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新・気まぐれ読書日記 (16) 石山文也 僕のおかしなステッキ生活

もっぱら書斎のベッドに寝転がって、だから<緑陰読書>というには当たらないだろうが、起き上ったときには、お隣のザクロの実が色づいたのを見つけたり、遠くの山並みを眺めたりできる<緑が楽しめる環境>ではある。ここ数日続く突然の雷雨の襲来が、夏の終わりを思わせて、少年の頃に毎年のように経験した「早く宿題を片付けなくては」の気分になる。そんなこんなで井上陽水の『少年時代』を口ずさみながら本棚から取り出したのがこちら。シゲモリ先生こと坂崎重盛の『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』(求龍堂、2014)である。まだ残暑の候だから、歌詞にある「夏~が 過~ぎ~」でなくてよかった。

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シゲモリ先生の本は、田舎暮らしや若隠居にあこがれていた?こともあって『超隠居術』(二玄社、1995)以来、楽しみに読ませてもらっているが、そのときはステッキのところではなく「超隠居の快楽生活は、パワフルな気力・体力あってこそ満喫できる」や「<義理>や<大義>を忘れアウトサイダーの境遇を楽しむ」「ナンセンスなコレクションにうつつをぬかす至福」などにフムフムとうなずいた。もっともシゲモリ先生はあくまで「都会の片隅でしぶとく生きる派」だから、田舎志向の私にはいささか勘違いだったので、斜め読みのあとは書庫に眠っていた。京都の古書店で求めた『蒐集する猿』(同朋社、2000)は、えらく丁寧にハトロン紙のカバーが巻かれていたので、これまで表紙の「ひょうたん型切り抜きの意匠」に気づかなかった。まさに新発見!今回、ステッキ趣味の原稿をあらためて読み直すことを思い立ったから、それぞれの表紙も紹介しておこう。新発見と書いたのは右の「ひょうたん」部分ですね。

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『超隠居術』で「ステッキほど素敵で不敵なコレクションはない」と宣言したシゲモリ先生が「おかしなおかしな」と繰り返すのは<物好きにもほどがある>からで「ステッキ生活の集大成」となる一冊である。とはいえ、ステッキを偏愛するのは自身の歩行を助ける介護用ではない。「少々、世の笑われ者となったとしても、ぼくは、そろそろ、手元のステッキを、あれこれ、とっかえひっかえ持って歩こうかと思っている。もちろん、そんな齢でもないので、ステッキが似合わないのは十分に承知している。キザでイヤミな自己顕示と思われるかもしれない。しかし、いいじゃないですか。せめて五体満足なうちに、かっての有閑階級のポーズとしてのステッキを持ち歩く」。街歩きには欠かせないおしゃれアイテムだった古き良き時代への憧憬を持ち続けている先生流の「記憶遺産としてのステッキのPR」とでもいえるのではあるまいか。

海外取材で訪れた街の専門店やアンティークショップをはじめ、国内での蚤の市などで買ったステッキは優に百本以上になるというが、お土産として配ったり、友人知人へ贈ったりして手元に残るのは五、六十本ほど。その一本一本どれもが、それぞれの楽しいシーンを思い出させてくれる「記憶再生杖」でもある。かつ、無言のよき伴侶であり、心身を癒す心やさしい友でもある。「心屈する日の昼下がりなど、そのうち何本かを取りだしてはボロタオルで、ヘッドや軸の部分をやさしく磨いたり、その装飾や彫刻をじっとながめたりしていると、なにか古い友と語り合っているような気持ちになる」。収集はステッキだけにとどまらない。写真や挿画、豆本、はたまたステッキが登場する古書、古文献の類まで幅広い。まさに何でもござれ。ステッキには筋金はないだろうが、ここまでくるとしっかりと筋の入ったステッキ・ハンターであろう。

明治時代に洋風スタイルのシンボルとして持ち込まれたわが国のステッキ文化は、戦前までは20代のまだ世に出ぬ学生ですらステッキを持ち歩いていた。青年やサラリーマンも、文豪・文人に至っては鴎外、漱石、荷風から井伏鱒二、国木田独歩、田山花袋、徳田秋声、内田百閒、小林秀雄・・・。堀辰雄のステッキは室生犀星からもらった上等の籐製だった。所有するだけでなく贈答品としても重宝された。

