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あと読みじゃんけん(3)渡海 壮 震える牛

「震える牛」のタイトルからは欧州で発生し、世界的なパニックを引き起こしたBSE=狂牛病に感染した牛のおぞましい映像が思い浮かぶ。追い立てられても足が震えて進めず、いまにも崩れ落ちそうな牛の群れ。感染牛が日本でも見つかったことで風評被害も広がり、牛丼屋や焼き肉店がいっせいに苦境に立たされた。テレビニュースは「資料映像」として同じ映像を繰り返し放映して「深刻な風評被害が広がっております」といいながら無神経に流れされた映像自体が風評を煽り立てることに加担したのではなかったか。

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相場英雄著『震える牛』(小学館)

相場英雄の『震える牛』(小学館、2012年)は、大手書店に平積みされていたのを見つけて一気に読んだが、終始あの資料映像が頭の中にちらついていた。さらに帯には全国の書店員さんから届いたという「平成版『砂の器』誕生!」「ここまでリアルに書いて大丈夫なのか!?」という賞賛と驚愕のメッセージ!が「消費者を欺く企業。安全より経済効率を優先する社会。命を軽視する風土が、悲劇を生んだ。」「発売たちまち大大大増刷!!!」「2012年ミステリーベスト1早くも決定!」とエスカレートしているが、ここまで書かれると裏切られはしないかとちょっと心配したことを告白しておく。

警視庁捜査一課継続捜査班の田川信一警部補は、急性肝硬変を患ったことで事件に追われる「第三強行犯係」から外れ、心ならずもここに転属になった。田川と同じく交番勤務からスタートしてノンキャリアトップに這い上った宮田捜査一課長の配慮だった。田川の性格や能力までも知り抜いた宮田は捜査一課が抱える未解決事件の中でも、とりわけ凶悪な部類に入る「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じる。二年前の9月16日、深夜午前2時半に東京都中野区、JR中野駅の北口商店街にある全国チェーンの居酒屋で起きた事件で、全身黒ずくめで目出し帽をかぶった中肉中背の男が「マニー、マニー」と叫びながら店員に刃物で切り付け、レジにあった売上金58万円を奪うとレジ近くにいた男性客二人の首を次々に刺して逃走した。店員は左手を切りつけられて15針も縫ったが命は助かった。客の仙台に住む31歳の獣医師と45歳の産廃処理業者は失血ショックで死亡、事件は「不良外国人による犯行」ではないかとされたが元暴力団員の産廃処理業者と獣医師との接点は見つからず捜査の進展はなかった。

一方、インターネットのニュースメディア「ビズ・トゥデイ」の女性記者鶴田真純は全国にショッピングセンターを展開する業界最大手のオックスマートの経営に陰りが見え始めたという情報をつかむ。業界寄りだった日本実業新聞の東京本社流通経済部からインターネットメディアに転職した鶴田はなぜかオックスマートに対して辛辣な記事を連発する。「お客様の隣に」をモットーに、良質な和牛を畜産家から直接買い付け、安価で売るビジネスモデルで成功したオックスマートは軽三輪に黄色に塗った冷蔵コンテナを乗せ、近畿地方の団地や住宅街を行商して回ったのがスタートだった。それが今や東京証券取引所に上場し、会長の柏木には財界活動に専任するという噂もある。ここまでオックスマートはありとあらゆる手を使って業績を伸ばしてきた。地方都市への進出は郊外の休耕田など広い土地をやくざ者まで動員して力ずくで買収する。電器部門を出店する際には体育館を借りて9割引特価セールをすることで一般客だけでなく地元電器店主までが群がった。が、こうした「大規模焼け畑商業」である大型ショッピングセンターが進出すると地元商店は客を奪われ、駅前商店街はやがてシャッター通りになった。

地道な捜査を続ける田川は、事件発生現場周辺を聞きこむ「地取り」や、関係者の人間関係など「鑑取り」を重ねる。掴んだ情報は新しい事件のたびに新調するリフィル式の手帳に、退職する先輩から譲られた使い古した愛用の折り畳みナイフ、肥後守(ひごのかみ)で削った鉛筆で書き込む。今回のリフィルは宮田からのプレゼントだったが、分厚くなった手帳を入れた胸ポケットが膨れてスーツが型崩れしている。「俺が地取り鑑取りをするとき、真っ先に注目するのが街の景色、それに匂いなんだ。駅に降りた瞬間、犯人の生い立ちや学生時代の面影をその街の中で探す。先輩から教わったやり方なんでな。これ以外知らない」。捜査に出かけた地方都市では「全国どこも同じだ。街の顔が見えない」などと呟くところはまさに愚直な<一昔前の刑事>そのものである。著者が描くのは警察小説であり、鶴田記者がつかんだオックスマートを巡る経済小説であり、タイトルにもなった食品に関する生々しく複雑な深層が絡み合う。乳が出なくなった年老いたメス牛をさす老廃牛の屑肉や、内臓、血液を使って加工食品用のひき肉を格安に製造できるというふれ込みの「マジックブレンダ―」という名前の怪しいミキサーも登場する。最後には「意外な犯人」が浮かび上がるが、当然ながら一筋縄ではいかない。

巻末にお決まりの「本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです」というクレジットもあるように、ここに書かれたことは絶対あってはならないことである。われら消費者にとって食品に対する安全・安心は目を光らせる食品行政や企業のコンプライアンスに「お任せ」しているものの、ともすれば「安さ」に心が揺れることはあり得るし、「震える牛」の事態や「マジックブレンダ―」のような機械が使われることが絶対ないとも思えないだけに読後の強烈なインパクトが数週間続いた記憶がある。帯に書かれた某書店員さんの「2012年ミステリーベスト1早くも決定!」の行方が気になったので念のため調べてみた。まさか帯の<フライング>が災いしたわけではないだろうが残念ながら「選外」でありました。

*『震える牛』相場英雄、小学館文庫(2013)

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