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“9月22日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1950=昭和25年  犯人の「オー・ミステーク」発言が有名になった日大ギャング事件が起きた。

事件が起きたのは午後2時過ぎ。東京都千代田区で日本大学の職員100人分の給料191万円を銀行から受け取って大学に戻る途中のダットサンを、同じく運転手として日大に勤めていた当時19歳の少年が停車させて乗り込み、同僚の運転手をジャックナイフで刺し給料ごと車を奪って逃走した。車はその後大手町に乗り捨てられているのが見つかった。

犯人の少年は恋人で18歳だった日大教授の娘と品川区内に<日系二世>を名乗って部屋を借りたが下宿屋の家人が留守中に部屋にあったボストンバッグに大金が入っているのを目撃、不審に思って警察に通報した。2人は映画を見たり洋服を仕立てたりダブルベッドなどの購入に約30万円を使っていたが大卒の初任給が4千円の時代、まさに<使いまくった>わけだ。逮捕直後に恋人に向かって「オー・ミステーク」と肩をすくめ、片言の英語を使って二世を演じようとしたがあとの英語が続かなかった。

盗んだ金は<駆け落ち資金>だったと自供した。テンガロンハットをかぶり腕には「ジョージ」の入れ墨もあるなどアメリカのギャングかぶれだった。少年は懲役4-7年の不定期刑、恋人は懲役2年、執行猶予3年の刑を受けたが戦後の若者の風俗を象徴する「アプレゲール犯罪」と呼ばれ大きな関心を集めた。

*866=貞観8年  朝廷は応天門放火の罪で「伴大納言」こと伴善男らに流罪判決を下した。

善男の子の右衛門佐中庸(なかつね)や実行犯とされた友人らも同罪になったが事件の発端はこの年の閏3月に宮中大極殿の正門に当たる応天門が怪火で炎上した。その後、犯人は左大臣の源信(まこと)ではないかという噂が立った。その前にも信が謀反を企てているという投書があった。それを声高に追及したのは右大臣に次ぐ地位である大納言兼民部卿の要職にあった善男だった。

いかんせん当時の朝廷は太政大臣の藤原良房をはじめ右大臣藤原良相、源信も揃って<藤原閥>だった。善男は一方の<大友閥の出世頭>として仁明・文徳・清和の各天皇に重用されてきたが徹底した議論好きなどで藤原閥からは毛嫌いされていた。逆に善男らが犯人であるという投書があったりして形勢は次第に不利になる。尋問を受けた善男らは検非違使の拷問にも一切の関与を否定し続けたが死罪を一等減じられて流罪となり2年後に配所の伊豆で没した。善男は小柄な体駆で眼窩は窪み長いもみあげが特徴。弁舌達者、明察果断で政務に通じていた半面、寛容高雅には程遠く性忍酷、狡猾で悪賢い男であったという。

事件の経過は平安時代末期に描かれた国宝「伴大納言絵巻」(出光美術館蔵)にも紹介したような顛末で残されているが善男の像は火事を見物する後姿などだけだから細かくは窺えない。「放火で炎上する応天門」「無実の罪で捕えられる左大臣源信と嘆き悲しむ女房ら」「舎人のこどもの喧嘩から真犯人が発覚」「伴善男を捕える検非違使の一行」という構成は藤原閥の絵師によるせいか。それにしても追い落とされて最終的に流罪になってもここまで酷評されるとはよほど<人望>がなかったのか。

*1782年  詩人で劇作家のシラーが故郷のシュトゥットガルトを去った。

ドイツ西南部にあったヴェルテンベルグ公国の軍医の息子として生まれた。領主に才能を買われて軍人養成学校で法律や歴史、医学を修めた。匿名で書いた処女作の戯曲『群盗』がマンハイムの舞台での初演で若い観客らに熱烈に支持され何人もの失神者が出る騒ぎにまでなった。ところがシラー自身も劇場に出かけていたことやその内容から領主から目を付けられ医学以外の執筆活動を禁じられてしまう。事実上の幽閉生活に反発したシラーは友人とこの日の夜にシュトゥットガルトを出て亡命した。その後の困窮生活を支えたのは美学者のケルナーで、ドレスデンのケルナーのもとに身を寄せた。ここではのちにわが国でも愛されているベートーヴェンの「第九」交響曲の『歓喜の歌』を書いて友情のすばらしさと素直で喜ばしい感情を込めた。

1787年にはヴァイマール=ワイマール公国に移り、ゲーテの紹介でイェーナ大学において三十年戦争やオランダ独立戦争を中心とした歴史学の講義をした。カント哲学の研究など多くの著作を残したがゲーテとの親交は有名でいくつもの競作を発表、ヴァイマールの広場には2人の銅像が立つ。一方では英仏百年戦争の英雄、少女ジャンヌ・ダルクやスイス独立運動のヴィルヘルム=ウィリアム・テルを題材にした作品を残した。あの頭に乗せたリンゴを矢で射抜く弓の名人の話といったほうがわかりやすいでしょう。

彼の死を悲しんだゲーテは『シラーの骸骨に寄す』という詩を詠んだことでも有名。また『歓喜の歌』はEU欧州評議会の「欧州の歌」や、ローデシアなどアフリカの国の国歌にもなった。ベルリン国立図書館所蔵の楽譜は2001年にユネスコの「世界記録遺産」に登録され08年にはゲーテゆかりとされた骸骨がDNA鑑定で<別人のもの>とわかって話題になったのは記憶に新しい。

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