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“3月2日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1958=昭和33年  「英連邦南極横断隊」のフォックス隊長らが初めて南極大陸を横断した。

前年11月24日に遠征のために新設した南アメリカに近いウェッデル海岸のシャックルトン基地からアメリカ製農耕用トラクターを改良した4台の雪上車に11人が分乗し出発した。1月19日に南極点を通過、99日間で3,472キロを見事に走破してニュージーランド寄りのロス海岸にある英・スコット基地に到達した。

サポートを引き受けたのはエベレスト登頂などで知られるエドモント・ヒラリー率いるニュージーランド隊でこちらは逆にスコット基地から4人が雪上車で出発して南極点まで燃料や食糧などの補給基地を作りながら前進、極点には1月4日に到達してフォックス隊を待ち受けた。なるほど英連邦南極横断隊といわれる所以だがヒラリーのほうはそのあと飛行機で引き揚げた。

英国の登山家で優れたアドベンチャー・ジャーナリストでもあるクリス・ボニントンはフォックスのことばとして
「登山は100ヤード競争に似ていると思う。瞬発的な力の集中が要求される。一方、南極ではすべてがクロス・カントリー競技だ。つねに自然に対抗して自分を持ちこたえ、そしてここぞという時に突進するのだ」を紹介している。

彼の『現代の冒険』(岩波書店)から引いたが、性格も考え方も違う二人のリーダーというより登山と極点遠征の違いをよくあらわしてはいないだろうか。サポートに甘んじているようでちゃっかり先に<頂上>である極点に到達したヒラリーがサッサとサヨナラしたのも案外その辺にあるかもしれない。

のちに2人とも英国王室からサーの称号を受けているがそれぞれの多くの功績のなかでも<エベレスト登頂>と<南極大陸横断>からだった。

南極探検といえば初めて南極点に到達したノルウェー・アムンゼンや悲劇のイギリス・スコット、わが国の白瀬矗(のぶ)中尉、最近は不屈の越冬で犠牲者なく生還したエンデュアランス号のアーネスト・シャックルトンを紹介する本がブームになったことで「愛読書です」という方が多い。フォックス隊長らの極点横断には雪上車という新たな乗物が使われたが途中でクレバスにはまったり、故障したりで大変な苦労があった。遠征隊が出発したシャックルトン基地がはじめて<徒歩で>南極点に辿り着いたシャックルトンの名を冠しているのはその偉業に敬意を込めてであることはいうまでもない。

*1926=大正14年  国民が長く待ち続けていた普通選挙法案が衆議院で可決された。

25歳以上の男性に衆議院議員の選挙権が、30歳以上の男性に衆議院議員の被選挙権が与えられることになった。それまでの「国税3円以上を納付の者」という制限が撤廃されたことでわずか330万人だった有権者は1,250万人に増えたがそれでも全人口のわずか20.9%に過ぎなかった。貴族院の圧力で被選挙権は原案の25歳以上から30歳に引き上げられた。

その後、3月26日に貴族院で修正可決されようやく5月5日に公布の運びとなったが一方では社会変革を恐れた枢密院の圧力で同時に後のたび重なる改悪で悪名高い治安維持法も成立。ひと足早い4月22日に公布されている。

「普選」と呼ばれたこの選挙の啓発ポスターは「国政は舟の如く、一票は櫂の如し」だったが参政権を与えられなかった女性たちを代表して婦人参政権獲得同盟の平塚らいてうや市川房枝女史が立ち上がり「新しい女」と世間の白眼視を受けながら運動を広げていく。女性に参政権が与えられるのは太平洋戦争後の1945年12月だからまだまだ長い道が始まったばかりだった。

思い過ごしだったかもしれないが女史の顔に刻まれたあの深いしわを拝見するたびにご苦労を思ったものである。

*1868=明治元年  江戸・東京の地誌『武江年表』がこの日の<天変地異>を書きとめた。

「日輪緑の色となり、外輪の光が右にめぐって風車の如く動けどもまばゆくはなし」と強い季節風が大陸から季節外れの黄砂を運んできたのを江戸の庶民が大騒ぎした。『武江年表』は家康入府以来の江戸の事件・風俗・社会事情などを記録したもので一度完成していたが斎藤月岑(げっしん)が明治維新の変革を<追加記事>として書き加えた中にある。

斎藤家は江戸初期からの神田の町名主で3代にわたって描かれた『江戸名所図会』やこの『武江年表』は有名。1月1日にさかのぼって明治元年とするという「改元の詔」が出されたのは半年後の9月8日だからまだ江戸は徳川時代そのままだった。記録に残されたことでこの程度の気象変化でも「天変地異は凶事の前触れ」と気味悪がったり騒いだりした当時の不安な世相を伝えているのではあるまいか。

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