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私の手塚治虫 (21)  峯島正行

 人類滅亡の危惧

 ジレッタの出現

ある日、門前市郎が、外出からもどり、自宅に入ろうとすると、高級車が彼のそばすれすれに走ってきて、急停車した。彼は車の勢いで跳ね飛ばされそうになった。が、車のなかからは、人品卑しからぬ、紳士が出てきた。
「門前市郎さんですね。私は山辺音彦さんの代理できたのです。山辺さんは意識不明の重体で、うわごとに小百合チエという名前を呼んでいるのです。その女性のことはあなたがご存知と聞いて、こうしてあなたを訪ねて来たのです。」
「するとはお医者さんですか、山辺君が重体とは気の毒だが、その小百合チエがどういう女かご存知ですか、あなたのような、医者が山辺君のガールフレンドを探すとは何事ですか」
「いえ、私は芸能界のことは何も知りません。ただその人に別の用があるんです。そうだ、あなたでも間に合う、あなた来てください」
門前は車に乗せられ、山辺に会いに行くことになった。
実は、門前は山辺と小百合チエの関係は、とっくに知っていたのだ。山辺は新進の漫画家で、エロ漫画家の四方山三平のアシスタントをしながら、原稿を出版社に持ち込んでいたが、いまだ芽が出ず、四方山にやっと食わせて貰っているのだった。その四方山のアシスタントをクビになった。そんな時、偶然、幼馴染の恋人、小百合に逢ったのだ。
それ以来、二人はお互いに連絡しあい、時々あっていた。山辺は、小百合の、普段の小百合を根っから愛していた。山辺にとっては、さすがの門前もげんなりした程のブスのチエに、そのまま惚れ込んでいた。田舎者同士の恋愛だ。それで、門前プロにいる彼女に電話がかかってくる。そんなことから、門前は彼のことを知るが、自分の仕事の邪魔になる存在でもあった。しかし、この数か月、門前の前に現れなかった。
小百合チエの売り出しに夢中の、門前の前に、山辺に会ってくれという大学教授風の医者が現れたのだ。
「山辺に何故あわせるんですか」
「いや、貴方にあるテストして頂きたい。少しばかりお時間を拝借したいのです」
そして連れて行かれたのは、巨大なビルの建設工事現場、その地下奥深い場所だった。建設中のビルを支える太い鉄柱の根元の泥土の上に、髭ぼうぼうの痩せ細った半裸の男が寝ていた。男を取り巻いて、研究者らしい数人の男が立っていた。
「山辺か」
と叫ぶ門前に、彼を連れてきた医学者が
「今、意識がありません、ジレッタ状態です」
「ジレッタ?」
「一種の放心状態でしてな、ある妄想を描いておる最中なのだ、しかも妄想は他人に伝える力を持っている、さ、このイヤホーンを耳にして、ぼけーっとして」
イヤホーンを押し付けられた。それを耳にした門前は……。

