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書斎の漂着本 (42)  蚤野久蔵 ブレンダン航海記  

航海記や漂流記に「マニア」などという言葉があるかどうかは別にしてもこれまで百冊以上を読んできた。「そのなかでいちばん夢中になったのは何ですか」と聞かれて「聞いたことがない」といわれるのもシャクだから『コンティキ号漂流記』をあげることにしている。これならノンフィクション全集だけでなく文庫などにも収録されているので「ああ、私も読みました!」という反応が期待できるし、会話が弾むからである。もっとも、南米から南太平洋への民族移動を証明するというヘイエルダールの試みはいまでは<学説上は否定された>けれども、航海記そのもののおもしろさが色あせることはない。この『書斎の漂着本』では、少なくとも<読んでもらえる>わけだから『ブレンダン航海記』をぜひ紹介したいと<思い至った>わけです。ティム・セヴェリン著、水口志計夫訳。23ページにのぼるカラー写真や地図などを入れて昭和54年(1979)に、サンリオから単行本として出版されたが、文庫化はされないまま絶版になった。

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聖ブレンダンは6世紀のアイルランドに実在した修行僧で、「牛の皮を張った舟」を使って大西洋を横断してアメリカに行って再び戻ってきたという中世ラテン語の文献を残した。邦訳すると「大修道院長聖ブレンダンの航海」といい、130もの写本があるとされる。著者のセヴェリンはアイルランド在住のイギリス人冒険家で現在も作家としても活躍している。米・ハーバード大学図書館に通いつめて探検の歴史を研究していて知り合った奥さんの専門が中世スペイン文学で、彼女はこの古文献の記述が「通りいっぺんの表現」ではなく、奇妙なほど具体的で、実際の航海を裏付ける部分があるのではないかと指摘した。

著者夫妻の<なれそめ>まで紹介してしまったが、これが航海を決断する重要なきっかけになったということでお許しいただきたい。それまでは聖ブレンダンと仲間の修行僧の航海は単なる伝説と思われていたが、訪れた場所の地理や、航海の過程、時間と距離などを注意深く書き残していた。その一方で、島と間違えてクジラの背中に<上陸>し、食事の支度で火を起したが、熱さでクジラが目を覚ましたため、命からがら船に逃げ帰ったとか、海中に浮かぶ巨大な「水晶の柱」に出会った話や、「鍛冶屋の島」からは怒った島人が何百メートルもの沖まで火のついた岩の塊を投げつけた。さらに「鼻の穴から火を噴く怪獣」に追いかけられたというのもある。なかでも最大の問題は「牛の皮を張った舟」で果たして厳しく長い航海に耐えられるのかどうかだ。後世のヴァイキングが航海に使ったのも木製の船で、牛皮の舟などどこを探しても残っていなかった。

ところが聖ブレンダンが出発したと伝わるアイルランド北西部にある湾の奥で、現在も木製の船体に厚いキャンバス地をかぶせて防水用のタールを塗ったカヌーが漁や牛の運搬に使われていることがわかった。早速、見学に行くと意外に安定感もあり、昔は帆を立てたのもあったということを確かめた。それからは防水牛皮の研究や艇本体の製作職人を探すなどの苦労を重ね、オークの樹脂や羊の油脂を使って処理した牛皮49枚ができあがった。3年がかりの奮闘で二本マストの「ブレンダン号」が完成して実験航海を重ねた。著者自身もイギリスから地中海を横切ってトルコを往復するなどヨットでの経験はあったが乗組員は慎重に選ばれた。最後の5人目に加わったのはアイスランド海域でトロール船に乗り組んでいた23歳の漁師で、1976年5月17日に下図の右にあるアイルランドを出発した。

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ブレンダン号の大きさは全長11メートル、最大幅2.4メートル、舟だけの重量1,080キロで13平方メートルの主帆(メインスル)と5.5平方メートルの前帆(フォアスル)にはアイルランドの「石の十字架」が描かれた。無風の時や港の接岸には長さ3.6メートルのオール2本で漕ぎ、後部にはかじ取りの櫂が方向舵がわりに取り付けられた。積み込まれたのは水590リットルのほか、食糧、無線機材、8人乗りの救命ボートなども含め、総排水量はほぼ10トンに上った。無線機の電池は2枚のソーラーパネルで補充されたが、荒天時の排水は人力でビルジポンプを動かして行った。

