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新・気まぐれ読書日記 (29)  石山文也 颶風の王

行きつけの大型書店で探したが見当たらなかったので尋ねたら「入荷履歴なし」だった。仕方なく取り寄せを頼むと、こんどは「版元品切れで再版待ちです」とのこと。ようやく届いたのがこの『颶風(ぐふう)の王』(河崎秋子、角川書店)である。

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仕方なく、というのは購入するなら店頭で確かめてから、というのではなく、題名のほうに興味を惹かれたから。購読紙の書評で『氷点』50周年を記念した「三浦綾子文学賞」の受賞作であることを知ったが、それ以上に颶風の二字が気になった。台風の旧字「颱風」とどう違うのかと旧字を調べるのに重宝している博文館の『辞苑』(第227版、昭和14年)を引くと「颶風=(名)螺旋状に旋転する急激な風」とそっけない。「颱風は颶風の別名とあったら堂々巡りだよ」と思いながら次に颱風。こちらは「颱風=(名)フィリッピン諸島付近に発生して支那大陸・東支那海・日本・太平洋西部等に襲来する熱帯性の颶風。盛夏から9月末にかけて襲来し、往往海難・風水害を惹起する。我が国でニ百十日・ニ百二十日として警戒されるのはこれである。タイフーン」。つまり北国特有の強風なのだ。それもあって<ようやく感>がいや増したわけです。

著者は「羊飼い」を自称する。1979年北海道東部の根室支庁別海町生まれ。札幌の大学を卒業後ニュージーランドで緬羊飼育技術を一年間学んだあと実家の牧場で緬羊を飼育、出荷している。とはいえ、まだ子羊も入れて数十頭規模、主力は乳牛中心の酪農業だそうだからチーズなど乳製品にも詳しい。著者のプロフィールをわざわざ紹介したのは「明治から平成にかけて馬と共に命をつないだ6世代の家族の物語」という本作に登場する肝心の馬は牧場では飼ったことがないと知ってちょっと意外だったからでもある。

第一章   「乱心」の時代は明治、東北の山奥、やがて峠にかかる雪道から始まる。

嗚咽が積もった雪へと滲みた。抑えきれず漏れ出した泣き声が、鼻を啜る音と混じりながら、冷えた空気へと白く吐き出されていく。青年が野で独り、そうして泣いていた。名を捨蔵という。歳は十八、ぼろを着ているがその下の肉体は骨太で、この貫禄が彼を実年齢以上に頑強に見せていた。

章の主人公、捨蔵は生まれる前に父親を亡くし、離乳が済むと生家である庄屋宅から厄介払いされるように小作農家へ里子に出された。その事情は捨蔵という名前に込められる。困窮の中で優しく養ってくれた年老いた養父母のもと、3歳のころから見よう見まねで鍬をふるい、10歳を越す頃には大人とほぼ同じ働きができた。養父母の死出を立派に見送り、早朝から夕刻まで狭い田畑に出て一心に仕事をし、時々乞われて近隣の家を手伝うだけの明け暮れ。そんなある日、仕事に行った家の土間の一角に焚きつけにするために丸められていた新聞の「開拓民募集」というひときわ大きい活字が目に止まる。北海道。開拓者。明るい未来。開墾。未開の沃野・・・「これだ、これこそが」という<確かな直観>が捨蔵を突き動かす。

心を病んで生家で暮らす母ミネは別れ際、捨蔵に「これ、持ってお行き。餞別だあ」と、ぐしゃぐしゃになった紙の塊を手渡す。捨蔵は少しずつ貯めていた貯金や餞別で隣村の農家から明三歳の堂々とした牝馬を手に入れる。かねてから惚れ込んだ栗毛がきれいに磨かれて光を放つ立派な体躯の馬はこれからの道行きの相棒となった。陸路酒田の港まで行き、そこから船であこがれの北の大地へ向う。馬の綱を引くと馬は長年一緒に働いてきたかのように従順に捨蔵の傍を歩く。間もなく峠に入ろうかという山道で、捨蔵はふと馬のために塩の包みを用意していたのを思い出す。峠越えの前に塩を舐めさせてやろうと懐に手を入れると、先ほど母親から貰った紙の束に指が当たった。そこに書かれていたのは母の、自分の過去についての記録だった。捨蔵を宿るに至った経緯と、産むまでに経験した事件、あるいは惨事の一部始終だった。父と母、それに愛馬のアオが必死で生きて果てた記録だった。母は正気と幻想の間を行き来し、そうして正気の部分で確かに捨蔵の選択を支持し、喜び、この手紙と共に送り出してくれたのだ。父の最後の言葉「生き延びれ!絶対にっ!」とともに。捨蔵は頬を濡らす涙をがしがしと拭うと「俺は、人と馬の子だ。なあ」と馬の首を撫でさする。温かい。新天地ではこの温もりがきっと俺の支えとなると歩き出す。

