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“5月16日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1975=昭和50年  日本女子登山隊の田部井淳子副隊長が女性としてエベレストに初登頂した。

世界最高峰で標高8,848mのエベレストは英国インド測量局長官のジョージ・エベレストにちなんで命名されたから英語名。ネパール名はサガルマータ「世界の頂上」という意味でチベット名のチョモランマは「大地の母神」だそうな。

一体どのくらい高いのかというと2012年5月に開業した東京スカイツリーのほぼ14本分。雑学ついでに紹介すれば登頂の最年少者は13歳、最高齢者は76歳。三浦雄一郎は75歳で2番目。女性は渡辺玉枝が12年5月に73歳で登頂、自身が10年前に立てた女性の最高齢登頂記録を更新して話題になった

登頂といってもタダではない。ネパール政府に支払われる登山料は最も安い「ノーマルルート」で、日本円で1人240万円という。

エベレストといえば憂慮されるのがゴミ問題、その後、世界7大陸の最高峰に登頂し、いまも現役で活動中の田部井は「エベレストのゴミ問題」をテーマに九州大学で博士号を取得、山岳環境保護団体の旗振り役の一人だ。

こちらはゴミとは違うが遭難者の死体が120体もそのままになっており、なかには1924年に遭難死した英国人登山家・ジョージ・マロリーのもある。なぜエベレストをめざすのかという質問に「そこに山があるから」と答えたのは有名である。

*716=霊亀2年  朝廷は朝鮮半島・高句麗からの亡命者を集めて武蔵国に高麗郡を新たに置いた。

半世紀前の668=天智天皇7年に新羅によって滅ぼされた高句麗の人々はその後も次々と日本に渡ってきた。高句麗は現在の北朝鮮から中国東北部に至る広大な地域を支配していたが660年に友好国の百済が滅亡、663年の白村江の戦いで百済の残存勢力も敗北したため孤立、それに乗じた唐と新羅の連合軍に敗れた。大和朝廷は彼らの持つ先進技術を役立てるためにも郡としてまとめる政策をとった。現在も埼玉県に高麗川などの地名が残る。

*1792=寛政4年  林子平の『海国兵談』が禁書となり、林には蟄居が申し渡された。

江戸・小日向の幕臣・林良道の子として生まれた。姉が仙台藩主伊達斉村の側室だったことから19歳の時に仙台に移った。幼少時から歴史や地理に関心があり成人してからは経済や海防に興味を持ち、仙台藩士ながら北は蝦夷から西は長崎に足をのばし海外事情の吸収につとめた。1785=天明5年には『三国通覧図説』を記すなど国防の専門家だった。『海国兵談』は日本近海に外国船が出没するなどの当時の情勢を踏まえ、日本沿岸の海防軍備の必要性を説いたきわめてまっとうな国防論だった。日本は周囲を海に囲まれた島国であるから外敵に備えて砲台を築き大砲を備え軍艦も必要である。「細かに思えば江戸の日本橋より、唐、阿蘭陀まで境なしの水路也」と海路が続いているのだから長崎だけを固めても無意味である。江戸湾入口はもちろん、蝦夷、琉球、朝鮮を合わせて防備をほどこすことが急務であるとした。

これがなぜ禁書にされたかというと幕府が海外に国内情勢が知られることを警戒したからでわずか30部ほどが刷られただけで終わった。子平は年の暮れに妹から正月のお供え餅が届くと「とぶ首に祝うや暮の供餅」と詠み、版木が没収になると「親も無し妻無し子無し版木無し欲もなけれど死にたくもなし」と六無斎の号で狂句をひねった。尊皇思想家の高山彦九郎、海防論者・蒲生君平とともに「寛政の三奇人」とされる。不遇のうちに翌年、56歳で没した。

*1823=文政6年  蜀山人とも呼ばれた文人で狂歌師の大田南畝(なんぽ)が死去した。

寛政の改革を批判した
  「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜も寝られず」
は南畝の作と目される。戯作者の山東京伝らが弾圧されると狂歌は止めて役人の職務に励むかたわら随筆などを執筆した。19歳で発表した『寝惚先生文集』は平賀源内が序文を寄せたこともあって評判になり、狂詩は寝惚先生、狂名は四方赤良とも称した。

1800=寛政12年に命ぜられた御勘定所諸帳面取調御用という役職は江戸城内の竹橋にあった倉庫に収蔵された書類を整理する役で、整理しても次々に出てくる書類の山に
  「五月雨の日もたけ橋の反故しらべ今日もふる帳あすもふる帳」
と詠んだ。

蜀山人の号は銅の異名=蜀山居士からで大阪銅座の役人当時につけた。74歳で没。辞世は
  「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこれはたまらん」。

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