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季語道楽(47)虚子意気軒昂!     坂崎重盛

さて、先行するもう一人の巨人・虚子︱︱“花鳥諷詠”“客観写生”を唱えて、正岡子規のあとをつぎ「ホトトギス」を根城に、俳壇を牛耳ることとなった虚人、いや巨人、高濱虚子が編者となった歳時記、そしてさらにポータブル、いやポケッタブルな(いわゆる袖珍本(ル・しゅうちんぼん)、季寄せを見てみたい。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

手に取る。『改訂 新歳時記』。まずは奥付を見る。昭和九年十一月 三省堂発行、昭和十九年七月改訂 三十二版発行(10、000部)とある。戦前、戦中の時代、歳時記で、この増刷ぶり、さすが虚子宗匠の編であり「ほとぎす」同人たちの力である。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

さて、「序」に目を通そう。歳時記の「序」や「まえがき」には、その編者の俳句に対する“思想”“心情”が語られる。重ねて言うことになるが、ぼくが、雑食動物のように“歳時記”と見れば捕獲し、自分の部屋に持ち帰ったのは、その「序」、「まえがき」を、それぞれ比較、チェックする娯しみを味わいたかったためである。

ここに至って、大虚子の『改訂 新歳時記』の「序」に接することができる時となった。この、葉書大、暑さ2・5センチに満たない『新歳時記』、今回初めて気がついたのだが、濃緑クロース装の表紙には、ほとんど目立たないが空箔圧(からはくお)しで、右から「花鳥諷詠」と読めた。

さすが虚子歳時記、秘かではあるが表紙に自らのモットーを刷り込んでいたのだ。︱︱(「花鳥諷詠」に意を同じくする輩のみ、この歳時記を手にすべし!)︱︱と宣言しているようなものだろう。虚子の気迫にワクワクする。さっそく「序」に当たってみよう。

一言にしていへば文學的な作句本位の歳時記を作るのが目的であったの

である

と冒頭のことばについで、すぐに

が、季題に就て多少の考もあった所から其點を明かにして一般の注意を喚

起したい心持もあり、従来の形式に囚れない革新的な意図も少しはあった

のである。

と「革新的」、歳時記編集の「意図」を明らかにしようとする。また、その前に「季題」に就いて多少の考」どころではなく、「花鳥諷詠」を唱える以上、季題に関しては強く思うところがあったのにきまっている。

「以下其等の点について少しく述べてみたい」とあり、虚子の思いが語られる。その要点を、本文引用しつつ紹介したい。

[季題の取捨] 季題は俳句の根本要素であるが、既刊の歳時記を見るに唯

集むることが目的で選択といふことに意が注いでなく、世上一般の字書の

顰(ひそみ)に倣(なら)ふことが急で作句者の活用に供するといふ用意

が欠けてをったかと思ふ。

と、すでに刊行されている他の編者(もちろん、ほとんどの編者は俳人、しかも結社の主頭)の歳時記に対し、ダメ出しをしている。そして、この、自らの歳時記は、

現在行はれてゐるゐないに不拘(かかわらず)、詩として諷詠するに足る季

題は入れる。

世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。

語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で作句に不便なものは改め或は捨

てる。

等々で

要は文学的に存置の価値如何にある。

とし、

実に季題の整理といふことが此の歳時記の一つの目的であった。

と言明している。くりかえしになるが、「季題の整理」が、この歳時記の目的であり、特質であるとのこと。

[季題の決定]では

季の決定も亦俳句では重要な事柄で、従来の歳時記にも相当顧慮されてを

るやうであるが季の決め方が各書甚(はなはだ)まちゝゝで全面的に信頼

すべきものが無い。

と断定、

本書は季を決定するについてはあくまで文学的見地から季題個々について

事実、感じ、伝統等の重きを為すものに従って決定した。

とし、例として「牡丹より藤は遅いに不拘(かかわらず)、牡丹を夏とし藤を春」、「朝顔、木槿(むくげ)は夏から咲き、西瓜、蜻蛉も寧(むしろ)夏が多いのに秋」としたという。

