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“10月29日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1945=昭和20年  政府発行の「第1回宝籤(くじ)」が発売された。

1枚10円、1等賞金10万円で売り出し枚数は1千万枚。4等まで副賞として当時は手に入らなかった純綿キャラコ2反が付き、空くじ4枚でやはり貴重品だったたばこ10本入りの「金鵄」1箱がもらえた。見渡す限り焼野が原となった国内復興のためで駅の弘済会売店やデパート、たばこ販売所などいたるところで売られた。

政府は戦費の不足を補うために戦争末期の7月15日に「第1回奨金附勝札」を発行した。売り出し枚数は2千万枚だったが皮肉にも売り出し最終日の8月15日が終戦になったため「勝札」の名に反して<負け札>となってしまった。抽選は予定通り25日に行われたがさっぱり盛り上がらなかったからそれに代わる企画だった。

「欲しいものは多いが懐中の淋しい人たちは闇市を一巡も二巡もして、目でひと山の果物の数をかぞえてどこが一番安いのかをのぞきまわる。百円、二百円程度の月給生活者では十円札を楽々と出せるだろうか」という投書が新聞に載ったが誰もがのどから手が出るほどお金が欲しかったからその心理をついて売れ行きは予想外に良かった。

抽選は11月12日午前10時20分から日本橋三越百貨店の1階中央ホールで開かれた。パイプオルガンでベートーヴェンの第五交響曲「運命」が響くなか、観客から選ばれた若い女性2人が抽選機をガラガラと回した。回転が止まると数字が書かれた玉が転がり出る仕掛けだったが会場から「もっと回せ、もっと回せ」というヤジが飛んだ。

宝くじの起源は江戸時代初期の「富突き」にあるとされる。関西では摂津(大阪)箕面の滝安寺の「福富」が有名である。金銭上の利益ではなく信仰行事で毎年正月元日から7日まで天下安全、五穀豊穣の祈祷が行われた。7日の修正会の満座の日に開かれる「富会(とみえ)」には各地から大勢の参詣者が集まった。参詣者は小さな木札に自分の名前を書き、観音堂の前に置かれた唐櫃の上部の穴から差し入れる。その間、寺僧による読経が続き、終わると長い錐を持った僧侶が出てきて唐櫃をよく回して中の札を混ぜ富突きが始まる。
最初に突き当てた札を「第一の富」、続いて「第二の富」とそのたびに大声で唱えて<秘法のお札>を授けた。これを授かった者は「萬宝家に充つる霊験あり」とされ、幸運を逃がさないように夜通し歩いて帰宅した。「摂津名所図会」には富突きでにぎわう境内の様子が描かれている。それがやがて大きな賞金をかけての「御免富」につながり江戸や京・大坂では天保年間には最高額が金千両にまでなったが明治政府による全面禁止令で姿を消した。

<国破れても宝籤あり>ですなあ。敗戦の混乱にも負けない宝くじ好きの国民性、昭和20年の宝籤では三越の売場から1等が2枚出たと朝日新聞にあるがさて、当日会場に詰めかけた観客から当たりくじは出たのか。

*1785=天明5年  幕府は旗本・藤枝外記(げき)の禄高4千石を没収、妻と家臣を処分した。

藤枝家は徳川家光の三男綱重の母の縁戚につながる家で屋敷は湯島妻恋坂にあった。六代目の外記は婿養子で武蔵・相模を知行していた。ところが19歳の妻がありながら吉原の遊女・綾絹(綾衣)とねんごろになった。婿殿の息抜きだったのだろうがいくら旗本とはいえ吉原通いは遊興費がかさむ。そんなおり、裕福な町人からの身請け話が持ち上がり、外記は8月13日に遊女を連れ出し、浅草・千束村の百姓家で無理心中してしまう。綾絹は妻と同じ19歳、外記は28歳だった。

当初、藤枝家では外記の心中をひた隠し、家来の一人が死んだことにして役人の検視を受けた。しかしこれがやがて露見してしまう。妻ら関係者が処分され藤枝家は改易になった。旗本と吉原の遊女との心中スキャンダルは江戸の街を駆け巡った。江戸の人々は破滅より<道ならぬ恋>をとった外記を揶揄した。禄高は語呂がいいので切り上げて
「君と寝やろか五千石とろか、何の五千石君と寝よ」
という端唄がはやった。しかし警戒厳重な吉原からどうやって遊女を連れ出したのだろう。

*1787年  喜歌劇『ドン・ジョバンニ』がチェコ・プラハで初演された。

ご存じ、神を恐れぬ女たらしの主人公のオハナシである。スペインの貴族ドン・ジョバンニは<手当たり次第>といっていいほど手が早い。身分、容姿、老若を問わず、自称でも「愛の運び手」、おまけに剣の腕も立つ。今夜も従者のレッポロに見張りをさせてさるお屋敷に忍び込む。

初演に先立ち書きかけの原稿を持ってプラハに来たモーツアルトは友人の別荘にこもって仕上げを急いだ。だが、劇の印象を左右する序曲だけは最終日になっても未完成でようやく徹夜で書き上げた。初演のエステート劇場ではモーツアルト自身がタクトを振った。

ジョバンニが征服した女性はレッポロが記録しただけでその数、2,065人。しかしやがてあの強烈な音楽とともに地獄に堕ちてゆく。ということはやはり悲劇なのだろうか。ウーム。

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