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“7月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1885年  パリのパスツール研究所にこの日、狂犬に咬まれた少年が運び込まれた。

細菌学者のルイ・パスツール(1822―1895)はこの少年に、開発したばかりのワクチンを接種した。1865年に脳卒中で倒れ左半身が不随になる後遺症があったが、熱心な研究ぶりは変わらなかった。当時のパリは野犬が至る所に出没、狂犬病も高い確率で蔓延していたから病犬に咬まれて命を落とす人が多かった。研究でようやく狂犬病はウイルスが原因と突き止めたものの、当時の顕微鏡の倍率ではウイルスそのものを確認することはできなかった。理論上はワクチンさえ開発できれば予防できるのではないかという確信はあったが、臨床での応用は初めてだったから、博士だけでなく研究所のメンバー全員が<祈るような気持ち>で経過を見守った。しかし心配された副作用もなく少年は何事もなかったかのように快方に向かい、これが狂犬病から人類を救った最初のケースとなった。

パスツールは結核菌やコレラ菌などの発見で知られるドイツのロベルト・コッホとともに「近代細菌学の開祖」と呼ばれる。その遺骸はノートルダム大聖堂からのちにパスツール研究所の地下聖堂に改葬された。

こんなエピソードがある。第二次世界大戦下の1940年6月14日、ドイツ軍の進攻によってパリが陥落。パスツール研究所はドイツ軍に接収され、地下にある博士の墓が暴かれそうになった。その時、65歳のヨゼフ・マイスターという守衛が地下通路の鍵を渡すのを最後まで拒み命を絶たれた。彼は子供の頃、狂犬に咬まれたが博士に命を救ってもらったことがあり長じて研究所に勤めるようになった。「ああ、それが最初に治療を受けた少年か」と思われるかも知れないが、あいにく彼は<3番目>だった。命に代えても恩人の墓を守ったという実話だから、ここは正直に書いておかなくちゃ!

*1936=昭和11年  徳之島からスカウトされた無敗のワナ号が沖縄で最終戦に臨んだ。

大山闘牛場(宜野湾市)には朝から灼熱の太陽が照りつけていた。赤土の赤銅色がまぶしい「土俵」は乾ききり、すり鉢状の観客席を埋めた闘牛ファンの熱気と興奮がさらに闘牛場全体を“熱く”していた。沖縄全島だけでなく周辺の島々からも泊り込みでファンが集まり、闘牛場には暗いうちから長い列ができたので主催者側も混乱を避け早めに開場して対応した。お目当ては2年前の沖縄デビュー以来、一度も負けたことがないというワナ号で闘牛が盛んな徳之島からやってきた。沖縄の闘牛はそれまでは農耕牛を使い各地区の農閑期の余興として楽しまれていたので初の試みだった。しかも借り賃や運搬賃、飼育料を賄うために周囲の猛反対を押し切り入場料(50銭)を取る<興行化>に踏み切った。闘牛場自体も土俵と整備拡張した観客席の間に安全柵を設けショーとして楽しんでもらうように工夫した。ワナ号は沖縄では向かうところ敵なしといわれた楚辺アヨー号という体重は720キロで重量牛の中では小柄なのに俊敏さを持つ強豪牛が「強すぎて面白くない」という状況に変化を付けようと連れてこられた。体重870キロで角は45度の角度で真っすぐ伸びて普通の牛の2倍はあったが興行主としては「まあ、適当にやってはくれるだろう」という程度の期待だった。観客もアヨー号の圧勝を期待した。150キロの体重差はあったがそういう相手を何度も破って来た地元牛だったこともある。

2年前の沖縄でのデビュー戦を再現する。
序盤、ワナ号が頭を下げて突っ込むところをアヨー号は難なくはじき返した。観衆は「やはり力の差は相当ある」とみた。すかさずアヨー号は「ハラ取り」を狙う。相手の腹を角で上に突きあげる得意の<合わせ技>だ。ところがワナ号はそれを横に飛んで受け止めると力強く押し返しながら前両足を折り曲げてアヨー号の首元に角を差し入れてはね上げた。たまらずアヨー号は土俵際まで追い込まれたが観客にはまだ余裕があり、反撃はこれからとひときわ大きな声援を送った。しかし一瞬、角を外すとアヨー号は逃げ出して勝負あり。わずか5分、新顔・ワナ号の圧勝だった。

以来、連戦連勝。<他島出身牛>に対抗するために沖縄でも専用牛が育てられるようになると基本の「押し」だけでなく「掛け技(カキヤー)」や「割り技(ワイー)」が発達した。対戦する牛にまず体力を付け勝ったときの得意技を覚えさせることで強い牛に育て上げる。それにより面白さが格段に増し、沖縄の近代闘牛のはじまりとなった。だから大山闘牛場の観衆もワナ号の<強さ>を目に焼き付けるためにやってきた。2年前のデビュー戦とは全く逆である。相手は何度も対戦して負けたことがなかった赤納サイヨー号だったから興味は「ワナ号が相手を何分で倒すか」にあった。

ところが角を突き合わせた途端にワナ号はずるずると押し込まれ、何度やっても同じような戦いぶりでいいところなし。相手が決め手を欠いたから試合時間25分は防戦一方で終わり大ブーイングのなかすごすごと引き揚げた。敗因はこの日の暑さだった。数日続きの熱波が続き、ワナ号は前日の「角研ぎ」でもじっと立っていられず、絶えずよだれを流し、口で息をするほどだった。

勝負の世界は厳しい。理由はどうあれ相手だって同じコンディションだったのだから。農耕牛ではなかったから負け牛の運命として廃牛が決まり、肉牛として神戸に売られていった。それを知ったファンから惜しむ声が湧きあがったため急いで「買い戻したい」と電報を打ったが一足遅く、すでに処分された後だったという悲しい後日談が残る。

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