妄想の世界

ここで、今日までの、山辺の関する経緯をここで説明しなければなるまい。ある日、ビルの工事現場の地下から、生きた男が発見されたというニュースが伝えられた。それは作業員が、地下二階の床下を点検したところ、太い鉄柱の傍らに髭だらけの男が座っていた。救急車で、その男は直ちに、大学病院に運ばれたが、極度の衰弱のため、年齢二五,六才
と分っただけであった。
その診察に立ち会ったのが、門前を迎えにきた例の医学者だった。彼の診察によると、その男は、生理的にはとっくに死んでいるはずだが、ともかく三ヶ月は何も口にしていない。それなのに生きているのは、なにか特別の理由があるに違いない、考えられるのは何か月か仮死状態になったか、それも冷凍とか、特殊な体の状態のままでなら考えられないことではないという診断であった。発見された時は、ジレッタ、ジレッタとつぶやきながら死にかけていた。つまり彼は酔っぱらってこの工事現場のわきを通りかけたとき、ころげて現場の柵を超えて、丁度地下の工事をしていた穴に落ち込み、その底に立っていた太い橋の基に倒れたきりになったらしいが、そこで寝たまま何か月か生きてきたらしいという。
その現場を医学者たちがいろいろと調べたところ、東京の空に流れるいろいろの音が混ざり合って、地上の騒音となる。その中のある音だけが共鳴現象で、工事場の一本の鉄骨が吸い込んで、その柱の陰で寝ていた山辺の頭に入り込み、彼の脳細胞をくすぐり、妄想を起こさせた。そのため飲まず食わずの山辺は死ぬことなく生き延びたと、医学者は結論付けたという。
その妄想から目覚めたために、人に発見され、病院に運ばれたが、地下と気圧の違う世界に連れ出されて、酸欠状態になり、一種の禁断症状を起こして、危篤状態になったと考えた学者が、元の地下の柱の陰に寝かせると、いい気持ちそうに転がり、ジレッタとつぶやきながら、寝てしまった。
ジレッタとつぶやき、眠る山辺に聴診器をあてると、医学者は夢うつつになって、山辺の妄想の世界に意識が入り込んで、不思議な世界を経験する。はっと目覚めた医学者は、弟子の若い学者にその聴診器を渡した。彼が聴診器を当てると、彼も妄想の世界に引き込まれた。
その妄想の世界は、山辺が漫画の案として、心に描いた世界ばかりで、ばかばかしくもおかしな世界であった。そして音波が何かの原因で、波長を変えると、自然に目覚めるのだった。教授は多くの大学から学者を集めて、実体験してもらった。各人一斉に、聴診器を耳に当てると、妄想が頭に浮かぶ。空を遊泳したり、空の雲が女体になったり、札が降ってきたりするものだった。そして各人同じ妄想を見ていたことが分った。
「みんなこの男が見た妄想なのですぞ。特別な超音波がこの男に妄想を起こさせ、丁度中継所のように、みなさんの頭の中に伝わったのです」と教授は説明する。
「これがもし何かに利用されれば恐ろしいことが起こる可能性がある。この男の考えが催眠術のように大勢の人間に伝わってしまうかも。この男が戦争妄想を起こさせたら?」
「しかし、コードがなければ伝わらないでしょう」
「今はそうですがやがてそうでなくなるかもしれない。音波を増幅すればコードなしでも伝わる…テレビ以上の怪物になる」
「恐ろしい」

さて話を戻して、門前が、教授に渡された、イヤホーンを、耳にすると、たちまち妄想の世界に入りこんだ。門前が西部の男となって表われて、それを迎えた山辺が、小百合とともに現れて、西部の男、門前は、山辺に打ち殺されるシーンが出てくる。そのジレッタシーンを見て苦しむ門前を見て、教授はつぶやく。
「この男はいつもジレッタでは悪役で出てくる」

新たな大望

さて現実の門前はその時は得意の絶頂だった。世界的スターと小百合チエの競演をまじかに控えていたのだから。
だがそれは、見事に失敗、門前は、マスコミのだれにも相手にされないどん底に沈んだ。その木枯らしの中で、門前が思い出したのは、山辺音彦のジレッタだった。
もう一度彼は、ビル工事の地下に忍び込み、ジレッタを体験した。そして教授に前に聞いた増幅器で大勢の人に、ジレッタ体験できる可能性を試すことにした。うまくゆけば、テレビに続く、新しいメディアが出来るのではないか。出来るならば、門前はマスコミに生き返るだけでなく、新たな英雄になり得るのではないか、と夢想する。野心家門前の再出発になる、と胸を張りたい気持ちになった。
彼は東大から脳波の振幅を強めてでっかくする増幅器を借り出し、山辺の存在に気付いた小百合チエを何とか実験台にしてしまう。
チエに普通のレシーバーを付けさせ、山辺のジレッタ妄想を見せるのだった。その妄想を見たチエは
「よかった。変な世界の中で、山辺さんが待っていて君だけを愛すると言ってくれた。」
喜ぶ始末。もっと喜んだのは門前だ。「これで聴診器などなくても、増幅器とレシーバーさえあれば、聴診器などなくても、だれでもジレッタ状態になる。」
このビルの屋上にアンテナをぶったてる。増幅したジレッタを空中に流す。ジレッタに掛かりたい奴はレシーバーを買って耳にあてがう。ジレッタのプログラムは、山辺に漫画とか小説とか見せて、そのインスピレーションで、妄想を描いて貰う、という具合に、門前の夢は広がる。
「俺はテレビを没落させてやる。マスコミに大革命を起こす、その台風の目がおれだ。俺をないがしろにした奴、今に見ていろ」
と、雄叫びを上げるのだった。

