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新・気まぐれ読書日記  (13)  石山文也 海うそ

たまに、自分にとって本を買うための<情報>って何だろうと考えることがある。くだいていうと、ある本が出版される、あるいは出版されたという出版情報もそのひとつである。新聞広告や購読しているのや書店で<ついで>に貰ってくる読書情報誌から、もある。月に何回かはショッピングセンターにある大型書店に行くので「新刊コーナー」や新聞各紙で紹介された「話題本コーナー」は必ずのぞく。もっとも、家内の買物に付き合ってだし、書店はその「待ち合わせ場所」だから、<ついでに行った感>が否めない。「本、買ったのよね」のひとことが、「お待たせ」の代わりだから、こちらも<お待たせしないように>気をつかう。

梨木香歩の『海うそ』(岩波書店)はそんな待ち合わせ時間に買った1冊である。昔から本を買う際にはパッと買う、というか、瞬間の判断で決めることにしているから衝動買いに近い。この本の場合は、表紙や帯にある「岩波書店創業百年記念文芸」ではなく「南九州の遅島で繰り広げられる魂の遍歴の物語」というところから、昭和の初めの南九州の離島が舞台で、主人公が人文地理学の研究者という人物設定に興味が湧いたから。

梨木香歩著『海うそ』 岩波書店

梨木香歩著『海うそ』 岩波書店

遅島は「日本列島、大小あまたある島々のなかでも大きめの、そして南寄りの島のひとつだった。緯度的には南九州とほぼ同等であるが、黒潮の傍流が周辺海域を流れているので、島の低いところの植生は南西諸島とそれほど変わらない。また南西諸島よりは遥かに本土との距離も近く――本土側の海辺に立てば、よほどの悪天候でないかぎり、いつも陸地が見えている」とおおよその位置が紹介される。さらに「島全体は右向き、つまり本土側を見つめたタツノオトシゴのような形状で、南北を貫いて背骨のように山脈が連なる。タツノオトシゴの頭部、ちょうど目に当たる辺りが湖、である」「湖の向こう側には温泉が湧き出る。辺りでは其処彼処に湯治場ができており、皮膚病にもよく効くというので、本土から難治性の皮膚病を抱えた患者たちも渡って来ると聞いた」「そこからほぼ真下に降りた顎の辺り、つまり湾になっている部分の北は、この島で一番大きな集落になっており、本村と呼ばれている」という追加情報が示される。

もちろん作者が作りだした架空の島だとわかってはいても、旅した記憶にある種子島や屋久島、あるいは甑(こしき)島を思い浮かべながら、見返しに添えられた島の地図に見入ってしまう。龍目蓋(たつのまぶた)、森肩、沼耳、呼原(よばる)・・・島の北西部、タツノオトシゴの後頭部あたりに「海うそ」があり、地名ではない<何か>であるらしいことが暗示される。

作者の梨木香歩の本を読むのは『家守綺譚』(新潮社、2004)、『ピスタチオ』(筑摩書房、2010)以来である。前者が学士綿貫征四郎の語り口による<ほんの百年すこし前>に出没したモノたちの物語で、後者はアフリカ取材に出かけた女性フリーライターの時空を超えた不思議な体験というものだったが、この読書日記には書きそびれた。

昭和に入って、あと数年で10年になる年に、遅島にやってきたのは大学の文理学部地理学科に所属する若い研究者・秋野で、夏季休暇を利用してこの島の現地調査が目的だった。その年の初めに亡くなった研究室の主任教授の資料整理をしていて未発表の調査報告書を見つけた。教授がまだ学生の時分に独自に調査していたもので島全体の地名や寺院遺稿の一部が書かれていたから秋野はそれを補完したいと思った。島は古代、修験道のために開かれ、権現信仰を中心とした教義で、明治初年までは大寺院が存在していた。最盛期には僧坊も20近くあって西の高野山と呼ばれるほどの隆盛を誇った。その様子は、「西国島嶼名勝図会」にも残されているが、すでに深い藪のなかに埋もれてしまった。島の南部、タツノオトシゴの尾の先に至る湾曲した長い岬のほとんどがこの寺院の敷地で、護持谷、権現川、胎蔵山、薬師堂などの地名や寺院エリアを拡大した地図もあった。一昨年、許嫁を亡くし、昨年、相次いで両親を失った秋野は、その地名のついた風景の中に立ち、風に吹かれてみたいという、止むに止まれぬ思いが湧く。決定的な何かが過ぎ去ったあとに、沈黙する光景の中にいたい。そうすれば人の営みや、時間という本質が、少しでも感じられるような気がしたのだ。

いささか荒っぽいかもしれないが作者が示した秋野という主人公が島にやってきた目的や島の歴史を書き上げてみた。もっとも人物は、島外からやって来る<まれびと>の秋野しか書かなかったが、迎える人々もいるわけだから、示された地図、歴史、登場人物にはいずれもその前に(島の)とつくことになる。地図にはそれぞれの地名をつなぐ道路はなく、同じように歴史も「まるで生木を割くようだった」という廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたことで塗り替えられ、そして人も代わった。地図という確実に見える存在さえもひょっとしたら<切り張り>なのかもしれない。読者であるわれわれは「まれびと・秋野」とともに、いや、秋野の五感を借りながら島を巡ることになる。あるいは巡礼であり、魂の彷徨に付き合いながら。

宿を借りた老婆たちからは「雨坊主」や「船霊さん」など土俗的な言い伝えも教わる。そして「海うそ」のことも。ひょうひょうと生きている彼らのなかにはあらゆる民俗的なもの、先祖から連綿と受け継いだ土俗的な記憶が重層的に生き続けている。

圧倒的な森のなかにたくましく生き続けるものたち。植物なら、たとえばイタビラカズラ、アコウ、ヤブツバキ、ミツガシワ、バショウ。鳥はカラスバト、コノハズク、アカショウビン、クイナ、アオバト。動物はカモシカ、野生ヤギ、それらを追う猟師。蝶ならミカドアゲハ、ツマベニチョウ、アサギマダラ、洞窟のなかのキクガシラコウモリ、いちいち名前をあげるときりがない。永遠の時を生きているそれぞれをあまねく照らす月の光。秋野は最後に辿り着いた広大な寺院跡で吹く風に応える「何か」を感じる。蜃気楼のひとつであると明かされる「海うそ」にしてもその時々、見る人によってはまた別の眺めに見える<海の幻>である。九州を中心にして各地に残るという「獺越(うそごえ)地名」も、この島がルーツだとすると「海うそ」につながるのかもしれないとも。

50年後、ふたたび島を訪れた秋野に若き日の旅の記憶がフラッシュバックのように蘇る。

長い長い、うそ越えをしている。越えた涯は、また、名づけのない場所である。

「さて」と本を閉じて、丸一日おいたあとで書き出した読書日記を終わることにする。書斎の窓からのぞいたが雨のせいで遅島のような月は見えなかった。今夜は私のなかにもさまざまに越えて来た旅の記憶がよみがえりそうな気がする。
ではまた

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