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季語道楽(20)ゼツメツキゴシュウ(絶滅季語集)を愉しむその

夏井いつき先生の『絶滅寸前(傍点)季語辞典』を都心の大型書店の俳句コーナーで見かけたとき、なにかと、めんどうくさがり屋のぼくが、つい手を棚に伸ばし、この本を手にしたのは、いま思えば理由があったようだ。
ひとつは、この本が、ぼくの好みの「ちくま文庫」であったということ。そして、もうひとつの、この本のタイトルからは、なにやら“面白オーラ”が発しているように感じたのだろう。
もちろん、カジュアルな季語辞典、歳時記を見ると、つい入手してしまう性癖からのことだったのかもしれない。
さて、ページをパラパラとめくって飛ばし読みしてみると、予感した面白オーラは勘違いではなかったことに気づかされる。
しかつめらしい季語の解説書などではなく、忘れられつつある季語をネタとしつつ、遊び心満載の言語遊戯のエッセー集であったのだ。その、洒脱にしてシャープな数例を紹介してゆきたいが、その前にまず「まえがき」を見てみたい。
前回、さらっと、この「まえがき」部分を紹介したが、夏井先生の俳句への姿勢というか、“思想”表明がされているのであらためて引用、紹介したい。
その冒頭、一行目の書き出しが、
要は、歳時記を読むのが好きだったという単純な動機から、
すべてが始まった。
嬉しいですねぇ、この書き出し。ちょっとも偉そうじゃないし、まるで俳句初心者のぼくらと同じスタートラインに立ってくれている。
そして、この自著に対して、
読んでも役に立たないことにかけては、右に出るものはないの
かもしれない。
といいつつ、
が、もともと俳句なんぞは役に立つはずのないものであって、
むしろ役に立たないものとしての誇り(傍点)を胸に、堂々と
詠まれ続けてゆくのが俳句だと思っている。(傍点、坂崎)
と、サラッと俳句というものの、本来の姿、価値(無価値の価値)を訴えている。カッコいいですねぇ。毅然としているじゃありませんか! で、「まえがき」の肩書きが、
絶滅寸前季語保存委員会委員長       夏井いつき
とある。この「まえがき」と、著者の肩書きで、本文の内容が十分に期待できる。
本文を開く。季寄せ、季語集、歳時記の類は「新年」から始まるものが多いが、この本は「春」からだ。
まず第一番目に出てくる絶滅寸前季語は「藍微塵」(あいみじん)。なんだ、なんだ? この藍微塵とは? あのサックス奏者にして、微塵子(ミジンコ)研究者の坂田明(広島大学・水産学部卒)さんの好きな? 藍色をしたミジンコのこと? あるいは中国大陸の奥の砂漠から吹いてくる粒子の細かい藍色の青い砂塵?。
いや、いや、じつは、これは「忘れな草」の別名だそうな。英語で(forget-me—not)を直訳したのが名の由来、ということを知っている人も多いだろう。
ぼくらの若い頃「♫別かれても 別れても 心の奥に〜」と歌いだす「忘れな草をあなたに」という青春歌謡がありました。歌っているのが、手こねハンバーグのようなカンジの菅原洋一(ソフトな声で「知りたくないの」「今日でお別れ」などをヒットさせた)さんが、妙に心に響きました。
そこで紹介される句が、
百人の恋な忘れそ藍微塵     おののき小町
続いて︱︱「愛林日」(「緑の週間」の副題)、「青き踏む」(「踏青」の副題で、春に戸外で楽しく過ごすこと)、「翌あすなき春」(「四月尽(しがつじん)の副題で「四月の最終日」などとあるが、少し飛ばして、「従兄弟煮(いとこに)」といういかにも絶滅寸前、いや、ここしばらく発見者がなく、すでに、ほぼ絶滅してしまったかのような季語が登場する。