ジレッタ館の開設

ここに財界の大物がいる。立志伝中の人物で、日本天然肥料製造の代表取締役。この人物に何とか近づいた、門前、ついにジレッタ体験をさせることに成功する。ついに折から開催するフジメトロポリスに、日本天然肥料がジレッタ館を開設することに決めた。
フジメトロポリスとは、この漫画連載中、日本国内ばかりでなく世界を沸かせた、大阪万博をもじったものだという。そのジレッタ館の建設に、門前は男の意地をかけて大奮闘であった。
ジレッタ館のデザインは、社長の主張を取り入れて、最もスマートなトイレをかたどったデザインであった。そしてそのトイレ型のシンボルタワーのてっぺんに、アンテナを取り付けた。
その奥まったところに、広く高い密室が作られた。そこにはうず高く重なり合った複雑な装置が組み立てられていた。これこそ、コンピューターによる分析によって、あのビル工事現場の地下に流れる超音波をそっくりに再生する装置であった。
また天井裏には、ベッドが置かれた小部屋があった。これぞ山辺音彦が妄想をたくましくする部屋であった。
かくして開館第一日を迎えた。お客は、入り口で、イヤホーンを渡され、席に着くと、それを耳にして、天上をにらむ。
すると高らかにマイクから声が流れる。「皆さんようこそ、このジレッタは、映画やテレビ、今までの娯楽とは全く違います。私たちが、目、耳、口で感ずるすべての楽しみを一度に味わってもらう、文化の革命児であります」
その頃、天井裏では、門前が山辺と打ち合わせをしている。山辺はカレーを食いながらそれを聞き、横に寝転んで妄想状態に入る。
「今日は子供が多いから、世界の名所巡り、ピラミッドやナイヤガラの瀑布なんかがいいよ、ゆくぞ」
という声に従って、妄想に入る。天井の大スク―リンにジレッタが写しだされた。そこには、見物中の客が空中から落ちてきて、悲鳴を上げている。客席から悲鳴が上がると、落ちてくる人は、大匙で拾われ空飛ぶスプーンとなって飛んでゆく。飛んでゆく先にピラミッドが現れ、その三角の上に、カレーがかけられている。驚く観客が次に飛んでいいったのは、ナイヤガラの滝で、底に流れているのは、水ではなくて、カレーであった。次に富士山が出てきたが、その頂上にカレーが積もっている。ジレッタの前に山辺がカレーを食べていたので、その記憶が、かかる結果をもたらしたのだろう。
それから、いろいろとあったが、観客は満足して、帰って行った。天然肥料の有木足(ありきたり)社長も「どうや、わしの予想どおり、ジレッタは大当たりじゃ、あと一週間もすると日本中の注目するところになる」と門前と乾杯の杯を上げるのであった。
この漫画が連載されていたころは、学生運動が燃え上がったころであった。学生が、東大講堂を占拠し、当局と対立、警察が鎮圧に乗り出すという、いわゆる全共闘の時代であった。当然、メトロポリスが成功を収めていくと、そのメダマになっているジレッタ館に、全共闘の学生達の注目を集め、闘争の対象となってゆくのはやむを得なかった。
ある日、五千の学生が、ジレッタ反対の旗じるしをかかげ、デモを仕掛けてくるという情報が伝わり、それを知った警察側が、対抗して、 一万人の機動隊をだし、その鎮圧に、乗り出すという情報も、門前は掴んだ。さてどうするか?
その時警察の幹部が、訪ねて来た。その用件というのは、学生が押し寄せたとき、それを抑える機動隊が、メトロポリスには入れない規定になっている。強引に入れば反対運動に火をつけるようなことになる。警察としては、ジレッタ館を平穏に保ちたい。そこで学生のヘルメットの中に、レシーバーを付けて、彼らがヘルメットを付けたときにジレッタの音波を流す。彼らをジレッタの世界に送ってやる。何か、家庭の団欒とか平和な農村風景とか、望郷の念や学園に還りたくなるような妄想を送り、彼らを鎮める。警察側は、学生の中に忍ばせた、スパイどもに、ヘルメットをうまくすり替えさせておく。
警察は、以上のように、門前を口説いた。門前は承知した。
門前は、何千人かの学生を、ジレッタの実験に使う、学生たちはジレッタの意のままになるか、実験のピチャンスだと考えたのだった。
五月一日、学生の群れはメトロポリスに押し寄せた。ワッショイ、フンサイ、アンポハンタイ、と叫びながら、ジレッタ館に襲い掛からんとした。これを迎え撃つは、一万人の機動隊だ。
その時、カチッとジレッタが入った。山辺の妄想は、自分の田舎への郷愁の思いを集中させた。その途端学生たちは、一斉に振り上げた手を止め、動かなくなった。「おっかさーん」と泣き出す学生もあった。
その時待機していた機動隊に、学生群を排除する命令が出たが、機動隊は動かなかった。門前が、裏から手を回し、機動隊のヘルメットもすり替えておいたのだ。全員ジレッタの世界に入ったのだった。
門前はにたりと笑った。「学生五千人、機動隊員一万人、しめた一万五千人がジレッタのとりこだ。ジレッタの威力は、思いのほかでかいぞ。この分では感度さえよければ、日本国中の人間でさえも……」と恐ろしいほうに頭を向けるのだった。
ともあれこの事件もジレッタ館の話題となり、ますます客を引き付けた。

