1. HOME
  2. ブログ
  3. “7月11日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

“7月11日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1958=昭和33年  関西の各紙にソニー商事大阪支店の広告が下3段ぶち抜きで掲載された。

新発売という当時の商品名は「テープコーダー」で、まだ<レコーダー>ではなかった。小型トランクほどの大きさがあるオープンリール方式の初期モデルはそばにいる『サザエさん』なら次女のワカメそっくりのおかっぱ頭の女の子と比較すると余計に大きく見える。キャッチコピーは「パパやママにあたしの声を聞いて貰うのよ」で、用途には「音楽鑑賞や子供さんの成長アルバムからおばあちゃまの長唄まで」があげられ機種は「家庭用」の33,000円から「Hi-Fi仕様」の69,000円まで5種類のラインナップである。

近年、記録媒体そのものがアナログからデジタルになり、小型化・大容量化が進んでいる。テープレコーダーも一時はものすごい勢いで普及した記録媒体であるがとっくの昔に過去の遺物になりオープンリールどころか<本体>も忘れられてしまった。紹介した広告コピーのなかでは音楽鑑賞を含めた音楽分野での使用が最も多かった。子供の成長記録などレアケースだったろうし「おばあちゃまの長唄」に至っては笑うしかないというとちょっと意地悪すぎるか。

他では「山葉オルガン」が目につく。山葉楽器製造所は明治時代に日本楽器製造㈱に改組し戦時中は軍需工場になっていたから、連合軍に参加したイギリス戦艦「キング・ジョージ5世」の艦砲射撃で浜松工場が全壊するなどの被害をこうむった。戦後わずか2カ月後の1945=昭和20年10月からハモニカ、シロフォンの製造を、翌年4月にはピアノ製造も再開した。

のちにヤマハ発動機を創業し楽器やオートバイのトップブランドに育て上げて<ヤマハ中興の祖>とか強烈な個性とワンマンぶりから<川上天皇>とまで言われた川上源一が陣頭に立っていた。コピーに「あなたが選ぶ新シリーズ9種類」で価格は12,500円から30,000円まで。他社製品との差別化に「ただひとつJIS表示を許可されたオルガンです」と強調されている。

ヤマハが日本の狭い住宅事情でも鍵盤楽器に親しめるようにという考えからエレクトーンを開発・発売して大ヒットしたのは翌1959=昭和34年だから、この年はある意味、足踏み式オルガンが<最後に輝いた>時期ではなかったか。

さらに別のページにはオートバイではのちにヤマハのライバルとなるホンダが「ホンダ・スーパーカブ号新発売」として「第一種免許で乗れる完成車」という文字だけの広告を載せている。写真とかイラストはないのかと探したら「今秋発売」とあった。それなら写真などがないのは仕方ない。

川上の話に書き加えると、幹部にはよく「居安思危」の精神を説いたという。中国の孔子が史書『春秋』の注釈書に残したことばで「きょあんしき=やすきにおりてあやうきをおもう」と読む。同じ意味では「治に居て乱を忘れず」があるが、川上は四字熟語のほうを好んだ。アマチュア時代の歌手・中島みゆきを見出したことでも知られる。中島は川上の葬儀で<献歌>として「時代」をささげた。

この33年という年は新製品を引っ提げた新旧の会社が登場してわが国が高度経済成長を走り始めた、そんな<時代>だった。

*1893=明治26年  御木本幸吉が養殖アコヤ貝の中にはじめて半円真珠のある貝を見つけた。

幸吉が3年前から養殖を続けていたアコヤ貝の中からたったひとつだけ見つけたことでこの日を「はじめて真珠の養殖に成功した日」と紹介されることもあるが、まだ幸吉がめざした「真円真珠」ではなかった。赤潮による貝の全滅や地元漁業者との軋轢、妻の死などさまざまな苦難を乗り越え安定した大量生産技術を完成して東京進出を果たすのは1899=明治32年で銀座裏の小さな店から二度の移転を経て4年後に銀座4丁目に店舗を構えた。

戦前には上海、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ロサンジェルス、シカゴと次々に支店を新設したが特許にからむ訴訟が大審院で敗訴したこともある。ヨーロッパの宝石商から「天然真珠と区別できないのは詐欺である」と訴えられてこちらは勝訴したが1927=昭和2年にフランスの裁判所から「天然真珠と変わらないものである」という鑑定結果を受けてようやく<世界に認められる宝石>になった。

幸吉は発明王エジソンと対面した際に真珠養殖を「驚嘆すべき発明」とたたえられたのに対し、エジソンを<巨星>にたとえ「自分は数ある発明家の中の星のひとつにすぎない」と謙遜した。

1954=昭和29年9月21日、「世界の真珠王」は老衰のため96歳で大往生した。その生涯にまさにぴったりの戒名は真寿院殿玉誉幸道無二大居士。

関連記事