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“7月7日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1930年  午前8時30分、イギリス・ウィンドルサムの自宅で作家コナン・ドイル死す。

1859年、エディンバラに生まれた。エディンバラ大学で外科のベル教授のもとで学んで医者になったがこのベル教授がホームズのモデルとされる。少なくとも考え方や風貌、好んで身につけた服装などはそっくりだったのでしょう。死の前年、旅行中に倒れそのまま床についたのは<医者の不養生>だったか。享年71。

軍医としての従軍功績から叙せられているのでサー・アーサー・コナン・ドイルが正式名。シャーロック・ホームズシリーズは56の短編と4作の長編が書かれ、全世界で翻訳されているせいで、どこに旅行しても彼を知らない者はいなかったが、本人はホームズ人気には辟易していたそうで、ホームズのモデルが実在するのかと聞かれるたびに<おかんむり>だったと伝わる。

ということはドイルと名探偵ホームズは<切っても切れない関係>だから亡くなったことを「作家コナン・ドイルと名探偵シャーロック・ホームズともに死す」なんて書いたらとんでもないことになるかも。ホームズ殿、じゃなかったドイル先生。あなたが世界最初のボディービルコンテストの審査員をつとめたとか、出身地のエディンバラには「コナン・ドイル」というパブがあって熱烈なシャーロキアンの<隠れ聖地>になっているとか、これ以上しょうもないことは書きませんからかさねがさねお許しいただきたい。

*1937=昭和12年  中国・北京西郊、永定河に架かる「盧溝橋」で日中両軍が衝突した。

マルコ・ポーロの『東方見聞録』にも出てくる観月の名所でヨーロッパ人には「マルコ・ポーロ橋」として知られていた。衝突のときの中国は蒋介石を中心とした国民党政権だった。背景には共産党攻撃の最前線にいた張学良が国民党政権に対しが共産党と和睦して日本と戦うように強く求めたことがあったとされる。父の張作霖を殺され根拠地だった満州を日本軍に占領された張学良としては当然の要求だったろう。

衝突現場ではあくまで局地戦で納めようという努力が続いていたが、東京の政府=第一次近衛内閣は早々と軍の大部隊の派遣を決定した。マルコ・ポーロ橋の小さな火種はこれで大きく燃え上がり日本は長い戦乱の泥沼に引き込まれていった。

*1968=昭和43年  参議院選挙でマスコミでの知名度を生かした大量のタレント議員が誕生。

作家・石原慎太郎が空前の301万票で当選、青島幸男、今東光、大松博文、横山ノックらが上位で当選した。この第8回参議院選挙からテレビの速報や当落予想にコンピュータが導入された。もっともタレント議員という呼び名には皆さん猛反発していたけど。

*1958=昭和33年  国鉄の幹線研究会が東海道に新たに走らせる<超特急>計画を発表した。

満鉄の「あじあ号」を思い出すようなずんぐりした先頭車両に続く車両には横長の楕円形の窓がズラリと並んだイラストも紹介した。いまの新幹線を見なれている感覚からすると<クラシカル・モダン>とでもいおうか。窓は開閉しない「はめ殺し」構造だから楕円にできたのがちょっと斬新で、これならホームでカップルが窓をバックにして写真に収まればそのまま「フレーム」になる。車内からの眺めは楕円に切り取られることでオモシロそうだなどとすっかり乗車した気分になってくる。

余計な話はさておき、研究会は2年前の1956=昭和31年5月10日につくられた「東海道線増強委員会」の一部門だったようだ。名称の<幹線>にはまだ「新」はついていない。見出しの「東京―大坂、三時間で突っ走る」がどうして<夢の>と形容されたかというと当時の東海道線の所用時間を紹介するのがわかりやすい。

特急「つばめ」を例にとると、SL時代は機関車の運転士が各機関区交代だったから下りは東京・沼津・浜松・名古屋・米原・宮原とバトンタッチして東京―大坂間は9時間かかった。東京発午前9時の「つばめ」の大阪着は午後6時で、途中、ほぼ中間の浜松駅では機関車交換の5分間を使ってホームでラジオ体操を放送したらこれが名物になった。乗客も座りっぱなしは大変だったのでしょう。全線電化が実現したのは研究会発足と同じ31年の11月19日。ダイヤ改正で1時間30分短縮されても7時間30分かかった。電化後の平均時速は73.4キロに改善されたが所要時間3時間は<夢のまた夢>だったわけ。

ところで新聞記事には「めざすのは飛行機に匹敵する時速250キロのスピード、旅客は3時間、貨物は5時間で」とある一方で貨物について興味深いことも書かれている。「貨物は荷台部分を着駅で切り離す<ビギー・バック方式>を検討している」と紹介されている。現在のJR貨物が走らせているコンテナ貨物の新幹線版といったところか。貨物併用構想は新幹線が旅客専用になって結局プランからは外された。

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