政府の力で公共放送に

気をよくした,有木足(ありきたり)日本天然肥料社長は、自分の事業拡大をもくろみ、政界の大黒幕、御用金兵衛氏を訪ねた。彼は、世界銀行から、政府の後押しで、資金を引き出そうと考えていた。
御用金兵衛氏は箱根に巨大な邸宅を構えていた。それは箱根双子山の上にあり、門から玄関まで、三キロもあり、その敷地は一六万平方メートルという巨大な邸宅である。その豪勢な応接室で。有木社長は小さく座っている。
往年の策士政治家三木武吉のような顔をした、御用金兵衛は、まずジレッタの成功を祝し、有木が頼んだ世界銀行に融資のことは約束した。その上で御用は
「その代り、政府にジレッタを使わして貰えんですか」
といった。有木も喜んでそれに応じた。かくして、御用金兵衛の手引きにより、門前と、山辺が、首相官邸で、総理大臣に会うことになった。
門前たちが官邸の貴賓室に着くと、御用氏が自ら迎えに立って、時の総理大臣を紹介した。総理は佐藤栄作を思わせる風貌だった。
総理は山辺に向かって、「あなたは無形文化財だそうで、これからもよろしく」
愛想のいいこと言った。腹に一物ある証拠だ。さっそく切り出した。「な、山辺さん、私はジレッタなるものを見たことがない。この機会に体験させて頂きたい。ここでどうです」すでに官邸の中に、ジレッタ館にあるのと同じ超音波装置が作られていた。これにはさすがの門前も驚いた。早速、用意されたベッドで、横になった山辺に、「景気のいい妄想で首相を喜ばせろよ」
といった。ジレッタは門前の予想したものと違ったが、ジレッタの機能と能力は、よく、分ったらしい。首相とその側近たち「これが野党に利用されなくてよかった」といい、首相は門前に向かって、「NHKのような財団法人を作って、全国にジレッタ放送網を敷く、そして公共放送を始める、というのはどうかね」といった。ジレッタの全国放送、それこそ俺の望んでいた夢だ!。門前は再び得意の絶頂に上った。

NGA(ニホン・ジレッタ・アソシエ-ション)のマークの付いた巨大な放送局が作られ、全国民に放送が始まった。政府が思うとおりに、国民を動かす手伝いをすることになってゆくのは当然だ。

その後さらに、あるきっかけで、山辺は、イヤホーンなしでジレッタ現象を起こせる能力を身に着けた。そこで、門前の描いたアイデアは、オーソンウェルズのやったことを、実際にやってみるということだった。
アメリカの映画スターであり、監督である彼はある時、ラジオの放送劇の制作を依頼された。彼が作った放送劇は、放送開始と同時に「地球に火星人の軍隊が攻めてきました。皆さん覚悟して対応してください」という緊急の言葉から始まった。訊いていた人はあまりにリアルな表現であったため、真実と思い込み、全米中が大騒ぎになった。
よしあの手を使って、「世界中の人を脅かしてやろう」と考えた門前は早速、山辺と相談、世界の人に、月が、地球と衝突する危機に見舞わせる。月が次第に近づいているとおもわせるということにした。いよいよそのジレッタの超音波が贈られた。ところが、山辺はその時、恋人のチエが事故で死んで、悲しんでもいた。その為に、妄想を止めることを忘れた。地球と月は本当に衝突、世界は破滅する。
恐ろしい物語

以上が「上を下へのジレッタ」の物語の骨子である.。実際はこれに多彩な肉や皮が付き、複雑なストーリーを組上げている。そこには恋もあれば冒険もあるが、それをはぎ取って梗概を述べたのであるが、この物語の恐ろしさが理解されと思う。
ただジレッタが、ただ一人の漫画家の妄想に全部が頼っているところが、物語の不安定さにつながっているところが、弱みと言える。
手塚は、講談社発行の全集版の後書きで、「ジレッタという語意は別にありません。しいて言えばディレッタントの略でしょうか。とにかく語呂があまり良くない。」と自ら言っている。
そして「ジレッタのようなメディアを国家権力が利用した場合、いかに恐るべき事態が発生するか、そしてそれはごく一握りの側近のエゴイズムで起こるのだという寓意を読み取って頂ければ幸いです」
と述べている。
手塚が漫画を描いた時代から、見ると手塚も想像しなかったほどの科学技術とそれがもたらした社会構造の変化は恐ろしいほどである。しかし手塚が漫画の上で杞憂した問題の本質は一向に変わっていない。
この間、ソニーの子会社であるアメリカの映画会社が、北朝鮮の権力者をモデルに映画を作ったことに原因があるらしいサイバー攻撃を受けて、経営の機能が破壊されたという事件が発生した。アメリカの大統領は、北朝鮮の攻撃によるものと断定、北朝鮮に抗議するとともに、この攻撃で映画封切りを止める決定した映画会社を非難した。
すると北朝鮮のサイバーが機能しなくなるという事態も起きた。どこの誰が攻撃したか不明のママである。
結局のところ、映画は封切られ、大統領に賞賛されたが、このような危険に満ちた世界になった。

