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書斎の漂着本  (19) 蚤野久蔵 ブラック・チェンバ

ブラック・チェンバというのはアメリカ国務省にあった「機密室」(MI-8)のことである。この組織を創設し、暗号の専門家として16年間在籍した著者が書いた<内幕もの>で、昭和6年(1931)8月に「米国はいかにして外交秘電を盗んだか?」という副題をつけて大阪毎日新聞社から緊急出版された。初版本だが、表紙のない裸本だから、安い割に面白そうだと入手したのだろう。

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『ブラック・チェンバ』(大阪毎日新聞社)

こちらが著者のハーバート・オ―・ヤードリなる人物で、国務省らしい建物の正面テラスで、ブラックスーツに蝶ネクタイの正装で写真に収まっている。そんなことはどうでもよろしい、と言われそうだが細巻きの煙草(シガ―)をくわえたなかなかのイケメンである。

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あらためてこの昭和6年という年を考えてみる。2年前の昭和4年(1929)10月24日にニューヨーク・ウォール街で始まった大恐慌が世界に広がり、オーストリアの中央銀行が破綻したのをきっかけに全欧州を巻き込んでいった。日本では前年11月、金解禁政策やロンドン軍縮条約を巡る統帥権干犯問題に不満を持つ右翼に浜口雄幸首相が東京駅頭で襲撃され、病状悪化で4月に総辞職。続く民政党の若槻内閣も党内の内紛で不安定ななか9月には関東軍による柳条湖事件が勃発する。その前月の緊急出版はどう受け止められたのか。まずは「奥付」から読み解いてみたい。

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右端の「翻訳」は大阪毎日新聞社となっている。版権を入手して例えば外信部など英語に堪能なメンバーだけでなく大学の先生や研究者に声をかけるなどして短期間で仕上げることを狙ったかもしれない。販売は自社=大阪と、首都圏で新聞を発行していた同系列の東京日日新聞の両社の読者をターゲットにした。もちろん、政府や軍部にも売り込みたかったはずだから価格の「金1円」も、同時期の出版物と比較したが「まあ、そんなものか」の印象である。

著者がなぜこの本を書くことになったのかについては最初の「原著者序」に書かれている。読みやすいように直して紹介する。

「書かれた世界歴史の中には、秘密外交の背景を包む<厚ぼったい>カーテンの後ろに隠された背景はほんの少しも触れられていない。背景とは何か?『機密室』だ。言い換えれば暗号局だ。そこでは専門家が外国政府の暗号電報に、眼を皿のようにして注いでいる。化学者が外交文書の封印を偽造し、外国全権の文書を写真に撮る。電信技手だった私は、米国政府内にこの『機密室』を創設し、全盛時には165名の男女職員を擁していた。しかし1929年に新国務卿(大臣)の命によって、『機密室』の戸は堅く閉鎖されてしまった。全ての列強が、それぞれの『機密室』をもっていることを知りながら、外交文書は不可侵のものだとあえて声明を出す勇気―純朴さと言った方が適切かもしれない―を持った最初の外交官はわが新国務卿だ。こうして米国暗号局の秘密活動は休止した。『機密室』が破壊されたのだから、その秘密を秘めておく理由は毛頭ない。『機密室』という秘密機構の内容を、こまごまと<冷静に暴露する>私の目的は誰にも妨げられないはずだ」

退職後や組織解散後も「永遠の守秘義務」が課せられるいまとは大違いではあるが、だからこそこの本が残ったということか。

『機密室』は各国の暗号電報などの情報を収集・解析するセクションで、その前提になるのは暗号そのものの解明である。成果としては当然だろうがアメリカとは<友好国>であった英国、フランスも含まれている。他にはヴァチカン法王庁、メキシコ、キューバ、スペイン、ニカラグア、ペルー、ブラジル、ドイツ、もちろん日本もある。

なかでも漢字混じりで話し言葉と書き言葉が異なる日本語にはいちばん苦労したようで、解読までのさまざまな裏話が書かれている。そのひとつは半年間、任務にあたった「マンヂ」という60前後の日本人の元宣教師が突破口を作ったことが紹介される。「日本側は1915年から1920年春までに11種もの暗号を作った」とか「1921年にワシントンで開かれた海軍軍縮会議中、日本側の暗号電報、全権本部への秘密訓電を含めて約5千通を解読して(米国)政府に送った」などを読むと改めて情報が<筒抜け>になっているのに驚く。

1921年は大正10年で、12月13日の会議では1902年以来続いてきた日英同盟が失効し、あらたに日・米・英・仏の4カ国の間で太平洋方面の現状維持に関する条約が結ばれている。その裏側で日本の動きはすべて<読まれていた>わけだ。

「特殊な成分であることが突きとめられた隠しインキ」「第一次世界大戦中、唯一死刑になったドイツの間諜(スパイ)ウイトケ」「女間諜ヴィクトリカ夫人」などはそこらのスパイ小説どころではない。暗躍する女スパイは大使館の書記官とダンスをする可愛らしい少女だったりするが、<いんぎん>な関係になると厳重機密だったはずの外交文書がわずかな時間、持ち出される。封印は入念に開封され、文書は写真に撮られる。偽造された封印で封印は元に戻される。「機密室」に届いた暗号文書は翻訳され50人のタイピストが手分けしてタイプしていく。文書だけでなく精緻な表や設計図さえも寸分たがわず復元される。

この本が出版された年=昭和6年(1931)=日本は太平洋戦争まで長く続く15年戦争の、まさに<とばぐち>にいた。「機密室」閉鎖は1929年だからわずか2年前だ。アメリカの情報戦の最新情勢がこの本で克明に紹介されているが、初版のみで終わったことからしても国内では話題にすらならなかったと見る。著者のその後はどうだったかというと「暗号学者」としてカナダ政府の暗号部門創設に力を貸したりして1958年に70歳で没した。その後、「機密室」が復活したのかはさておき、暗号を巡る各国の情報戦は外交だけでなくさまざまな分野で公然たる秘密として激しく繰り広げられた。もちろん、現在も、である。

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