[解説]については

簡単にして要を得るという信条の下に博物的な叙述を避け事実に即し句作

上必要なことに止めた。

[例句]は

例句は初心者の指針ともなり歳時記の実際的価値を左右する一つでもある

から其選定に重きを置いた。

以上、昭和九年、刊行時の、高濱虚子による記。

この「序」を読めば誰でも気がつくのは、この歳時記が俳句を作る人のみを対象として、いわゆる日本の季節の俳句的インデックスを避けている点である。つまり、一般読者は最初から相手にしない、という虚子の俳句に対する厳しさ、気持ちの強さの証明でもある。

本文の頁を開いて、季語や例句の拾い読みをする。「序」で、例句は初心者のための指針、また歳時記の価値を左右するため、その選定に「重きを置いた」︱︱と述べているこの歳時記の、多くの季語の例句の最後に虚子自身の句がふんだんに掲げられているのは、いかにも大虚子ならではの自信、あるいは堂々たる自慢ぶりか。

自慢といえば、この歳時記の「序」のあとに「改版に際して」という本版から五年後の、もちろん虚子による記述がある。これまた、微笑を誘う自慢ぶりで、いっそ気持ちいい。引用します。

三省堂から、あまり沢山版を重ねたから改版したい、それに就(つ)いて

は増刷訂正する処(ところ)があれば此際(このさい)にして貰いたい。

と、いうことで、この『改訂 歳時記』が新版として刊行されたことを告げている。「あまり沢山版を重ねたから」というのは、もちろん三省堂の“ヨイショ”を含めた言葉だろうが、それをそのまま「改版に際して」の冒頭一行目にもってくるところが、虚子ならではの、よくいえば素直さ、ほれぼれするほどの田紳ぶりなのだろう。

さすが、帝都東京の新名所、竣工なった東京丸ビルに“俳句の結社”「ホトトギス」の編集部を拠点にすえた虚子である。江戸や、その意気を受けつぐ東京下町的、小粋や洒脱などということとは無縁なのである。

と、つい大虚子宗匠をイジりたくなってしまうぼくなのだが、机の上に虚子の関連文庫本が、一、二……九冊積んである。いつのまに、こんなに虚子本を入手したのだろう。当然、虚子の考え方や言葉に、我知らず関心があったのだろう。カリスマ虚子の磁力か地力に引き寄せられたか。これまた、自分の覚えのためもあって、列記しておこう。

俳談 著:高浜虚子

俳談 著:高浜虚子

覚えておきたい虚子の名句200 著:高浜虚子 編:角川書店

俳句への道 著:高浜虚子

俳句への道 著:高浜虚子

俳句とはどんなものか 著:高浜虚子

俳句とはどんなものか 著:高浜虚子

虚子俳話録 著:赤星水竹居

虚子俳話録 著:赤星水竹居

風流懺法 他三篇 作:高浜虚子

『俳句への道』(一九九七年一月、岩波文庫)

『俳諧』(一九九七年十二月、岩波文庫)

『虚子五句集』(上)(一九九六年九月、岩波文庫)

『虚子五句集』(下)(一九九六年十月、岩波文庫)

『俳句の作りよう』(平成二十一年(2009)七月、角川ソフィア文庫)

『俳句とはどんなものか』(平成二十一年(2009)十一月、角川ソフィア文庫)

『覚えておきたい虚子に名句200』(令和元年(2020)、角川ソフィア文庫)

『虚子俳話録』(著者は赤星水竹居/昭和六年(1978)六月 講談社学術文庫)

『風流殲法他三編』(一九三四年、岩波文庫)

︱︱以上だが、『虚子俳諧録』の著者、赤星水竹居とは三菱地所の社長で、かの丸ビルのオーナー!。また『風流殲法』は俳句本ではなく、虚子が、句の世界から、漱石の影響もあって小説の世界への脱出を試みたときの遺産。のちに、知られるように虚子は俳句の世界に立ち戻り、心機一転、俄然、存在感を示すこととなる。

せっかく、積んである虚子関連文庫本、しばらくマス目を埋める筆はおいて、一夜、これらの本のつまみ読みを楽しむこととする。当然、原稿はストップだ。

 

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