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書斎の漂着本 (34)  蚤野久蔵 帝国大学入學提要  

東京・文信社編輯部編の『帝國大学入學提要』は、【昭和四年度新版】とある通り、この年の9月13日に発行されている。いまどきの受験参考書ジャンルでは「過去問」ということになろうか。大きさは縦19 cm、横10.5 cmで、新書の縦を1.5cmほど大きくしたサイズといったほうがわかりやすいだろう。本文は67ページだが、付録に大正15年度から昭和4年度まで4年分の入学試験問題集272ページが付いて定価は1円30銭である。古書店の「特価本コーナー」で見つけた時には発行元の文信社が「どこかで聞いたことがある名前だな」と思ったものの思い出せなかった。「特価本コーナー攻略術」などあるわけないが、わが戦術は「迷ったら買い!」である。もっとも「あなたの場合は、安いから、ま、いいかでしょう」と突っ込まれそうだけど。

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入試問題は各大学の先生が作成するから、当然ながらそれぞれの傾向が出るわけで、その対策は・・・と書いていて受験生の頃になじんだ「傾向と対策」ということばを思い出した。ごくありふれた二つの言葉をワンセットにしたのは学習参考書大手の旺文社で、あらゆるところに使いまくるものだから<専売特許>と揶揄されましたねえ。

行きつけの大型書店で、日頃は縁のない受験参考書コーナーをのぞいたら、教学社の「赤本」と河合出版の「黒本」という<二大勢力>が棚を独占していた。店員さんに聞くと大学受験の「赤本」は各大学の学科別で、センター試験中心の「黒本」はノンジャンルなのだそうだ。どちらも解説・解答付きで価格は「赤本」の税込み950円に対し、「黒本」は1,000円で、こちらは英語リスニングテストのCDまで付いている。この価格でやっていけるのは系列進学ゼミのPRということもあるのだろう。隣の棚の公認会計士、税理士、ケアマネージャーなど各種受験参考書の棚の題名にも「まる覚え」「最短合格」「出る順」などが目立つものの題名の「傾向と対策」は見当たらなかったから、キャッチコピーとしては古びてしまったというか、時代の流れではあろう。

寄り道していると思われそうだが、いまどきの「過去問」を取り上げたのは『帝國大学入學提要』との相違点を紹介したかったからである。いちばんの違いは「過去問」には当たり前のように付いている模範解答や解説がなかったから、自分で問題を解く必要があった。いまも昔も<敵を知り己を知れば百戦危うからず>までは変わらないが、各大学の入試傾向がわかったら、自分なりの対策、いや勉強をしなければならかった。もっとも、自分で解答してみることで「己の実力」がよくわかるはずである。

『帝國大学入學提要』の冒頭では「冷淡なる現行制度」と題して「現在の高等学校は高等普通教育を授けるところで大学の予科ではなくなった。北海道、京城、東京商科大学のように予科制度のある大学もあるが、事実は高等学校を卒えただけでは社会が相手にしないし、学問研究も単に糸口だけを与えられたに過ぎないもので、社会に職を求め、研究を続けるにはどうしても大学の門をくぐらなければならない。ところが文部省も大学当局も(受験制度を)冷淡視している」として、ある帝國大学を三年連続で落ち、某私立大学へ入学した例をあげて「しかし当局は彼に一掬の同情も持たない。責めは彼にあるのだから制度がこうある以上は、よくよく自分の能力、将来の仕事を見極め、充分熟慮したうえで、いかなる大学、学科に向かうべきかについて態度を決せねばならぬ」としている。それを前提にしたこの解説もまわりくどいし、いささか冷淡であるまいか。さらに学部学科の選択については「同じ文科系統であっても分かれた各部の相違は実に天地の差も甚だしいものがある。それは単に攻究する科目の差異のみならず卒業後の一生の生活を支配するところのものである。もっとも人間はある程度までは適応性があるのであって<住めば都>のたとえのように多少の差異は無視してもいい場合もあるが、これも程度問題で、自分の不適当の学科を出たために大学生活を棒に振ったという例も少なくない」と警鐘を鳴らす。

こうした「一般論」が延々と続いたあとで本文の半分近い30ページ以上を割いて紹介されるのが東京帝国大学の入学試験や卒業後の進路についてである。時代を反映しているのは、法学部は、「兎に角、官界における東大法科閥の根ばりはすばらしいもので殆ど絶対的といっても過言ではない」。医学部は、「陸海軍、鉄道、赤十字の病院、伝研(伝染病研究所)駒込、泉橋病院等に行くか、市内一流の病院に入るかで、背景が大東京を控えているだけに地方へ行くものは少ない」。工学部は、「もう5月になれば卒業者三百十余名中八九割は何れかへ売れて行く。その中、役人が一番多く、次が三菱系の諸会社、満鉄その他の順である」としている。ところが理学部では「ほとんどが教員であり、次が官庁民間技術員であることは工科に似ている」に続いて「不景気のこの頃でも困難しない特徴を持つ。俗塵を追わず静かに自然を友とし宇宙を対象として悠々研究に耽らんとする好学の士にはもってこいのところである」というのがおもしろい。