第二章「オヨバヌ」は戦後まもなくの昭和。かつて馬と共に北海道に渡った捨蔵は様々な苦難を経て、根室半島の南に太平洋を望む海岸線、集落から離れた海辺の地で馬を飼い、地曳網を引きながら暮らしている。来た時は30を越えたころだったが孫も3人いる。馬も、共に北海道に渡った馬の子孫ばかり16頭を育てていた。この章の主人公は捨蔵から馬飼いを叩き込まれるいちばん上の孫娘・和子で小学校の高学年になっている。

晩秋のある晩、難産の末産まれ、育てるのにもいちばん手間のかかったワカをめぐる事件が起こる。捨蔵の「まるで若様みてえだじゃ」の一言から名付けられた。懸命に世話をしてきた和子にとってもワカはいささか持て余すところがあった。暴風が近づき雨も降り始めた夕刻、放牧地でいくら呼んでもワカは現れない。和子は仕方なく他の馬を連れて家路を辿ったが食後の片付けが終わっても1頭だけが戻っていない。そこに捨蔵の雷が落ちた。

「馬は目ぇかけてやらねば人間ば信用してくんねえ。信用してくれねぇば、いざちゅう時に人間も命預けられん。分かってんのか、和子」

「時間も何も関係ねぇっ!遅いっちゅうのだら、こったら遅ぇ時間まで馬ほっぽいた自分の馬鹿さ加減ば反省しながら探しに行け!」

「俺は。俺の家は。馬に生かされたんだ。報いねばなんねえ、報いねば・・・」

背中を向けて呪文のようにつぶやく祖父の声を思い出しながら和子は深夜の森を抜けていく。「むくいねば。むくいねば・・・」

この地方で人は空と海と森とを「およばぬ」ものとして畏怖した。普段は穏やかに美しく見える風景も、天候不順などの際は何もかもが荒々しく豹変する。人の努力も及ばない。例えば荒天で海が荒れ漁師がなくなる。人がどれだけ生きんと欲しても、無慈悲に根こそぎもぎ取られていく。昭和30年の夏、それまで苛烈な風土に抗いながらも懸命に生きてきた一家と馬の平穏は無慈悲に、そして突然崩される。沖の孤島、花島でのコンブ運びに貸し出されたワカをはじめとする7頭が嵐による豪雨がもたらした大規模ながけ崩れで取り残されてしまったのだ。生計の基盤を失った一家は残った馬を売却すると母の実家のある十勝の内陸部へと旅立つ。

第三章「凱風」は平成の現代、孫の大学生ひかりたちと暮らしていた和子は突然の脳卒中で倒れる。緊急手術は無事終了したが眠り続けていた。倒れてからちょうど1週間後に、和子はようやく意識を取り戻す。付き添っていたのはたった一人、家庭教師のバイトを休んで様子を見に来たひかりだった。和子は「う、ま。うま、は・・・」、「馬ぁ、あれ、まだおるべか」とひかりには意味不明のことばをつぶやき続ける。馬と共に生き、手塩にかけた馬たちを手放さなければいけなかった和子の深層意識がその言葉を発せさせたのだが、馬とは無縁で育ったひかりにはさっぱり理解できなかったのである。

ひかりは祖母の「気がかり」を求めてふたたび根室の地へ。この章の主人公はもちろんひかりなのだが現代へのワープというか見事な転換以上に、これはひかりにつながる一家の物語であることを知っているから、ひかりとともにその旅を見届けることになる。最後の「弥終(いやはて)の島」でわれわれ読者は<颶風の王>という題名に込められた意味を知る。

ひかりの記憶と、祖母らの記憶とが境界を無くして混じり合い、やがて海風に混じって流れていく。その風はいつでも海を渡り、島の草を揺らし、あの馬の鬣(たてがみ)を揺らすだろう。望むらくはより強く。あらゆる淀みを引き飛ばし、変わらぬ意思を研ぎ続け、強く激しく吹くといい。

最後まで一気に読ませる見事な筆さばきにただただ圧倒され続けた。

ではまた

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