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“2月14日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1929年  シカゴ最大のギャング抗争事件「聖バレンタインデーの虐殺」が起きた。

ときは禁酒法時代、この夜、旧市街の一角、ノース・クラーク街の倉庫に密造酒の木箱を運び入れようとしていた6人の男たちの前に警察車両が停まった。降りてきたのは警官姿のヒットマンたち。たまたま運悪く通りかかった眼鏡商を含む男7人を壁に向かって並ばせマシンガンを乱射した。その間わずか数分、黒幕はシカゴ暗黒街のボスだったアル・カポネとされ、殺されたのは対抗勢力のバッグズ・モラン一家の幹部たちだった。

この事件は「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれて全米中のマスコミの注目を集めた。ところがカポネは事件発生時には遠く離れたフロリダにいてアリバイ成立、ヒットマンが狙ったモラン本人はわずか数分遅れてきたために難を逃れた。表向きは家具販売業を自称、多くの抗争事件を仕掛けながらも大衆からは人気のギャングスターだったカポネは市民を巻き添えにしたこの事件で一転、憎悪される人物になった。

ご存じ1987年のパラマウント映画『アンタッチャブル』でケヴィン・コスナー演じる捜査官エリオット・ネスもカポネ(ロバート・デニーロ)の尻尾をようやく掴んだのは殺人ではなく脱税で、だった。ネスがワシントンの財務省から派遣された財務官だったからというと身も蓋もないが暗黒街を支配するギャングを捕まえるには取引を裏付ける「裏帳簿」が唯一の<動かぬ証拠>になった。ネスを助ける老警官役のショーン・コネリーのせりふ「警官の仕事は手柄を立てるのではなく無事に家に帰ることだ」が忘れられない。

バレンタインデーといえばこちらが思い浮かぶというのは義理チョコくらいしか縁がないせいか。

*940=天慶3年  関東を平定し「新皇」を自称した平将門が討伐軍の矢に射抜かれて死んだ。

将門は桓武天皇の血脈を引く関東の豪族で東国を次々に平定して版図を広げると京都の朝廷に対して「新皇」と称した。名馬を産する多くの牧=牧場をかかえていたから騎馬戦にはめっぽう強く、反りのある刀を使い始めたのも将門とされる。それだけにとどまらず東国の独立をめざして勝手に国司を任命するなどでついには朝敵となる。一連の反乱を「平将門の乱」と呼び朝廷は藤原忠文を征夷大将軍とする将門討伐軍を送った。

先駆けになったのが平貞盛、藤原秀郷らの連合軍でこの日、下総国猿島郡(茨城県)で将門軍と対峙した。合戦が始まったのは午後3時過ぎとされる。北風を背にした将門軍は矢戦を有利に進めたが、勝ち誇った将門が自陣に引き返す途中で風向きが変わり、反撃に転じた連合軍が放った矢が将門の額を貫いたというのが歴史書の記述である。「自ら馬を駆って陣頭に立って奮戦したが風のように俊足を飛ばしていた馬の歩みが乱れ、そこへいずこから飛んできた矢が・・・」と紹介される。一代の風雲児は倒れ乱もようやく平定された。

首級ははるばる京の都まで送られて晒された。これがわが国における「獄門」のはじまり。ところが首は3日後に光りを放ちながら東国へ飛び去った。首が落下したとされる何ヵ所かの首塚では東京・大手町の「将門首塚」が有名である・・・などと<首>が象徴的な身体の一部として強調されるところにこうした将門伝説のポイントがありそうだ。

将門は「武士の、武士による、武士のためのまつりごと」を目ざした。これに傾倒したのが徳川家康だった。江戸鎮守の神として神田明神などをはじめとする明神様として手厚く祀られたのも<将軍様も大切に思われている>とされたからでもある。江戸っ子をはじめ庶民まで将門に喝采を送るのは東国の気概を示そうとした将門の<大いなる反骨>に魅力を感じるからでもあるか。

*1766=明和3年  富山藩が藩財政の一助として「反魂丹」などの売薬業者への課税を定めた。

「反魂」とは死者の魂を呼び戻すことから<死者を蘇生させる>という意味に転じた。中国ではこの霊薬を「反魂丹」と名付けたものが室町時代に大坂・堺に伝わった。御殿医でもあった万代家が秘伝の製法を受け継いでお抱えになった岡山藩や富山藩に伝えた。1690=元禄3年に江戸城で激しい腹痛を起こした三春藩主に居合わせた富山藩主の前田正甫が「これを飲みなされ」と持っていた「反魂丹」を服用させたところすぐに痛みが治まった。

これを見た諸大名が自分の藩内でもと商いを頼んだので前田藩主は薬種商の松井屋源右衛門に「反魂丹」を製造させて諸国に商わせた。これが富山の売薬・配置薬のはじまりというが言うなら藩主自らの<トップセールス>である。医者も少なかった江戸時代、諸藩主から販売を頼まれたわけでたちまち<全国区>となった。

それを見ての口銭の課税だったから業者としても納得で、藩も財政の基盤づくりができ業者統制も進んだからまさに<一石三鳥>だった。「反魂丹」は丸薬だったから藩主にうまく<丸めこまれた>などとは言うまい。

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