「従兄弟煮」、いとこ煮?
なんだか、新宿二丁目あたりのマッチョな男二人がやっているオカマバーで出す、自慢の手づくりの煮物? なんて感じなんだけど、もちろん、本当の意味は、まったく分からない。
さすがの夏井先生もギブアップ?、先生が常に愛用しているという『カラー版新日本大歳時記全五卷』(講談社刊)を引くことに。
「従兄弟煮」とは「事始(ことはじめ)の副題で、「事」は祭事をいみする、という。で、農事を中心とする考えでは、二月の八日が事始で、そのときに供せられる食べ物が「従兄弟煮」であり、「従兄弟煮は醤油汁」とのこと。しかも『大歳時記』にも「例句が載っていない」という。
う〜む、まさに“絶寸季語”! いや、“絶寸完了”季語? 夏井先生はこの季語を前に呆然と立ち尽くし、また、先生、頼りの『大歳時記』にも例句の紹介がない︱︱となると、俄然、好奇心が刺激されたぼくは、この「従兄弟煮」なる季語を、自分もちょっと調べてやろうと思い立った。
『大歳時記』ですら、例句が載っていないというのだから、あたりまえの歳時記を何種類チェックしても無駄だろう。
しかし、前回の稿でちょっと触れたが、ぼくの手元に『難解季語辞典』(東京堂刊)がある。ずいぶん昔、入手したはずだが、ほとんど読んだことも使ったこともない。(珍しい季語辞典だなぁ)と思い入手したんだろう。
「従兄弟煮」あるかな、ページをめくってゆく。
おっ! あったじゃないですか! すごいぞ『難解季語辞典』。引用する。
従兄弟煮[春]芋・大根・人参・などの菜、赤小豆、豆腐、
蒟蒻などを入れて煮込んだみそ汁、またはすまし汁。正月事
始め、事納めなどの行事に食した。(中略)雑煮と同じ風習で
ある。
とあり、しかも「いとこ煮」の言葉の由来が、それらの野菜や豆腐を煮込むとき、“おいおい”(追い追い、徐々に)煮る、“おいおい”(甥々(おいおい、つまり従兄弟)というわけ、とか。つまりは駄洒落、江戸好みの言葉遊びが由来だったとは。
ところで、この解説の最後に︱︱(栞草(しおりぐさ))︱︱の文字が。
(栞草)は曲亭馬琴編、青藍補の『俳諧歳時記栞草』の略記。江戸時代、嘉永四年(一八五一)の刊で今日の歳時記の元祖であり、本家のような存在。
文末に(栞草)とあったとなると、この『俳諧歳時記栞草』に「従兄弟煮」が出ているはず。
ぼくは手元の岩波文庫、全二巻の「栞草」に当ることにした。こうなると、まるで季語探偵、いや季語ストーカーじみてくる。
「栞草」(下)の巻末、季語字引で「従兄弟煮」をチェックする。出てない。では、春の季語というので「事始め」の項目でさがす。やはり、ない。
そういえば、先の解説の中で、関連用語のひとつとして、地方によっては「事納め」ということもあるとあったので「冬の部」の「事納め」のページを開く。
あった、あった! 「従兄弟煮」でも「事始め」の稿にもなかった「いとこ煮」の解説が「栞草」の「事納め」の項に。『難解季語辞典』に記されていた。「従兄弟煮」と、ほぼ同様の解説があったのだ。
夏井先生の信頼篤く、愛用されている『大歳時記』では「醤油汁」とあり、「この醤油汁が、どんな場面でどう使われ、どう食されるのか、チンプンカンプンである」とされていた「従兄弟煮」のことが三五〇ページに満たない『難解季語辞典』で説明され、さらに出典の『俳諧歳時記栞草』で、どのような行事のときに食され、その食材から「いとこ煮」の言葉の由来まで解説されていたのである。しかも『大歳時記』の説明にある「醤油汁」だけとは限らず、「みそ汁」で供せられることにも、ふれられている。