関東大震災後に新設されたと思われる地震学科を「我が地震国にあっては益々重要視されるであろう」と紹介しているが理科系学科では必ず「特記」されているのが体格について厳重な試験がある点だろう。とくに医学部では「多忙な学科であるから殊に身体の強健であることを必要とする。健康に自信のない人は志望しないことを希望する。体格だけで不合格になる者が毎年少しずつあるのは残念である」、農学部では「学術試験にパスしたが体格検査で、あまり病勢が進んでいない者は来年の優先権を与えて1年休学させる」としている。

これに対して他の帝國大学などは「東京帝大のところでその概略を記したのでそれぞれの特色のみを拾う」としているものの京都、東北が3ページ、九州、台北が1ページ、その他の帝國大学に至ってはわずか6行だけなのは取材先がすぐ近くの東京帝国大学の先生方や学校当局に集中していたからだろう。

ところでユニークな問題として昭和3年度の東京帝国大学医学部の物理の問題のひとつに「端艇を漕ぐ時、櫂先にて水を泡立たせると、泡立たせざると、いずれが艇を進むるに有利なるか、その理由を説明せよ」がある。ねらいは、単なる勉強家ばかりではなくボートマンならよく知っている問題で<応用力>を試そうとしたのだろうが「ボートを知らないほうが却って良かったという結果になったとある。平生から真面目に普通の勉強さえしていれば驚くには当たらないし、医学部では身体強健で、かつのんびりした実力を持った人を歓迎する」としている。想像だが「泡によって浮力が増すから」などの珍答・迷答が多かったか。たまたま同じ水上スポーツのカヤックをやっているので知っているが、ボートマンの常識のひとつに「大きな泡で漕ぐな」というのがある。櫂=オールの先端部のブレードを水中に浅く入れるとその廻りに白い泡が発生する。泡は乱れた渦を生じさせてエネルギーを無駄に使うことになる。ブレードは艇を進めるための「梃子の支点」なので、エネルギーを吸収する泡がない方がよりスムースな流れとなるわけで後者が正解だが、出題者は<漕艇部出身>だったのではなかろうか。

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冒頭で出版元の文信社が「どこかで聞いたことがある名前」と思ったと書いた。そうだ、宮沢賢治が東京へ家出したときに校正係として勤めていた「東大赤門前の謄写プリント店」だったと思い出したのは帰宅後だ。「ひょっとしたらこの本も賢治が校正したのだろうか」と期待して賢治の伝記研究で知られる児童文学者の堀尾青史の年譜を調べた。それによると「文信社は謄写版で学生用テキストを出版していた印刷所で、大正10年(1921)1月、家出した賢治はアルバイト校正係として採用された。本郷菊坂町の下宿から歩いて通勤したが8月、妹トシ病気の知らせで花巻に帰る」とあるから、残念ながら時期がずれていた。

謄写版印刷を細々やっていた文信社も、その後は活版印刷も手掛けるようになり、奥付から東京だけでなく、大阪、京都、名古屋、九州に売捌所を契約していたことがわかる。ここにある発行者の石田嘉一が賢治の苦境を聞いて採用した人物だったのだろうか。

もうひとつ紹介したいのは『帝國大学入學提要』の<厚さ>についてである。古書ネットには東京都武蔵野市の古書店に昭和10年版がたった1冊だけ見つかった、価格は6,300円で「少朱線有、厚さ3センチ」とあった。その値段はさておき、わざわざ注記された厚さのほうに興味がわいた。手に入れた昭和4年版が半分の1.5センチだったのが6年間で厚さが2倍になったことになる。ならば、毎年度の新版が発行されるたびに厚くなっているのではないだろうかと考えた。
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次に全国の図書館の在庫データを検索したところ、東京大学の駒場図書館にこの本の前身の『帝國大学入學受験提要』と、同じ昭和4年版から11年版までが揃って収蔵されているが「禁帯出」だった。国立国会図書館には昭和7年版以降しかなかったが、たまたま近畿では彦根高商の流れをくむ滋賀大付属図書館の本館旧書庫に7年版と11年版があることがわかったので思い切って問い合わせてみた。いただいた返事は「表紙が外れたので現在修理中だが、本体の厚さはそれぞれ2.3センチと3.5センチです」ということだった。手元にある昭和4年版が1.5センチだから、想像した通り毎年厚くなっている。原因として考えられるのは毎年度、付録の問題を追録して発行したからだろう。あるいは「解答編」を付けたから厚くなったとも考えたが、それならもっと厚くなるか「別冊」になったはずで、やはり「付録は問題集だけ」だったはずだ。解答付き、ましてや懇切丁寧な解説まで付けるというのは当時というか戦前の<常識>ではなかったのである。

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