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“2月某日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1975=昭和50年  2月某日、この珍事件は起きた。「津田塾女装父親替え玉受験事件」という。

どこから<情報>を仕入れたのか『週刊朝日』編集部が総力取材を始めたのは受験シーズンが終わった3月下旬か4月初旬だった。確実な<タレこみ情報>はあったが大学側から“受験生”の名前と学校、住所を聞き出さないことには記事にはできない。
何度も通ったか、あるいは「名前など一切伏せます」と固く約束させられたのか、その甲斐あって4月18日号で特報した。

見出しは「女装替え玉受験にみる“悲しき父性愛”の訴えるもの」。

その女の子がかなり人目を引いたのは確かだ。掃除のおばさんたちもウワサしあった。
「今年は変なのが来てるわねえ」。
服装はちゃんとしている。レンガ色のパンタロンに白いタートルネックのセーター、派手な縞の七分コート。身長165センチ程度というのも最近の女の子としては普通だ。でも、やはり無理があった。
フケすぎている。顔色が悪い。なにせ名門女子大の入試である。
18歳前後の乙女たちが“女の戦い”に命を賭けて、ボーッと上気している。
なかにたった一人“お肌の曲がり角”はとうに過ぎた感じで、青黒く沈み込んだ<彼女>。容貌にしたって・・・
隣の席の受験生も気味悪かったのだろう。初日の試験が終わった直後、監督官に訴えた。
「隣の席の人ですけど、あの人、男じゃないかしら」

くどいようだが「女子大」での話である。大学側は仰天した。どうしたものか。
翌日、他学科の入試がある。<彼女>も願書を出している。

試験開始と同時に試験委員の教授たちが偵察に出た。<彼女>の横をさり気なく通る。
横目でにらむ。必死だ。やっぱり、おかしい!女性にしては手が骨ばっている。ヒゲそり跡みたいなのがある。
「のどぼとけ」はセーターに隠れて見えないが、髪の毛はかつらのようだ。

教授たちのセックスチェックはすべて「男」と出た。しかも「父親ぐらいの年齢じゃないか」
という声もあって、みんな笑った。しかし、決め手がない。
最も確実な「男女の判別法」はみなさんご承知の通りだが、まさかそれを実施するわけにはいかない。
相手は傷つきやすい<乙女>なのである。

出身校に電話してみた。東海地方の公立、県下有数の進学校である。
教頭は「受験勉強で徹夜が続いていますから、疲れでフケて見えるかもしれませんがどこも変わったところはありませんよ」で決定打にならない。

学長以下集まって最後の手段に出ることになった。<彼女>と同じ学校からの受験生2人に受験票の写真を見せると「この顔は絶対違います」だった。

試験が終わって<彼女>が残された。試験委員がいささか緊張してたずねた。
「あなたは〇〇さんですか?」「ハイ、そうです」と女っぽい裏声。

が、一人残された時から観念していたのか続いて生年月日を聞かれると、あっさり“替え玉”であることを白状した。
「いったいあなたはどなたですか?」
「父親です」
少し長く引用したがここから見出しのような展開になる。

<彼>に戻った父親は「申し訳ない。なにとぞご内分に」と平身低頭したが「なぜ」という質問には最後まで答えなかった。立ち会った教授によると、冷静な話しぶりで、取り乱したところはなかったと。

父親は娘が通う高校の英語教師で、海軍経理学校の学生で終戦。戦後、通信教育で教師の資格を取った“苦学の人”で50歳近く、自分の“戦場”ではとっくに先が見えたのでせめて娘だけはと思ったのか、というのは取材からの想像だろうか。

「総力取材」だけあって<識者の声>もなかなかすごい。
娘三人を持つ作家の井上ひさしさんは
「すばらしい話です、これは。受験戦争だとか、父権の失墜だとかいう段階をはるかに超えています。おチャラかしじゃなく、娘と父親の、涙なくしては聞けない心温まる話です。女装までする父親の愛情ってのは、すごいなあ」と絶叫(記事のまま)。
娘の中学受験につき合った推理作家の小林久三さんは
「そうですか、うーん。いや、形は突飛ですけど異様だとは思いません。心理的には共通した部分があります。その人は学校の先生だから受験の現実を最もよく知っているでしょうしね。それが極めて漫画的に出ちゃったわけだ」。

父親の答案は入試科目の英、数、国はいずれも水準以上の出来栄えで当然合格圏内だったがもちろん失格になり、勤め先の学校に辞表を提出。高校でトップクラスの成績だった娘さんは卒業保留になったと結末を伝える。

記事はこれだけで後日談は見つからなかったが、この親子のその後の人生はどうなったのだろう。

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