『大歳時記』ならぬ、ハンディな小歳時記の存在も馬鹿にならない。雑多(?)な歳時記集めの労が報われた気がして、ぼくは(だろ!)と、ひとり納得し、ほくそ笑んだのである。
ま、そんなこんなで夏井先生の奇書にして貴書、絶寸季語辞典読みを楽しんでいると、(おや?)ということに気づかされた。
各季語の説明のあとには、毎回、例句が示される(夏井宗匠の創作句が圧倒的に多い)のだが、他の人の句の、その作者の俳号を見ていると、……「黛まだか」「寺山修辞」「大福瓶太」「キム・チャンヒ」「尾崎ほうかい」「たかが修行」「石田ハ行」「夏目僧籍」「坪内でんねん」「徒歩」といった号に接することになる。(ナンダコリャー?)という気になる。そう思いませんか。つい、ニンマリしてしまう。
どうでもいいことだが、ここに夏井先生の、また、この本の豊かな遊戯性が示されていると思われるので、ちょっと蛇足してみよう。
「おののき小町」︱︱これは「枕草子」の小野小町。可愛い。
「黛またか」︱︱黛まだか? って、もちろんこれは人気俳人の「黛まどか」のもじり。しかも黛まどか氏は夏井先生の師匠筋にあたる方ではないですか!いいんでしょうか、こんなイタズラをして。
次の「寺山修辞」︱︱はもちろん、詩人にして、その短歌や俳句にもファンの多い、また劇団・「天井桟敷」の主宰者、「寺山修司」から。にしても、「修辞」がいかにもピタッとはまってます。
「大福瓶太」︱︱これは、ちょっと難易度が高いかも。まえの二者のような人の名前からかと思うと、由来がわからない。わかりますか? これは、この氏名を単純に読み下してみる。「大福瓶太」︱︱「おうふくびんた」。つまり「往復ビンタ」。人の左右の頬を平手で叩く例の行為。しかし、かつての軍事教練や、今日、体罰が禁じられている教育の場では、これはご法度になっている。つまり、「往復ビンタ」という言葉そのものが死語というか絶滅に近くなっているのではないか。ま、それはそれで結構じゃありませんか。あまり、歓迎されない言葉でもありますしね。
続く「キム・チャンヒ」︱︱はもちろん「キム・キョンヒ」、金正日の妹で今日、北朝鮮の最高指導者、金正恩の叔母。
「尾崎ほうかい」「たかが修業」「石田八行」「坪内でんねん」︱︱は、それぞれ人気の著名俳人……といえば、少しでも俳句の世界に親しむ人なら、すぐに分かるでしょう。「「尾崎ほうかい」は「尾崎放哉」、「たかが修業」は「鷹羽狩行」、「石田八行」は「石田波郷」、「坪内でんねん」は「坪内稔典」
上手いですねぇ、とくに「たかが修業」とか、石田八行」とか「坪内でんねん」も、つい笑ってしまいます。
「夏目僧籍」「徒歩」もいいですねぇ。禅寺で座禅を組んだ漱石が「僧籍」。
あの中国の、唐の時代の詩人・杜甫の「春望」と題する「国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心……」︱︱「国やぶれて山河あり 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす︱︱」の一節はあまりにも有名ですが、その杜甫にちなんでの「徒歩」。まさに、自在の言葉遊びをやってのけています。これぞ、俳諧精神の発露。

というわけで、ひきつづき、もう少し、この、ちくま文庫の『絶滅寸前季語辞典』と続刊の『絶滅危急季語辞典』にふれてゆきたい。

絶滅寸前季語辞典 夏井いつき 著 ちくま文庫

絶滅寸前季語辞典
夏井いつき 著
ちくま文庫

絶滅危急季語辞典 夏井いつき 著 ちくま文庫

絶滅危急季語辞典
夏井いつき 著
ちくま文庫

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