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“1月31日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1943年  史上最大の市街戦、スターリングラード攻防戦でドイツ軍の司令官らが投降した。

地名は1961年に現在のボルゴグラードに変わったがロシア連邦南西部の工業都市でボルガ川が西に大きく曲がる西側に開けた水陸交通の要衝である。モスクワの東南約900キロ、2014年冬のオリンピック開催地、黒海北岸のソチからは北東に約650キロで当時は製鉄所で作られる鉄材を生かして大砲や戦車などの兵器産業が盛んだった。

前年6月に始まったドイツ軍を中心とする枢軸国側のスターリングラードへの攻撃は8月23日に航空機2千機が千トンもの爆弾を投下し、数百台の戦車からの砲撃で数万人の市民が犠牲になった。150日に及ぶ戦闘のはじめに投入されたのは枢軸国側が27万人、対するソビエト連邦の赤軍は19万人で緒戦は枢軸国側が圧倒的に優勢だった。9月13日の総攻撃で炎に包まれた市街地の惨状をあるドイツ軍将校は手記にこう残した。

「スターリングラードはもはや街ではない。日中は火と煙がもうもうと立ち込め、まったく先は見えない。巨大な炉のように燃え上がる市街地は焼けつくように熱く、耐えられないので犬もボルガ川に飛び込んで必死に対岸へ泳いで逃れようとする。動物でさえこの地獄から逃げ出す。人間だけが耐えるのである。神よ、なぜわれわれを見捨て給うたのか・・・。」

これに対し、9月から2ヵ月にわたって準備された赤軍の反攻はすさまじかった。投入されたのは100万人の将兵と全戦車部隊の6割に当たる980両でレニングラードを包囲した。こう着状態のまま零下30度以下になる冬を迎えると枢軸国側は大量の死者を出していく。ヒトラーは50万人の将兵を動員して包囲網を突破する「冬の嵐作戦」を行うが失敗、ロシア側が「7秒に1人ずつドイツ兵が死んでいる」とプロパガンダ放送をしたように大量の戦死者を出し追い詰められていく。現地司令官と参謀全員がデパート地下に置いていた司令部を出て投降した2日後の2月2日に9万6千人が武装解除され戦いは終わった。

ヒトラーには共産党指導者の名前を冠した都市を占領することは政治的に大きな効果があるという計算もあったろうがもともと狙ったのはカスピ海西岸のバクー油田で、スターリングラードはそのための橋頭保にすぎなかった。それなのに60万人の人口があった市街地は戦争終了時にはわずか1万人足らずになり枢軸国側の戦死者は約84万人にのぼった。たったそれだけのために、である。

砲声の止んだ2日、モスクワでは祝砲が轟いたがドイツのラジオは「彼らは死んだ。ドイツが生きていくために」と報じ、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』を放送した。

*1895=明治28年  京都でわが国初めての路面電車の試運転が行われた。

七条ステーショ(京都駅)と伏見油掛町間6.7キロで、京都・伏見間には交通機関がなかったこともあるが酒造業者などを中心とした伏見財界人が京都商工会議所から独立しようとしていたのをつなぎとめるための策として市南部への路線開設を決めたとも。アメリカGE社などから計6両を購入して車体上部は日本で作った。

人力車並みの時速10キロで運転席は吹きさらしだったから雨の日はみの・笠姿で運転した。スピードが遅いので直前を横切る人が多く「先走り」と呼ばれる少年が昼間は旗を、夜間は提灯を持って電車の前を走り「電車がきまっせー、危のおっせー」と知らせた。

*1956=昭和31年  イタリア・コルチナの冬季五輪でスキーの猪谷千春が銀メダルを獲得した。

猪谷は当時24歳、世界の強豪95人が参加した男子の回転競技でオーストリアのトニー・ザイラーに次いで2位に入った。スキー、スケートを通じて日本人が3位以内に入賞したのは初めてで快挙に日本中が沸いた。

ソ連領になった千島生まれの猪谷はスキー指導者の父・六合雄(くにお)とジャンプ競技で鳴らした母・さだから指導を受けた。12歳で国内大会に優勝、前回のオスロ五輪では期待されながらも回転で11位、滑降が24位、大回転が20位に終わっていた。

*1957=昭和32年  伊豆大島・勝崎浜でアワビ漁をしていた漁師が海底から小判8枚を拾った。

島の北部の水深15メートルの磯で見つかったのはもちろん本物の1両小判だった。その後も2月2日までに73枚、さらに1分銀59枚も見つかった。このニュースに島は沸いた。見物客を乗せた「小判遊覧船」まで出る騒ぎになる。最終的に見つかった小判は103枚で、1分銀と合わせて当時の時価で100万円と報道された。

この話には後日談がある。発見は漁船3隻が数週間出ての成果だった。衆目注視だけに警察に届けたため<所有者不明の遺失物>として半分は国庫に納まった。残りを3隻で分けたが結局は<経費倒れ>になってしまったという。

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