変わったところでは昭和初期に銀座にはステッキ・ガールという新職業があった。「銀ぶらガイド社」なる名称の「ステッキ・ガール派遣会社」が登場した。昭和5年の『モダン新用語辞典』には「1929年頃に東京に起こった新造語。銀座に出現して一定の時間及び距離の散歩の相手をする代償として料金を求める若い女の意味である。つまり男のステッキの代わりをする女である」とあると紹介する。翌年はやった『当世銀座節』(西条八十作詞、中山晋平作曲)にも「銀座銀座と 通う奴は馬鹿よ 帯の幅ほどある道を セーラーズボンに 引き眉毛 イートン断髪(クロップ) うれしいね スネークウッドを ふりながら ちょいと貸しましょ 左の手」と歌われている。スネークウッドこれを使ったが高級ステッキのこと、左手をちょいと貸すのがステッキガールに、というわけです。

「今日の人士にも<ステッキ系>と思われる人々がいる」では、ステッキそのものやステッキアイテムを集めていなくても、著書を読んだり、それらしいイラストレーションに出会うと「あ、この人は多分、<ステッキ系>の人、“ステキスト”だな」という雰囲気がなんとなく、わかってくる。まずは、日々、不急を楽しむ文人肌の人、あるいは自分自身を「無用の人」と思っている人、しかも散歩や街歩きが好きな人、内外の風俗や社会現象あるいは深層心理に強い関心を抱いている人――こんなところだろうか。

紹介している私も、ステッキは持ち歩かないが、十分、ステッキ系の人の<資格>があるなあ、と思えてきます。

「ステッキ夜話」では大正12年12月27日に、時の裕仁皇太子(後の昭和天皇)が無政府主義者に襲われた「虎ノ門事件」に使われたステッキ散弾銃は伊藤博文のロンドンみやげだったとか、ステッキには「左手用」と「右手用」があるのでグリップを握って掌になじむかどうかを確かめること。ステッキは持って歩く以上に「突いて歩く」シロモノだからアンティークのステッキを買い求めるときには先端の「石突き」を必ずチェックすることが肝要で「一見、時代物のエレガントなデザインでも、石突き部分が投げやりな感じであったり、チャチだったりしたら、首をひねらざるをえない。逆に、それがニブイ白色の、つまり象牙であったりすれば本物だ」などのうんちくがこと細かく述べられる。

そういえばここには紹介されていないけれど明治22年に東京の官邸で暗殺された文部大臣の森有礼は伊勢神宮参拝の折に、皇族以外は入れない御門扉の御帳を持っていたステッキで掲げて覗いたという「伊勢大廟事件」が発端になった。手で直接めくるのははばかられるけど、ステッキの先でならちょっとぐらい構わんだろう、みたいな。徳富蘇峰のように、ステッキで、自動車の座席を後ろからつついたり、人力車の車夫の頭を「早くしろ!」と小突いたりするのは、あまりほめられた行為ではないと強調する。ステッキのハンドル部分は人の頭を小突くためにデザインされているものではないし、内田百閒大人がステッキで駅員の部屋のドアのガラスをコツコツと叩いているのも、これもちょっと・・・かなり偉そうで、間違っても人の家を訪問した時にはやらないほうが無難です、と。

〇ぼくの「仕込みステッキ・ベスト10」〇ぼくの「いただきものステッキ・ベスト5」で紹介される詳細部分や、それぞれの店でのやりとりもおもしろいが 〇ぼくの「掘り出しものステッキ・ベスト3プラス1」は上野・不忍池の畔で開かれる骨董市で破格の値段(わずか5千円とか)で入手したスネークウッドの逸品は、これまで買い集めたステッキの代金の総額を軽く上回るかも、と聞くとまさに「好きこそものの上手なれ」であります。

文中にしばしば登場する「ステッキ系」なることばを紹介したが、もちろんシゲモリ先生の<造語>である。そういえば井上陽水の『少年時代』の歌詞も「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれ さまよう」の「風あざみ」も同じ<造語>である。シゲモリ先生、これからも変わらず「杖にあこがれてさまよう」のだろうなあ。                                     ではまた

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