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“11月19日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1863年  アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが有名な「ゲティスバーグ演説」を行った。

「人民の、人民による、人民のための政治」というフレーズで締めくくられるわずか272語、1449字の2分間のショートスピーチである。ペンシルベニア州のゲティスバーグは南北戦争の激戦地だった。戦いは北軍が勝利して戦争の流れが決したが双方で2万数千人の死者を出した。演説は戦場跡に作られた国立墓地の戦没者追悼式典で行われた。

元上院議員のエヴァレットが2時間もの大演説をぶったあと登壇した大統領にカメラマンたちが気付かないうちに演説が終わったため写真も残っていない。たまたまその内容をメモしていたひとりの記者が紙面に残したことで有名になった。リンカーンは「国民=citizen」を「人民=people」とし「合衆国union」ではなく「国家=nation」を使った。南軍として戦った南部諸州=南部アメリカ連合国の人々に気を遣ったわけで、北部=アメリカ合衆国ではなく<分け隔てないすべての人民>に呼びかけたことが感動を呼んだ。

エヴァレットは翌日、大統領に手紙を書き送った。「閣下が2分間で到達されたこの式典の核心に、私が2時間かけてようやく近づくことができたとうぬぼれさせてもらえるならうれしい限りです」
こちらも負けていないというか反省しないというべきか。

*1930=昭和5年  富士紡川崎工場の大煙突の「煙突男」に記者が突撃取材した。

当時、工場は賃下げ・首切り反対のストライキ中だった。男は3日前の16日早朝、高さ40メートルもある煙突に登り赤旗を振ってスト応援演説を繰り返した。会社側は放水をしようとしたが高すぎて届かなかった。すぐ下まで登った消防士の説得にも男は聞き入れず、近寄ると飛び降りるそぶりを見せたためお手上げだった。

工場跡地は現在、川崎競馬場になっているが当時は周辺にビルはなく大煙突は市内のどこからでも見えた。昼間には事件を知った見物人が連日押し寄せておでんの屋台なども出る騒ぎになっていたが発生から4日目ともなるとまったくのこう着状態になった。警備陣も縮小され男の名前もわからないのでは取材陣も記事の書きようがない。そこで「時事新報」の記者・加藤重六は男に<突撃取材>することを考えた。

この日夜、現場を訪れたところ、警備陣の数人が離れたところで焚き火にあたっていた。たまたま知り合いの警察署長がいたので「こんばんは」とあいさつして鉄条網の中に入った。煙突の高さ40メートルといえばビル12階分にあたる。署長はまさか加藤が煙突に登るなどとは思わなかったので通した。煙突の下を一周するとでも思ったのかもしれない。これが<大スクープ>のはじまりだった。

翌日の朝刊社会面にはトップ6段抜きの記事が躍った。「大煙突上の男の正体判明」「昨夜、百三十尺の頂上で記者と会見」「すすけた顔で人なつっこく語る」
富士紡百三十尺の大煙突てっぺんの男は果たして何者か。本社加藤記者はその正体を突き止めるべく決心して19日午後7時ひそかに煙突の下に立った。初冬の風はビュウビュウと気味悪い音を立てている。さすがに一種いいがたい感慨が迫る。

やっと厳重に鉄条網を巡らした鉄ばしごを発見して一段一段登り出した。十段も登ったところ、突如下ではただならぬ騒音が聞こえ「降りろ、危ないぞ」という鋭い叫び声。やがて上からは「おい上ってみろ、オレはいっしょに心中するぞ」と男の声。
恋人に会った気持ち。ホッとして上を見ると頂上はものの三間(5.4m)も離れていない所にまっ黒にすすけた<空の男>の顔。

記者:「どうせ死ぬ気ならその前に一度話そう」
男:「ダメだ。上るなら上ってみろ」
記者:「怪しいものではない。時事新報記者の加藤だ。ほら名刺を受取ってくれ」
男:「イヤ、時事新報君か。どうも大変だったろう。上がってこい」
ようやく頂上にとっつくがそこは直径5尺(1.6m)ぐらいのコンクリートで固められた上に3尺(1m)幅のブリッジが一周している。ブリッジの手すりは煙と油でつるつるになっている。

男:「最初は赤旗を立てたが寒くて、実はそれで頬かぶりさ」
記者:「食物はどうかね」
男:「まだたくさんある。タバコもマッチもまだ大丈夫だ。でものどがかわいてやりきれない」
  「君、すまないがそのオーバーをくれないか」
記者:「いや、オーバーはやれない。ではチョッキをやろう」
一問一答は25分間、空の男にいとま乞いして煙突を下りる。

「恋人に会った気持ち」というのもおかしいが、オーバーをねだられ、それを断ってチョッキを与える貧乏記者のやさしい心情がなんともほほえましいインタビューである。
この煙突男は当時23歳の田辺潔といい、妻との間に3歳の女児がいた。身元が判明したことで田辺の二人の兄や母親まで駆り出されて説得に当たり、男は21日に煙突から無事下ろされて幕となった。滞空時間は130時間、ストも急転解決した。

このあと工場でストが起きると会社側は真っ先に煙突の周囲にピケを張った。それでも模倣事件は起きた。<2代目>の煙突男は上野のパン工場の工員で、煙突記者は朝日新聞記者だった。

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