最初の嵐は5月末にやってきた。舟は一晩中、大きな波にもみくちゃにされ、何度か向きまで変わった。骨組みは絶えずぎいぎいときしみ、風が勢いを増して烈風に代わると4、5メートルの波が何度も襲いかかった。帆を支える紐も何度もちぎれたものの舟は意外に安定していることが確かめられた。しかし隊員のひとりが腕の筋肉を負傷して通りかかった漁船に曳航されて、ヘブリジーズ諸島の港で別のメンバーに交代せざるを得なくなった。応急修理を終えて2日後に再出発したが、さらに北、フェアロー諸島の近海では半日間も早い潮の流れと逆向きの強風に翻弄されて進まず、岬の崖に何度も吸い寄せられそうになった。ここでも偶然、トロール船に出会い、近くの避難港に入港できた。再度の修理をして出港、数百頭ものクジラやシャチの大群に囲まれたときには皮膚がかゆい大クジラに体をこすりつけられたらひとたまりもないだろうとヒヤヒヤした。岸近くでは海底火山の噴火を見つけたりしてようやく7月16日にアイスランドに到着して1年目の航海を終えた。

翌年の航海は5月7日にアイスランドのレイキャヴィクを出港した。艇全部をオーバーホールして機材を入れ替えたが、乗員は1人少ない4名でグリーンランド沖から直接、カナダのニューファンドランド島を目ざした。グリーンランドは氷河におおわれた大地なので近海は濃霧に包まれるのと流氷が心配された。この海域をなるべく避けて順風と潮流をつかんでいく計画で、飲料水も700リットルに増やし、前の航海では海水の浸入で廃棄した乾燥食料に替えて中世と同じ燻製のソーセージや牛肉、塩づけの豚肉を準備した。これなら海水に濡れても大丈夫と分かったからだ。

最初の航海と同じように何度も嵐に遭遇したが、最大の危機は6月18日の未明に起きた。悪天候の中、突然、船体に流氷がぶつかってバリバリという音を立てた。しかも何度も。舟を覆う牛皮が切り裂かれたらひとたまりもない。流氷は次から次へとやってきた。舟は何回も大きな流氷に乗り上げては滑り落ちた。あたりがようやく明るくなると見渡す限りの流氷帯の真っただ中にいることがわかった。見張りを立てて日中は氷の中に水路を見つけてはのろのろと進んだが水漏れは止まらない。やがて夜、氷が当たる音が止まず、全員が手分けして行う徹夜の排水作業で疲労困憊した。

ようやく流氷帯を抜け出て、朝を迎え、波が少し収まったのを待ってひとりが水中作業用のウェットスーツを着て舟底に潜り、破れ目にパッチワークのように皮の「つぎ」をあてることになった。底から皮にひもを付けた長い針を通し、上からはすかさずペンチで引き抜く。こんどは逆に針を刺して、という作業を続けてようやく穴をふさぐことができた。同じような作業を別の場所でも続け、3時間ほどでどうにか水漏れが止まった。

その後はなんとか無事に航海を続け、6月26日午後8時、ニューファンドランド、セントジョンズの約240キロ北西にあるペッグフォード島に着岸した。ここでようやく「新世界」に触れたわけである。

朝日新聞は6月29日の紙面で次のように報じている。
「皮舟で大西洋横断」
[ガンダー(カナダ・ニューファンドランド島)27日=ロイター]
6世紀に北大西洋を横断して北米大陸に到達したと伝えられるアイルランドの伝説的英雄、聖ブレンダンの偉業を立証しようと、アイルランドから当時と同じような皮舟で大西洋横断に挑んだ冒険家4人が13カ月もかかってようやく26日夜、カナダ・ニューファンドランド島北部のマスグレーブ港に無事到着した。ティム・セヴェリン船長ら英、アイルランド、オランダ人の混成チーム。上陸後、ホテルに落ち着いたセヴェリン船長らは27日「この航海成功により、聖ブレンダンがヴァイキングやコロンブスに先だって米大陸に到達した最初の欧米人である可能性が立証された」と語った。

たったこれだけ?といえばそうかもしれないけれどあくまで新聞記事ですから。

航海記の最後で、著者は「水晶の柱」は氷山、「鍛冶屋の島」の話は、アイスランドの海岸で海に流れ落ちる溶岩、「鼻の穴から火を噴く怪獣」も同じく岸近くの海底火山だったのではないかと<タネ明かし>してみせる。そして、強風と氷海を通り抜けることができたのはブレンダン号がしなやかで航海中でも修理可能だったからに他ならないという。

最初にあげた『コンティキ号漂流記』も同じく水口志計夫訳で知られるが、『ブレンダン航海記』のほうもなかなかおもしろい。たとえばブレンダン号が氷山に乗り上げるシーン。

氷山はわれわれの下で持ち上がり、ぎいぎいという音とともにブレンダン号を捕え、舟を持ちあげて傾けはじめた。「われわれは今川焼きのように裏返しにされようとしている」と思った。皮が氷の上でぎいぎいいう音がもう一回して・・・

ホットケーキではなく今川焼きというのに思わず拍手を送りたくなりませんか。

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