1. HOME
  2. ブログ
  3. あと読みじゃんけん(16)渡海 壮 ビーチコーミングをはじめよう

あと読みじゃんけん(16)渡海 壮 ビーチコーミングをはじめよう

まもなく梅雨明け、海水浴シーズン前の海辺はビーチコーミング(=漂着物さがし)には絶好の季節である。折しも台風一過、大量の漂着物が打ち上げられている光景を想像していると海辺の漂着物博士、石井忠さんからいただいた『ビーチコーミングをはじめよう』(2013、福岡市・木星舎)があったのを思い出した。謹呈の短冊には「異国から届くメッセージ入りの漂着瓶」の版画が添えてある。石井さんが病身をかえりみず情熱を込めて書きあげたこの本は、表紙イラストや挿絵、カットのほとんどを自ら手がけた。40年以上もの海辺歩きで「海からのメッセージ」を拾い、その魅力を伝え続けた思いが詰まった石井さんの<宝箱>でもあり、最後の本になった。

 石井忠著『ビーチコーミングをはじめよう』(福岡市・木星舎刊)

石井さんは福岡県福間市在住の漂着物研究家だった。<広げたパラソルのふち>と名付けた玄界灘沿いの海岸線を歩きまわり、打ち寄せられた漂着物を採集、分類、分析することによってなじみのなかった分野を「漂着物学」として位置づけた。最初に出版した『漂着物の博物誌』(西日本新聞社、1977年)には「よりもの」とルビをふっている。わが書斎には「漂着物・海流・漂着ゴミ他」というコーナーがあり、石井さんの『漂着物事典』や『新編 漂着物事典』をはじめ多くの関連本が並ぶが、この一冊以外は一般用語となった「ひょうちゃくぶつ」だからもとよりルビなどない。

 

冒頭、海水浴シーズン前、と書いたのはビーチの管理者にとって漂着物は厄介なゴミでしかないわけで、当初はなぜそんなものを拾うのかといぶかる声や偏見もあったはずだ。それ以上に石井さんを海辺へと誘ったのは「寄り来るもの」への限りないロマンだったのだろう。

「まえがき」代わりに短冊と同じ呼びかけからはじまる。

「オーイ!海君」

海が見える砂丘から大声で叫び、砂丘を駆け下りて波打ち際へ・・・・・。

そうして四十年が過ぎました。

海で見たこと、拾ったもの、調べたことを絵と写真でまとめてみました。たくさんの出会いがありましたが、これは、そのほんの一部です。

さ、一緒に海岸を歩いてみましょう。

 

石井さんが『玄海を歩く』で漂着物採集に案内してくれるのは、北九州市に近い遠賀郡芦屋浜から岡垣浜までの9キロ弱。JR鹿児島本線の水巻駅で下車、駅の近くの店でパンとお茶、あめ玉を買い、タウンバスに乗り、終点の芦屋中央病院前で降りると海までは歩いてわずか2、3分ほどのロケーションという。

 

「今日はいいぞ!」

波打ち際にまず目をやると、黒い帯となって漂着物が続いています。黒い帯の中心は海底に生えている海藻類がちぎれて寄せられたものです。漂着した黒い帯を見て「今日はあるぞ」という予感がします。目的地の人家が潮風にかすんで遠くにぼうと見えます。

波に寄せられた海藻は、主にホンダワラやカジメ類です。それに混じって流木、ガラスビン、ポリタンクやポリ容器類が目につきます。海藻にからんだビニールの袋や洗剤のポリ容器など、ずいぶん多くあります。日本の製品ばかりでなく、ハングル文字や漢字ばかり書かれてものもあります。特に韓国や中国のプラスチック製の浮子(うき)や洗剤の容器は、いたるところに見られます。缶やビン類をよく見ると、フジツボやエボシガイ、海藻類や薄い石灰質のものが付着し、これらが海を長期間、漂流していたことがわかります。ここで、フィリピンあたりに生えているマングローブ(monggi=マレー語、紅樹林)の樹種であるホウガンヒルギの種子を拾いました。南方果実にしても、種子にしても、同一のものが一度に多く見られることは滅多にありません。それがなんと一カ所に固まるようにして5、6個漂着しているのです。次いで、緑色をした細長い、長さ5~10センチほどのものが。これもヒルギの仲間で、マングローブ林から流れ出たものに違いありません。丸いままのココヤシもありますが流れ着くココヤシは大部分が皮や「内果皮」という中の殻の部分です。私はこれまで660個ほど、玄海沿岸で採集しましたが、波にもまれ、表面の皮がはげたりしているものが多く、丸いままのものとなると十分の一です。この日の採集行でも丸いままのを1個見つけました。

 

少しばかり長く引用したのは採集したココヤシの数を紹介したかったからである。「玄海沿岸で」というだけで660個、「ヤシと言えば、皮でも拾ってくる」とも書いているからそれ以外のも含めるととんでもない数量ではあるまいか。「流れ寄る椰子の実」(玄海にて)という説明の写真にはほんの一部だろうが小山ほどの物量が写る。

 

「はやる気持ちを落ち着けて」

私はいく度も「今日はいいぞ、あわてるな、もう少し注意して歩け」そんなことを自分に言い聞かせながら歩きました。するとククイナットの種子を一個拾いました。一見クルミのようですが、真っ黒でクルミのようなシワがありません。油分を多く含んで「キャンドルナット」とも呼ばれ、灯りにも使われるのです。殻を作ってその中に卵を産むタコの一種アオイガイ、アカウミガメの死骸、台湾から中国へ向けて流す宣伝ビラが入った「海標器」、弥生土器や古墳時代の須恵器、中世の陶磁片なども百片ばかり・・・帰宅すると早速、採集した漂着物を水洗いして乾燥したら油性ペンで採集月日と場所を記入します。フィールドノートには天候、漂着状況、採集物と数量、それにちょっとしたコメントを書いておけば後でその日の状況を思い出すきっかけになります。植物図鑑でヒルギについて調べるとこれまで約300個採集しているホウガンヒルギではなくはじめてのオヒルギとわかりました。新しいものの発見はうれしくなります。

 

どうです、海岸歩きは?異国から種々のものが潮に乗り、何千キロの距離を旅してくるのです。初めの姿や形がなくなって、角が取れて丸みをおびたりして、また違った美しさになっている漂着物もあり、それを手にすると、何とも言いようのない、いとおしさを感じますから不思議です。

 

『椰子の旅』では「流れ寄る椰子の実ひとつ」の島崎藤村の歌から正倉院御物になった椰子の実まであれこれを。『漂着物と文化』では各地に残るさまざまな漂着物伝承を紹介。『いろいろ漂着する』では種子・果実、生きもの、お札や仏像まで<漂着物の百科事典>。『あらそいの漂着物』では近年、海底の発掘調査が続く元寇船が沈む鷹島の海岸で破片を見つけた石弾(=てつはう)を紹介する。ビーチコーミング入門編となる『さあ、海に出かけよう』では採集品を入れる袋から筆記用具類、カメラなど用意するもののリスト、服装から足回り、雷など天候急変の際の諸注意を挙げ、漂着物を拾うコツは「まあ次にするか」ではなく「チャンスは一度」の気持ちで、と書き添える。

 

日本漂着物学会の発起人に名を連ねるなど漂着物研究は石井さんの人生そのものだった。そう考えると<達人>のこんなひとこともなかなか味があるのではないだろうか。

 

漂着物を拾うだけでなく、砂丘に寝ころんで、海を、風を感じてみると、海岸歩きが一層楽しくなります。心も癒されますよ。

関連記事