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池内 紀の旅みやげ(最終回・50) 終着駅─横浜市・鶴見線

JR鶴見線は鉄道マニアの元祖宮脇俊三が書いて以来、ノリ鉄組の聖地のようなところらしい。京浜工業地帯の埋め立て地を走り、鶴見と扇町を結んでいる。これを主線とすると、支線が二本、まるでつり革のようにブラ下がっている。一方の終点は海芝浦駅、もう一方は大川駅。支線だから主線の分岐駅で乗り換える。宮脇本によると、海芝浦駅は東芝の敷地内にあるので、東芝あるいは東芝の関連会社の社員しか改札を通れない。駅のホームは海に突き出たぐあいで、殺風景ではあれ、多少とも水上都市アムステルダムに似ている──

鉄道マニアではないが、おもしろそうだから土曜日の社員コースに乗ってみることにした。ついでに鶴見の総持寺のお土産コーナーに寄ってこよう。禅宗の大寺は代々優れたシェフ僧侶がいて、肉・魚介類の代用品を発明してきた。そのうちのより抜きが土産として売られているものである。

たかが横浜の手前という意識があってノンビリしていたら、鶴見駅に着いたのが午後三時過ぎ。しかしまあ海芝浦まで十数分だから十分余裕がある。そのはずだったが、土、日、祝日の時刻表を見て愕然とした。午後は一時間に一本がせいぜいで、時間帯によっては0本もある。それでも海芝浦行きはまだいいほうで、大川駅へは朝、夕だけ。昼間は一本も走っていない。

「分岐駅まで行くと、そこから出る便があるじゃないか」

ひとり合点で主線に乗って、支線の分岐する浅野駅まで来たが、支線をつなぐ便など一つもない。すぐ前が広大な運河で、その向うは石油備蓄基地らしく、タンクがずらりと並んでいる。手前はJFEの工場。世間にうといのでJFEといわれても何の会社だかわからない。建物の巨大さ、敷地の広さからして大企業らしいことはわかった。冬の浜風は氷のように冷たいのだ。ふるえながら海芝浦行きを待っていた。

「海芝浦の駅」表示板。まさしく終着駅の雰囲気。ちょっと寂しげ。

「海芝浦の駅」表示板。まさしく終着駅の雰囲気。ちょっと寂しげ。

そのうち疑惑がきざした。目的地に着いたとしても、すでに冬の日が暮れかけている。社員しか出られない駅であれば、引き返すしかないが、0本の時間帯にぶつかると、一時間以上も身を切る海風にもまれていなくてはならない。むしろ鶴見にもどり、日を改めたほうが賢明なのではあるまいか。──主線の鶴見行きが近づいてくる。大あわてでホームを移り、明りのついた暖かい車内に走りこんだ。

この夜は川崎のホテルに泊まった。十数分の路線が二日がかりになるとは夢にも思わなかった。

翌日は用心して早朝九時に鶴見駅着。時間待ちに鶴見線のホームをブラついていて、昨日下車した浅野駅が、浅野セメントで知られる浅野総一郎にちなむことを教えられた。鶴見線は大正十五年(一九二六)、浅野総一郎が音頭をとって、鶴見臨海鉄道として開業。のちに国鉄に移管された。途中に安善駅というのがあるが、これは安田財閥の安田善次郎にちなむ。終点の扇町駅は、浅野家の家紋の扇を駅名にした。かつての実業家たちは平然として、公私を混同したとみえる。

無事、浅野駅で分岐すると、駅は新芝浦、海芝浦の二つだけ。おそらく一帯が、すべて東芝の敷地なのだ。どのような部局か、日曜出勤の人らしいのが十数人、終点で降りると浮かぬ顔で改札を出ていく。のこったのは当方ひとり。いや、もう一人いて、その人は改札の横の建物の戸口にいた。駅員だと思ってたずねると、東芝の守衛で、建物は駅舎ではなく守衛所だそうだ。改札も改札ではなく会社の入口である。頭ではわかって感覚的には終着駅の改札口に駅の事務室があって、駅員が立っているとしか思えない。

「やはり出られませんか」

会社の入口であって、そもそも出るための口ではないのである。

親切な方で、隅の時刻表を指さして注意を喚起してくれた。折り返しを乗り過ごすと、次の時間帯は便がない。お礼のついでにJFEは何の略字かたずねると、「昔は日本鋼管といった」という。おそろしく大きな埋め立て地のあちこちにJFEのマークがついているから日本を代表する企業と思われるが、こちらには実業団バスケットボールの強かった会社としか記憶にない。

ホームは確かに海の上に突き出ている。しばらく京浜運河と川崎港の風景をながめていた。煙突、クレーン、ベイブリッジ、赤白ダンダラ模様のタンク、どれも近づけばバカでかいのだろうが、遠くからだとあどけない。まっ黒な箱のような石油タンカーがゆっくりとやってきた。およそ殺風景な風景だが、これはこれで二十一世紀の詩情をたたえているようにも見える。

京浜工業地帯といわれてから久しいけれど、この風景もまた、妙に懐かしいような、たまに見るといいですね。

京浜工業地帯といわれてから久しいけれど、この風景もまた、妙に懐かしいような、たまに見るといいですね。

そのあと、総持寺に立ち寄って、誰が見てもアサリとしか見えないが、実は麩(ふ)でつくった漬け物というのをいただいた。炊きたてのご飯にのせてよし、酒のつまみによし。たしかにどう見てもアサリだが、アサリではなく、しかし味はよく漬かったアサリそのものだった。

【今回のアクセスは文中にあるので省略】

[お知らせ]

「池内 紀の旅みやげ」は今回をもって終了します。ながらくご愛読ありがとうございました。連載分は近く『ニッポン旅みやげ』(青土社)として刊行されます。

なお次回より「ヒトラーの時代」を始めます。ヒトラーは一九三三年に政権をとると、またたくまにドイツ国民の人気と信頼をかちとりました。いかにして短期間に国民をとりこむことができたのか。

その経過をたどり、「国民的英雄」が誕生するまでのさまざまなメディア戦略を考えていきます。どうぞご期待下さい。

(池内 紀)

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