1. HOME
  2. ブログ
  3. “1月13日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

“1月13日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1957=昭和32年  雑誌「旅」に新進作家・松本清張の推理小説『点と線』の連載が始まった。

年が明けた。
安田辰郎は、一月十三日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に一人の客を招待した。客の正体は、某省の或る部長である。
安田辰郎は、機械工具商安田商会を経営している。この会社はここ数年に伸びてきた。官庁方面の納入が多くそれで伸びてきたといわれている。だから、こういう身分の客を度々「小雪」に接待した。

清張を<発掘>してきたのは永年、編集長をつとめてきた戸塚文子である。「旅」は1917=大正6年に会員雑誌としてスタートしたが、戦後、GHQの命令によって市販を主とした旅行雑誌に軌道修正させられていた。交通公社出版局の傍流での出版という事情もあって制作費はひどく安かった。戸塚はそのなかで誌面を面白く一般の人にも喜ばれる方策として新人作家の小説を載せることを考えついた。しかも「旅」の読者は、旅の豊富な情報を喜ぶ人ばかりだから作家のネームバリューや単に流行作家というだけでは駄目だ。戸塚はこれらの条件――安い原稿料、旅マニアを満足させる面白さ、旅先とか列車、時刻表のからんだもの――を満たすためには「推理小説がいちばんいい」という結論に達した。

清張はその4年前に『或る「小倉日記」伝』で第28回芥川賞を受賞していたがそれまで「旅」に掲載していた3回のエッセイも原稿料は安かった。だが作品に盛られた土地の描写のたしかさや詩情や旅情にあふれた巧みな筆致で、旅先の地名が克明に入れられていた。しかも名所案内だけでなく歴史の考証にも目配りされたサービスに富んだ内容に戸塚は深い感動を受けていた。

新連載の仮題は『縄』、エッセイと同じ1枚1,500円が原稿料の約束で新年号からの開始を狙ったが国鉄幹線のダイヤ改正が行われた関係でひと月遅れになった。小説の冒頭を飾る特急「あさかぜ」が東京―博多間に登場するからという。「あさかぜ」が発車する東京駅の15番線はストーリーの展開に必要な横須賀線の13番線ホームからあいだの14番線に列車が入っていなくて<見通せる>時間は1日で午後5時57分から6時01分のわずか4分しかない。この「4分間」に重大な伏線を秘めるプロット構成などをダイヤ改正で念のため確かめておきたいということで2月号からの<発車>となった。最後まで<仮>だった題は『点と線』に変更されていた。

こう紹介すると連載は順調に進んだと思われるかもしれない。ところが清張は同じ時期に「週刊読売」に『眼の壁』を連載し始めていた。しかも週刊誌だから毎週締め切りがある。加えてそろそろ売れるようになっていたから他の原稿も抱えていた。結果、毎月のように締め切りを大幅に遅れ、資本系列が同じ印刷所でも音を上げるほどで担当編集者もノイローゼで2人も代わった。ある時は九州まで追いかけてようやく原稿を手に入れたほどだから「ダイヤ改正を確かめてから」というのももっともらしい言い訳だったかもしれない。

連載は最初の予定通り1年間、12回でなんとか完結したが、光文社は連載当初から単行本での発行を交渉していた。連載を読んで感動した出版部の神吉晴夫は早速、練馬に住んでいた清張を訪ねて交渉した。答えは「光文社から出版してもらえるなら、印税なんかいりません」というものだった。素朴に感動してではなく朝日新聞の広告部に長年勤めていた清張は光文社の派手な宣伝ぶりを知っていたから<印税分を宣伝費にかけてくれるなら>というくらいの気持ちだったろう。

光文社は「カッパ・ノベルス」として連載終了直後の翌年2月に売り出すとこの年のベストセラーになった。連載と違っていたのは最初の「年が明けた」の一行が削られていたことくらいだが光文社のほうは締め切りの心配もなく<完成品>を手に入れたことになる。同時発売の『眼の壁』に続いて『ゼロの焦点』『波の塔』『砂の器』と<清張シリーズ>で空前の推理小説ブームを作り神吉は社長に上りつめた。もちろん光文社は清張との約束を果たすようにその出身の朝日新聞に全5段の広告を何度も掲載した。

*1860=安政7年  勝海舟は家族に「チョイト品川まで行ってくるよ」とだけ言って家を出た。

「品川まで」に嘘はなかったが、そのまま幕府の軍艦「咸臨丸」で太平洋を渡りアメリカに行ってしまったのである。「軍艦操練所教授方頭取」として海舟はキャプテン=艦長を引き受けたが家族に心配をかけまいとしたのかもしれない。それとも外でのあれこれを家庭には持ち込まない主義だったか。そうでもなければ帰国したのが5月5日だから大騒ぎになった筈である。

「咸臨丸」には軍艦奉行の木村摂津守がアドミラル=提督だったがアメリカ海軍の測量船「クーパー号」の艦長ジョン・ブルック大尉が乗り組んでおり、ジョン万次郎が通訳をつとめていた。さらに木村の従者として福澤諭吉も乗船していた。勝は名前に「舟」は付いているが遠洋航海は未経験だったから航海中はずっとひどい船酔いに苦しめられた。内心では<品川までにしておけばよかった>と思っていたかもしれない。

関連記事