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池内 紀の旅みやげ(34)伊那の仕立屋ー長野県駒ヶ根市

一般には「「洋服屋」あるいは「仕立て屋」といった。店にはガラス戸に金文字で誇らかにTailorとあって、「紳士服お誂え致します」などと添えてある。既製服万能の世の中になって、すっかり廃れたと思っていた。ところが昔ながらの風格のある洋服屋と出くわした。板の間に木箱を据えつけて、仕事場が一段高くなっている。かたわらに糸や針を収めた引き出し。重厚なアイロン、小道具入れ、端切れ、布地見本、カレンダー。窓ぎわに手動ミシンが二台、障子戸のわきにストーブと、仮縫いの服を着たマネキン。

駒ヶ根市の仕立屋さん。今の今まで、そこに仕立屋の親父さんが座っていたような。

駒ヶ根市の仕立屋さん。今の今まで、そこに仕立屋の親父さんが座っていたような。

床が光るほど磨いてある。ミシンには糸がつけてあって、つい最前まで動いていたのだろう。木箱の下には絨毯が敷いてあって、主人と向き会うかたちで、座りグセの残った毛布があり、横手に何の用をはたすとも知れぬ小道具が台にのせてある。ひろげた布地や、たたんだ生地があるのは、選択用なのか。マネキンの仮縫いに加えて、もう一つの注文があったのか。

仕立ての途中なのか、布地が仕立台にある。アイロンやコテなどなど懐かし気な小道具がいいですね。

仕立ての途中なのか、布地が仕立台にある。アイロンやコテなどなど懐かし気な小道具がいいですね。

長野県駒ケ根市のこと。大通りから一つそれた辻の角にあって、窓側はすりガラス、入口は磨き上げたガラス戸なので、仕事場がそっくり拝見できる。

「駒ヶ根」の市名は西の駒ヶ岳(木曽駒)にちなんでいて、中央アルプスの主峰の東の麓にあたる。ゆるやかな斜面にひろがっており、南北にいくぶんには平地だが、東から西へは、かなりの傾斜の坂道である。うっかりスピードをつけて走り下りると、そのまま天竜川にとびこみかねない。

そんな構造に応じて大通りは南北にのび、東西の道は、つねにのぼるか、くだっていく。建物は段差をつくって建てたが、道路は段差なしだから、たえず前方に注意していなくてはならない。トットとくだっていて、ガラス戸の奥の仕事場が目をかすめた。あまりに昔のままの古典的な仕立屋風景なので、一瞬まぼろしを見たように思い、あわててブレーキかけるぐあいに立ちどまって、ようやく現実のこととわかった。

主人が仕事中なら、むろん、のぞきこんだりはしない。ひと休みのタバコでもふかしていて、ガラス戸ごしに目があって、話しかけてもよさそうであれば、戸をあけて「お邪魔します」となったかもしれない。旅先でおもしろい場に往き合うと、尻ごみしないで声をかけることにしている。ちょっとしたひとことで、なにかが始まったりするからだ。

古風なロゴで店名が出ていた、その感じから年季がわかる。板間や障子のぐあいからも、創業当時とまったく同じと思われる。服地の写真モデルは正統派のいで立ちで、やや古風ではあれ、時代遅れというほどではない。仮縫いがすすんでいるから、ちゃんと誂える客がいるわけだ。

かつて日本人は人生のおりおりに洋服を誂えた。大学を出て就職のときだったり、結婚に際してだったり、五十の歳まわりの記念だったり、人あるいは家族によって習わしはちがったが、人生の節目には必ず洋服の仕立てが出てきた。既製服は「つるし」とよばれ、一段低く見られていた。つるしではハレの衣服にならないのだ。

上下揃えとなると、けっこう値が張るが、手間もかかる。服地の選択、寸法調べ、仮縫い、仕上がってからも試着した上で調整することもある。よりどりを試してみて、それで即刻きまるつるしとはまるでちがうのだ。それに既製服はどんなにピッタリ合うようでも、脇が窮屈だったり、肩がひらいていたりするものだ。人体はひとりひとり微妙にちがっており、つるしではモデルに自分を合わせなくてはならない。

誂え服は着やすくラクである。やわらかく体をつつんで、どうかすると着ているのを忘れるほどだ。だから腹部が膨張して、いわゆる「でっぱら」のトシになると、季節の変わり目には、おっかなびっくりで着ることになる。やわらかさが失せて、胸から腹をしめつけてくる。もとより当人のせいであって、洋服屋のあずかりしらぬところである。

駒ヶ根市は伊那谷の斜面にひろがるから風が強い。初秋のことで、秋の陽ざしがとぎれると、冷やっこい風が吹いてくる。ガラス戸の前に十分ばかり佇んでいた。主人は何かの小用をたしに近所へ出かけたのではあるまいか。いかにもちょっと仕事場を留守にしたふぜいである。おかげで日ごろないことだが、他人の家をじろじろのぞきこみ、あまつさえ写真にとった。仕事場のたたずまいそのものが手職のモラルといったもの、職人気質を絵解きしたぐあいであって、いくら見ても見飽きがしない。当今の日本はなんでもあるが、しかしこればかりは、きれいさっぱり地を払ったようなのだ。

【今回のアクセス;JR飯田線駒ヶ根駅下車、歩いて五分ばかりの街角】

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