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“11月23日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1707=宝永4年  富士山が大噴火を起こした。噴火で生じた新山は「宝永山」と命名された。

直前の10月28日には東海・東南海・南海の広い範囲を震源とする大規模な連動型地震が発生した。2011年3月11日の東日本大震災が発生するまでは長らく「日本最大級」とされていた大地震でマグニチュード8.4~8.7、震源域の長さは700キロに達したと推定される。津波での死者は1万5千人以上、地震でも数万人が亡くなったとされる。

それに続く大噴火だった。前日の22日午前2時ころから23日午後9時にかけて地震が30回ばかり起こり、先の大地震で半壊だった家もすべて潰れた。さらに1時間後には富士山が地鳴りを始め周辺の富士や吉原地区に鳴り響いた。間もなく噴火、噴煙の高さは20キロに及び、近傍の田畑は埋没し広く関東地方に大量の火山灰を降らせた。駿府=静岡からの注進では富士山の南側の中腹、須走口の右から噴火し、噴煙で昼夜の区別がつかないほどで昼間でも松明を持って往来したが人馬の姿も消えた。戸塚あたりまで焼け石が降ったと報告されている。驚いた老若男女のなかには気絶するものも出た。

江戸幕府は早速、護持院に命じて祈祷をさせる一方、各旗本に石高100石当たり2両の拠出金を命じ40万両を集めた。これを使って江戸市中や街道筋に堆積した灰を除去したが幕府の逼迫財政では賄い切れず、質の悪い金銀貨を大量に鋳造したから結果として急激なインフレに陥ってしまう。

この年の宝永地震と富士山大噴火を合わせて「亥の大変」と呼ばれたが富士山は活火山だということ。いまのところこれが<最後の噴火>ではあるが、奈良・平安時代には年中火を吹いて夜景はすさまじかったという記録もある。まさか、とは思うけど用心に越したことはない。

*1872=明治5年  政府はそれまで禁止していた女性の相撲見物を解禁した。

表向きは文明開化で女性の<地位向上>をはかろうとしたのか。「禁ずる理あらざるなり。もっとも至当の事と言へん」と新聞に。当時の東京大相撲は墨田区両国2丁目の回向院で行われていたが勝敗を巡って観客同志のけんかなどが絶えず、女性には危ないということもあったので幕内力士が出場しない千秋楽に限って女性にも開放されていた。しかし背景には不況のなかで観客を何とか増やしたいという一面もあったから警備には殊のほか気を使った。

*1793年  フランス革命歴が登場した。共和暦ともいいフランスとその衛星国家で使われた。

それまでのグレゴリオ暦はカトリック的かつ封建的な性格がまつわりついているので一新すべきと革命家たちが考えたのが始まりだった。「坊主憎けりゃ袈裟までも」ではある。国民公会は公共教育委員会の提案により学者や文化人の協力で新しい暦を作成して発布した。

1年は365日で12ヶ月、全ての月は30日とし、余った5日(閏年は6日)は年の終りに置いて休日とした。さらに1ヶ月は10日ずつの「デカード」として従来の週を廃止した。混乱を生じたのは年数の起算を<共和制宣言の行われた記念すべき日>の1792年9月22日を年初としたこと。さらに一週は10日のデカードに代え、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒とすべて十進法が使われた。

各月の名称は詩人のファーブル・デグランティーヌによって考案された。
1月=秋=葡萄月(9月22日~)
2月=秋=霧月(10月22日~)
3月=秋=霜月(11月21日~)
4月=冬=雪月(12月21日)
5月=冬=雨月(1月20日~)
6月=冬=風月(2月19日~)
7月=春=芽月(3月20日~)
8月=春=花月(4月20日~)
9月=春=牧草月(5月20日~)
10月=夏=収穫月(6月19日~)
11月=夏=熱月(7月19日~)
12月=夏=果実月(8月18日~)
また年末の休日には「美徳の日」「才能の日」「労働者の日」「意見の日」「報酬の日」「革命の日」などと付けられていた。たしかにロマンチックといえばそうとも思えるが1年が秋から始まるといわれてもとまどうだろうなあ。

案の定、この暦は七曜に慣れた国民の間ではきわめて不評だったため1802年3月31日から七曜が復活し、ナポレオンが皇帝になった2年後の1806年には廃止されて再びグレゴリオ暦に戻った。それは<カトリックとの和解>を意味するできごとでもあった。

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