手塚の描いた大人向けの長編漫画は、このように権力と国民の対立、そこから生ずる争いが原因となった戦争、そして科学の発展がもたらす人類の未来への危惧、などなどの問題を主題とした分野のものが多い。最後の大人向けの長編漫画で、未完に終わった、「一輝まんだら」もそうだ。この長編については後ほど述べるが、2,26事件の黒幕とされた北一輝の生涯を描いたものである。
ともあれ戦争と人類滅亡への危惧は、手塚の漫画の底にはいつも流れていた。すでに昭和三〇年、その年創刊された、「漫画読売」(読売新聞社)に早くも登場している。同誌三〇年一〇月号に『ああ平和の女神』翌三一年三月号に「兵隊貸します」をそれぞれ一ページ、二ページの作品だが、「人間ども集まれ」、「上を下へのジレッタ」と同じテーマで描かれている。
前者は、平和を愛する女神が統治する二つの国の間で、平和を愛しすぎて平和のための戦争がついにおこった。二人の女神は平和の勝利を願って戦った。あらゆる新型の武器を駆使し、闘った。双方の犠牲者が多く、最後に双方の国の人間が一人ずつ残った。二人は最後に取っ組み合いしながら、双方の顔を見合わせ、二人の間に愛情が芽生えた。「おお、戦友、武器よ、さらばだ」と鉄兜を捨てた先に、新型コバルト爆弾があった。大爆発、すべての命は絶えた。
後者の方は、兵隊貸します、の題名通りの話で、「人間ども集まれ」のそのままの話である。人口が多すぎて、しかもがむしゃらに勇ましいだけが取り柄の国民を、兵隊として、よその国に貸して、商売することになった。徴兵令が敷かれ、一級品から三級品に分けた。一級品は金もちの文明国に売られ、三級品はアフリカの途上国に売られた。
兵隊は昨日の友は今日の敵になった。腰蓑を付けた兵隊と重装備の兵隊とが闘うが、二人は元大学の同級生だ。その二人が戦場で、ウラニウムを発見した。もう敵味方ではない。二人は協力してそれを文明国に売りつけた。莫大な金貨が入った。二人は祖国に帰って、残りの兵隊を全部その金で借りた。その兵隊を使って自国にクーデターをおこし、平和な国にし遂げ、軍隊を解散した。それから何年たったか。
国は再び人口過剰となった。そして思いついたのが海外派兵の兵隊貸しますであった。話は振り出しに戻った。何度でも振り出し戻る話である。

漫画読本にも、昭和三〇年の七月号に始めて書いているが、その「第三帝国の崩壊」も、「人間ども集まれ」の先駆的作品だ。この作品では、ロボットに究極的には人間が滅ぼされることになっている。作品の初めに次のようなコメントを書いている。
「第三帝国治下の世界では、何事も独裁者ベニト・ヘットラーの意のまま動かされる。作業をするのは機械ではなく人間、それを監視するのはロボット、人間の油が切れればロボットが補給し、能率が低下すれば、ロボットにつまみ出されてしまう」
この場合、つまみ出すとは殺すことである。かくして生産力を上げて、独裁者ヘットラーは楽々と、統治するが、時がたつにつれて、人間の数が減り、ロボットの数が増えて、ついに人間は死滅、残った人間はヘットラー一人となってしまう。ヘットラーもロボットによって、無人の荒野に、追い出されてしまう。
こう見てくると、人間の未来、権力と科学技術の発達の問題を、手塚がいかに考えつづけ、執着していたかを物語っている。手塚にとって一生の課題だったのである。

この作品の系統の他に、もう一つ、手塚の大人漫画の大きな部分を占める分野がある。漫画サンデー連載では、「サイテイ招待席」という名のもとに、描かれた、平凡人ペースケが活躍する、人間の滑稽味をえぐり取ったようなナンセンス漫画の系統である。次はこの系統の作品を紹介いたします。 (続く)

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