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あと読みじゃんけん  (10) 渡海 壮  探検家36歳の憂鬱

子どものころから「たんけんか」に興味があった。長じてそれは「探検家」と書くことを学び、彼らが残した「探検記」を読むのが大好きになった。あこがれの探検家が活躍するのは南極や北極をはじめアフリカ、アマゾン、ヒマラヤ奥地など<地図の空白部>だった。気に入った探検家の名前をいちいち挙げないがざっと勘定しても数十人は下らないだろう。あこがれが高じて将来の目標を「探検家になる」ということにしたものの、氷に覆われた南極や北極は多くの命を奪った想像を絶する極寒の地だし、ジャングルに覆われたアフリカやアマゾンの奥地は未開民族だけでなく命を落とす未知の風土病の危険もありそうだった。単なるあこがれからというやわな動機だったし行先はどこでもよかったのだから、順番違いというか本末転倒だったわけで単なる夢に終わった。角幡唯介は<なれなかった私>がいまいちばん注目している探検家だから初のエッセイ集『探検家36歳の憂鬱』(文藝春秋)に、憂鬱なんてタイトルをつけるなんて「どゆこと!」と思ったのである。

角幡唯介著『探検家36歳の憂鬱』(文藝春秋刊)

角幡唯介著『探検家36歳の憂鬱』(文藝春秋刊)

北海道芦別生まれの角幡は早稲田大学探検部OBでチベットでは世界最後の空白部といわれたヤル・ツアンポー渓谷の核心部や、隊員129人全員が行方不明になったことで極地探検史上最悪の悲劇となった19世紀の英・フランクリン遠征隊の謎を求めてカナダ北極圏1600キロを踏破した。帯の写真はそのときのものだろうか。「生のぎりぎりの淵をのぞき見ても、もっと行けたんじゃないかと思ってしまう」。こんな惹句が目に入ったら、もう読む前からわくわくしてしまう。

探検家になりたいという夢だけで終わったヘナチョコの私が言うのは生意気かもしれないが、冒険とは個人にとってあくまで主体的なものだ。今こそ冒険が必要な時代だとしてもそんなものなどなくても生きていけるし、豊かな世の中だから社会生活で失敗しても飢えることはない。ところが冒険家の力量や精神力が試される極限の世界では、存在そのもの、つまり命があっけなく奪われる。角幡の肩書は「ノンフィクション作家・探検家」であるが、探検することで生計を立てているわけでなく探検したことを文章に組み立て直すことで原稿料を手に入れる。あるいはその派生として講演やテレビ出演もあるかもしれない。一時は新聞記者をしていたこともあって文章力もあるし、朝日新聞の書評委員をつとめたこともある。これまで手にしたのは開高健や大宅壮一の名を冠するノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞、新田次郎文学賞などであるが、自身は「探検家」という希少種で勇ましい存在であることにこだわり続ける。

そんな角幡であるが一方では探検そのものや取り巻く時代の流れを冷静に分析している。フランクリン隊の場合、当時の北極海における北西航路の発見は、英国社会の大きな関心事で国家事業そのものだった。70年代の米国のアポロ計画や、現在中国が国をあげて推し進めている宇宙開発事業に近かったと思われる。大衆は北極探検に熱狂し、フランクリンは月に第一歩をしるしたニール・アームストロングのような時代を代表する英雄だった。エベレストが未登峰だった時代にも初登頂を目指して死んだ登山家のジョージ・マロリーは、世界最高峰に挑戦する理由を聞かれて「そこに山があるからだ」と答えたというが、別にそんな気障なセリフを吐かなくても①世界最高峰と②未登峰という二つの社会性が備わっていたので冒険をしない人にも登頂を目指す理由は比較的分かりやすかったはずだ。

1990年代以降、社会のポストモダン的な状況が進展したことも、冒険の世界から大きな価値が失われた、ひとつの要因であるように思われる。冒険する価値のある対象が地球上から失われてしまっただけでなく、仮にそれがあったとしても、もはやそうした大きな価値観自体が社会の関心をひかなくなったという事情もある。例えば1999年にエベレストに登頂した野口健や、その後の石川直樹、現在の栗城史多(のぶかず)といった、従来の登山家像とは異なる「エベレスト登山家」たちが、既存の登山界からの反発と嫉妬を受けつつも、お茶の間の支持を受けた理由は、彼らがエベレストそのものの物語を描いたからではなく、非力な青年が世界の最高峰に挑戦するという自らのヒューマンドラマを描いたからであるという。

探検から冒険へ、角幡は学生時代に読んだ本の中でも特に印象深いものの一冊として南米アンデスで体験した自身の壮絶な遭難劇を書いた英国の登山家ジョー・シンプソンの『死のクレバス』を挙げ、もしシンプソンが成功裏に登山を終えたとしたらこれほどスリリングな物語は書けなかっただろうと分析する。冒険の現場とは通常、冒険をしない人が考えるほどスリリングではない。冒険の最中は単調で退屈な時間が続くことが多く、人間のいない自然を相手に行う場合はことのほか顕著だ。冒険に行くだけでは面白い文章が書けないことが多い。北極を歩くという行為、スキーをはいてとぼとぼ氷の上を歩いているところを文章にしたところで、面白いことなんて何もない。
雪の上を歩いた。寒かった。飯を食った。寝た。
悲しいことにこのたった合計二十二文字しかない文章で、北極を冒険することのかなりの部分は説明されてしまっている。(シロクマを見た。という一文を加えてもいいかもしれない)北極の冒険とは何かを私なりに定義すると「文章で表現すると数行で終わってしまうようなことが何十日間も続く行為」ということになる。単独行だと仲間同士の会話さえなくなるので、なおさらである。つまり、冒険はノンフィクションには適さないのであると。

そりゃそうだろうなあ。ツアンポー渓谷で死を意識したものの結果的に生還できたからこそあの『空白の五マイル』(集英社、のち文庫)が生まれたのだろうし、自身が振り返るように絶望の淵で死を覚悟したことで「ひと皮むけた」ことは確かだろう。<死の危険>と常に隣り合わせであることも逆説的ではあるが冒険の魅力だから。「あとがき」で角幡は、今回のエッセイや雑文にはなんの自己規制なく「雑念」を書くことができた。本のタイトルに「憂鬱」というネガティブな語感を伴う言葉を選んだのも全編を通して流れる自己否定的なニュアンスを、この言葉がうまく表現している気がしたからであると書いている。合間にはさまれた日常そのままのブログ記事にもクスリと笑わされることが多かった。

ただし、「私の中には、エッセイストという肩書をいつか名刺に加えてやろうというただならぬ野心が、ふつふつと湧きあがっている」というのだけはもうしばらくはお預けにしていただきたい。ファンとしては「探検家・角幡唯介」の生きざまと、ノンフィクションをまだまだ楽しませて欲しいからである。

*『探検家の憂鬱』角幡唯介、文春文庫(2012)

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