“7月4日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1947=昭和22年 出港38日目、実験漂流筏「コン・ティキ号」が嵐に見舞われた。
ペルーのカヤオを出港してからは数日も続く凪ぎの日もあるなど穏やかな天候が続いた。ところがトール・ヘイエルダール博士らははじめての嵐に巻き込まれた。
あっという間に、うねりは5メートルに盛り上がり、ひとつひとつの波がしらは7メートルから11メートルの高さでヒューヒュー唸っている。いかだが凹みの底に沈んだときの波がしらと、マストのてっぺんがちょうど同じ高さで全員が腰を折り曲げて甲板をはい回る。風は船室の竹壁をゆさぶり、あらゆる索具が風を切ってビュウビュウ鳴った。波がしらは耳をつんざく雷鳴のような大音響で筏の上に砕けた。交代での舵取りは腰まで水につかり、急流に立ち向かい進んでいくように感じた。筏全体が押し上げられ、押し下げられて大きく揺れる。艫(とも)にのしかっかった大波が大きな滝となり、材木のすきまから海に戻るのを繰り返した。
最初の嵐のシーンがしっくりこなかったので<意訳>しておく。なぜそうしたかというと参考にした『コン・ティキ号探検記』(1967、筑摩書房=現代世界ノンフィクション全集16)の最初のくだり<全員くの字なりになって>というのが意味不明なので<全員が腰を折り曲げて>とした。それでよかったのかなと最初の邦訳『コンティキ號漂流記』(1951、月曜書房)を開いてみたらなんとその通りになっている。同じ水口志計夫訳なのになぜだろう。
めくっていると「月報」に挟んだ新聞記事が出てきた。古書店で買ったが気付かなかった。「291016 毎日」と赤鉛筆の書き込みがあるから1954=昭和29年10月16日だろう。「海外こぼれ話」というコラムで見出しは「コン・ティキ号の記録を破る・ウィリス氏」。短い記事なのでそのまま紹介する。
南太平洋の海流に乗って南米ペルーから太平洋に浮かぶポリネシアの島々へ漂着したコン・ティキ号物語は世界の人々を古代の夢と冒険に駆り立てたが、この後を追ってニューヨークのウィリス氏がネコとオウムを相手にたった一人、果てしないイカダの旅に出たのは四ヶ月前、以来ふっつりと消息を絶ち関係者の気をもませていたが、そのイカダが米領サモア近くに漂っているのを発見され、無事同島のパゴパゴに到着した。ウィリス氏は今浦島さながら腰まで届くほどののびたヒゲをしごきながらすこぶる元気、迎えの船にも乗り移ろうとせず、海上で歓声を浴びながらレセプションを開くという騒ぎであった。
ペルーを出てから百十五日目、実に六千マイル(9,656キロ)を漂流したわけでコン・ティキ号の百二日、四千三百マイル(6,920キロ)をはるかに破った。おかげでネコは無事だったがオウムの方は途中で参ってしまったそうだ。(UP)
<記録を破った>というのは漂流日数と距離。調べてみたら本名はウィリアム・ウィリスというコーカサス人でドイツのハンブルグを10歳の時に飛び出し、アメリカ・カリフォルニアへ渡り帆船の水夫となった。1954年、56歳で「セブン・リトル・シスターズ号」でカヤオからサモアまで太平洋を単独横断した。これが新聞に紹介された第1回目の航海のようだ。10年後の1964年、66歳で「エージ・アンリミテッド(=年齢制限なし)号」で第2回目として再びカヤオからサモアを経由してオーストラリアのトゥリーまで1万1千マイル(17,700キロ)を航海した。いずれも全長10メートルのバルサ材の筏でサモアでは彼の顔と筏の写真をあしらった切手まで発行された。
これでおしまいかと思ったら1968年、70歳で小型ヨット「リトル・ワン号」で第3回目の航海に。5月2日にニューヨーク州ロング・アイランドを出港したまま行方不明になった。同年9月24日にアイスランド沖を漂流していたヨットをラトビアのトロール漁船が見つけたが7月20日までの航海日誌だけが残されていたという。
フーッとためいきをつきたくなるような人生じゃないですか。記事にオウムの話が出てきたのでカヤオの港で<お土産>として「コン・ティキ号」に積み込まれたオウムのことを紹介する。
最初はスペイン語圏のペルーで飼われていたのでスペイン語の<挨拶>だった。それがやがてお気に入り居場所だった無線機コーナーで「引け!引け!ホ、ホ、ホ、ホ、ハ、ハ、ハ!」と無線担当のノルウェイ人の隊員の叫び声を真似するようになった。隊員たちのペットとしてかわいがられていたが2カ月後の晩、落水して行方不明になった。隊員らはせめてもその痕跡を探そうと釣り上げたサメの腹を調べたりしたが手掛かりはなかった。
*1952=昭和27年 破壊活動防止法=破防法が国会の衆院本会議で可決成立した。
暴力主義的破壊活動を行った団体に対し活動の制限を加えたり解散指定が行えるほかその行為を行ったり教唆した個人を禁錮7年以下の刑に処すことができる。破壊活動団体と認定した団体や個人を常時調査、処分する権限を持つ公安調査庁と公安審査委員会の設置を規定しているからこれらの機関の設置法案とともに大幅な会期延長で審議されていた。
総評などの5回に及ぶ抗議ストや言論界、学者・文化人、学生らの反対や抗議の<嵐>を押し切り賛成多数で成立した。