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“2月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1895年  「ホームラン王」ベーブ・ルースがアメリカメリーランド州のボルチモアで生まれた。

本名ジョージ・ハーマン・ルース。貧しいドイツ系移民の父は酒場の仕事が忙しく、母は病弱でかまってもらえなかった。けんかに明け暮れ、万引きや飲酒・喫煙を繰り返す手のつけられない悪童だった。預けられたセント・メアリー少年工業学校という全寮制施設で生涯の師と仰ぐマシアス神父に出会い改心し、やがて野球を始めて野球部のエースに成長した。最初にメジャーにスカウトされたボストン・レッドソックスでは「投手」だったがニューヨーク・ヤンキースに移ってからは「野手」としてホームランを量産し続けた。

もしルースが最初から野手として起用されていたら本塁打をもっと量産したか。ライバルだった大打者タイ・カップは「ルースは投手だったからあんな大振りが許されたんだ。投手の打撃なんて誰も気にしなかったから自分なりの打ちかたをいろいろ試すことができ、打者転向のころにはそれが完成していたってこと。野手だったらもっと当てにいくバッティングやファウルで粘ることを要求されただろうよ。大振りして三振だったら若造だった奴は大目玉さ」と分析し「太っている割には走るのは早かったね」と評した。

大リーグでの本塁打王12回、生涯累計714本、打点2,209、打率3割4分2厘。野球の神様」と言われる国民的ヒーローで、記録は何冊もの本になっているからこのくらいにしておく。1934=昭和9年に全米選抜チームの一員として来日し澤村栄治投手と対戦した静岡・草薙球場に銅像がある。ベーブ=赤ん坊の愛称で呼ばれた童顔で左投げ・左打ちだから構える姿もそのままだがサインは右手だったという。

*1956=昭和31年  出版社系週刊誌のトップとして『週刊新潮』が創刊された。

創刊号=2月19日号の表紙は谷内六郎の『上総の町』で<三大連載小説>として谷崎潤一郎『鴨東綺譚』、五味康祐『柳生武芸帳』、大仏次郎『おかしな奴』、他に単発小説の石坂洋次郎『青い芽』と中村武志『目白三平の逃亡』が掲載されたから他社が「さすがは新潮社」とうらやむほどの垂涎の内容だった。文芸路線で培った作家人脈をフルに使っての作家起用は裏返せば事件取材のほうはまだスタッフ不足だったのをカバーするためでもあった。

新聞社系の週刊誌が巻頭にトップニュースを据えていたのに対し、毎号テーマを決めてオムニバスな記事を詰め込んだ。創刊号のテーマは「父と子のモラル戦後版」だった。とはいえ少ないライターで<新聞社が扱わないニュース>を集めるのは苦労の連続で、総評や日教組、自民党、共産党、創価学会、天皇家、新聞・・・・・とそれまではタブーだった<権威>に挑戦していくのはもう少し先である。<俗物主義>と揶揄されながらもニュースの裏にうごめくヒューマン・インタレストに徹した記事はまさしく新聞の延長にあった新聞社系週刊誌に対する痛烈な批判でもあったから増大したホワイトカラー層に受け、3年後の1959=昭和34年新年号は100万部を超えた。

表紙も1981=昭和56年に谷内が他界するまで25年間、約1300点の作品で飾られ、死後も未発表作品を紹介し続けた。

3年遅れで創刊した『週刊文春』の編集方針が同じように「新聞・テレビが報じない記事を書く」だったから『週刊新潮』は見事に先鞭をつけたことになる。

*1971=昭和46年  「個室つき浴場」の第1号店が滋賀県大津市の雄琴に開業した。

当時は「トルコ風呂」と呼ばれた。店名のイニシャルは「H」、漢字2文字だが何で知っているのかと言われそうなので略す。

*1930=昭和5年  帝国キネマ制作、鈴木重吉監督の『何が彼女をそうさせたか』が封切られた。

原作の藤森成吉の戯曲は3年前に築地小劇場で上演され、主役の中村すみ子役を山本安英が演じた。貧農の家に生まれ、放蕩の父親は野たれ死に、淫蕩な母親は男と駆け落ち。不況時代の<日本の不幸>を背負った少女が転々と放浪する人生の苦しみ。風呂敷包み一つを担いでたった一人、線路の枕木を数えながらとぼとぼと歩く少女を映画では高津慶子が演じて一躍スターになった。富豪、宗教家、慈善事業家も立派なのは表面だけで醜い冷血漢ばかり。ついに怒りに目覚めたヒロインが放火犯になるまでを描いた。

ラストにタイトルの「何が彼女をそうさせたか」の文字が大写しになり、燃え上がる炎をバックにヒロインが叫ぶと熱狂した観客が大拍手と恕号が渦巻き「まるで無産政党の演説会場のようである」と評された。社会の矛盾や問題を訴える内容の映画は「傾向映画」と呼ばれ、5週間連続の上映となり「キネマ旬報ベストテン」の第一位になった。

流行語になった「何が彼女をそうさせたか」は重苦しい時代そのものを見事に伝えた。

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