忠臣蔵』を組み合わせることを思いついた。方法はそれぞれを二つに分けてまず一日目は『仮名手本忠臣蔵』の前半と『四谷怪談』の前半、二日目は『仮名手本忠臣蔵』の後半と『四谷怪談』の後半を上演するという企画だった。なぜそれが可能だったかというと『四谷怪談』は『仮名手本忠臣蔵』と同じ時代背景で、登場人物もそのまま“借用”して書かれたから。

『仮名手本忠臣蔵』は徳川幕府に配慮して時代を足利幕府のころに設定してある。浅野内匠頭を擬した塩冶(えんや)判官の即日切腹でお家取りつぶしになる。家臣の民谷伊右衛門はそのため浪人になるが、塩冶家に奉公していた当時に横領をはたらき、お岩と一緒になりたいばかりに親の四谷左門を殺すなど相当な悪人として描かれる。一方、隣に住むのは裕福な伊藤喜兵衛で、貧乏暮しにうんざりした伊右衛門はそちらへの婿入り話に乗り、喜兵衛はそれならと邪魔なお岩に顔が崩れる毒薬を飲ませて・・・と展開する。

私欲に迷い、女房のお岩を死なせた伊右衛門はその怨霊に悩まされることになるというこれでもかの展開。何せわが国を代表する怪談だから。『忠臣蔵』では討ち入りに参加組が<義士>とされたが、南北は参加しなかった、あるいは何らかの事情で参加できなかった<不義士>たちに、当時実際に起こった心中事件などを取り入れながら作品を構成していったことで空前の成功を収めた。

「母が形見のこの櫛も、わしが死んだらどうぞ妹へ、アゝさはさりながら、お形見のせめて櫛の歯を通し、もつれし髪を、オゝそうじゃ。今をも知れぬこの岩が、死なば正しくその娘、祝言するはコレ眼前。ただうらめしきは伊右衛門殿、喜兵衛一家の者どもも、なに安穏に置くべきや。思えば思えば、エゝ、恨めしや・・・」

『東海道四谷怪談』を上演するにあたっては関係者全員が<お岩さま>ゆかりの社寺にお参りして公演の無事終了を祈るならわしがある。お岩さまの芝居を勝手に上演するとたたりがあるからお岩さまに<許してもらう>のだと。怪談物なので舞台が暗いうえに仕掛けが多いため事故を誘発する可能性が高いからとされるが、要らぬこと書いて何かあってもいやだからこれにて。

*1953年  キューバのハバナ大学の学生百数十人がサンチャゴ・デ・キューバの軍兵舎を襲撃。

軍事クーデターで成立したバチスタ政権は親米政策をとりつつアメリカからの援助で独裁体制をめざした。それに立ち向かったのが学生組織や左派勢力で、弁護士のフィデル・カストロらはいったんメキシコに亡命、そこで知り合ったチェ・ゲバラらとキューバに潜入してゲリラ戦を展開し2年余りのキューバ革命を経て革命政権を樹立した。もちろん苦難に次ぐ苦難の道だった。

追い詰められたバチスタが亡命先に選んだのはトルヒーヨ独裁政権下のドミニカ共和国だった。結局、キューバには戻れず晩年はポルトガルで回顧録を書いて暮らし、73歳で心臓病により没。

*1900=明治33年  津田梅子による「女子英学塾」の設立申請が東京府知事から認可された。

場所は麹町区1番町の建坪83坪=274㎡の借家で、ここを校舎として9月12日には入試を実施、2日後に開校式を挙行した。現在の津田塾大学の前身である。それまでの「行儀作法」を中心とした女子教育ではなく進歩的で自由な、かつレベルの高い授業をめざした。

梅子は1871=明治4年の岩倉使節団に随行して渡米した5人の女子留学生のなかでも最年少の満6歳だった。その後、2度の留学で教育者として生きることを決意、父親や共に学んだアリス・ベーコン、留学生仲間の支援を得て開校が実現した。しかし身分差別のない女子教育をめざす道は厳しく、梅子自身も無給で奮闘したが何度も資金難に見舞われた。さまざまな無理を重ねた梅子は塾の経営が落ち着いた1919=大正8年に塾長を退き長期療養を続けたが10年後に64歳で亡くなった。生涯独身を貫いた梅子の墓は東京・小平市の津田塾大学の構内にある。

*1956年  エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言した。

封鎖されたスエズ運河はその後、国連平和維持軍駐留で封鎖解除された。2度の中東戦争でもそのたびに封鎖されたが現在は多国籍監視軍の監視で通行が保証されている。もっとも近年はアジア側の出入口にあたるアデン湾やソマリア近海での海賊の跋扈が大きな問題になり運河通過料などの高騰もあって喜望峰回りを選択する海運会社も増えているという。

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