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あと読みじゃんけん(2)渡海 壮 別海から来た女

誰がやって来たのかというとこの女性。名前は木嶋佳苗。1947年(昭和47年)11月27日生まれだから・・・誕生日を迎えたばかりの41歳。

佐野眞一著『別海から来た女』(講談社)

佐野眞一『別海から来た女』(講談社)

「どこかで見たような・・・」
「連日、テレビや新聞でこの顔を見ない日はなかった」
「そうでしたっけ?」
「だって人の噂も七十五日って言うじゃないですか。何した人でしたっけ?」

被害者の親族とか関係者なら一生忘れないだろうが世間一般はそんなものかもしれない。2007年から09年にかけて東京、千葉、埼玉で起きた練炭自殺などを装った「婚活殺人事件」は、やがて「首都圏連続不審死事件」という事件名で報道され<平成事件史>に刻まれて久しい。木嶋は3件の殺人を含む詐欺などの罪でさいたま地裁において検察求刑通り死刑、東京高裁もこの判決を支持して控訴棄却としたため、現在最高裁に上告中である。

佐野眞一の『別海から来た女』(講談社、2012)は木嶋の生まれ育った北海道東部の酪農の町別海町への取材から書き始める。

羽田から一日一便の飛行機しか飛ばない中標津空港は、国内唯一の木造ターミナル空港である。ひなびた空港の周辺には根釧原野を切り開いた大酪農地帯が広がる。そこから車で40分ほど南下した別海町は、同じ北海道の足寄町に次いで日本で二番目に面積が広い町である。総面積は東京二十三区の約二倍あり、人口は一万六千人あまりしかいない。空港から別海町に向かうまだら雪の沿道で見かけた人影はまったくなかった。雑木林が点在するなだらかな雪原で動くのは、牛の群れだけだった。別海町には人口のおよそ七倍に相当する約十一万頭の乳牛が放牧されている。地名の由来は、町の中央部を流れて根室湾に注ぐ西別川の河口部分が屈曲しているところから。アイヌ語の「川が折れ曲がっているところ」の「ベッ・カイェ」を町名に当てた。

佐野は別海町の開墾の歴史に詳しい郷土史家を登場させ、「別海地方は北海道で最も遅れて入植者が入ってきた土地で、しばれ(寒気)が厳しく、半年近く地面がカチカチに凍るから、牧草ぐらいしか育たない。ここに入植した人は、みんな国にだまされたんです」と紹介する。そして「なぜ、このルポを始めるにあたって、こんな過去をほじくり返したかと言えば、この事件の主人公のルーツが、別海町の入植の歴史と密接な関係を持っているからである」と続ける。曾祖父が昭和の初めに福井県大野郡からこの地に入植、祖父は司法書士、父は行政書士として父親の事務所を手伝っていたが取材の5年前に知床半島での自動車事故で亡くなっていた。

木嶋家の取材は祖父、母親などにとどまらず福井県のへき地にまで及ぶ。岐阜県境近く、九頭竜ダム建設で水没した地区へ岐阜からレンタカーで取材に向かったのは取材スタッフだったろう。確かに木嶋家の血族は福井県から入植し、木嶋は別海で生まれ、高校卒業までこの地で暮らした。佐野は木嶋が卒業した別海高校や当時の同級生にも丹念に取材、実家に住んでいた母親からは、インターホン越しに話し「親としては子どもを信じたいです」を引き出す。さらに祖父からは小学生時代に医者の奥さんから音楽を習っていた母親について行きその家にあった貯金通帳を盗んだという事件を聞く。これは祖父らの奔走で表向きにはならずに終わったが「子供のころから盗癖あり」が唯一の成果といえなくもない。祖父からの貴重な証言を得た取材最終日の夜、宿泊していた別海のホテルで胸苦しさを覚えた佐野は、ホテルで貰った鎮痛剤で押えて帰京し都内の病院で心臓のバイパス手術を受けた。悪夢にうなされ、まんじりともできなかった恐怖の一夜を「木嶋佳苗の呪いだったかもしれない。生まれついての犯罪者の素質をもった女だという決定的な証言を直系親族=祖父から得ていたからである」と結びつける。

こうした<総ざらい方式>は過去から続くノンフィクション取材の常道だろうが、佐野は「この事件を大々的に報じた新聞、テレビ、週刊誌で、この土地の歴史について紹介したものはまったくない。すべてのメディアが、事件をスキャンダラスに報じることに終始した」と自慢げに書く。自身の体調急変はともかく、事件が明るみになった2009年秋にこの町に大挙して押しかけた東京からのマスコミ陣は、別海の人たちを驚かせた。木嶋は当時34歳だったから東京に出ていってからすでに15年以上、町民や町の出身者からすれば迷惑しかないわけで、とっくに<別世界>に行ってしまった人物と思いたいはずだ。上京してからの木嶋自身も万引きや窃盗、詐欺など犯行を重ね、ブログでは婚活中の料理好きセレブに変身していた。だまし取った金で購入した赤いベンツは新車で461万円、入学金などで73万円を払った代官山の高級フランス料理学校は「ふつうのOLさんではとても払えない」というが確かにそうだ。

「百日裁判」といわれた第一審の裁判員裁判では検察側の論告が印象深い。犯行の具体的な時間などが詰め切れなかった代わりに「窓の外には夜空が広がっている。夜が明けると雪化粧になっている。雪がいつ降ったかを見ていなくても、夜中に降ったと認定できる」という名文である。佐野は「親族が一人も情状証言に立たなかったのも、事件の性質から考えれば当然かもしれないが、木嶋の孤独感を一層浮き立たせて、謎と言えば謎だった。どれ一つとっても、われわれが知りたい事実は、すべて曖昧模糊たる木嶋ワールドに滑り込んでいってしまう。すべてをわかりやすくフラットにして審理する裁判員裁判で、すべてをウソで固め、死刑判決を聞いても身じろぎもしない木嶋のような女を裁くのは、そもそも無理だったのではないか」とまで書く。さらに「この女の中にひそむ怪物は、たぶん木嶋佳苗本人にも手の届かないところにいる。長い裁判が終わって無人となった法廷で、その怪物が『なぜこんな無駄な茶番劇をやったんだ』と呟きながらひとりニヤニヤ笑っている。私は深い徒労感の中でそんな妄想にかられ続けた」とも。

「首都圏連続不審死事件」はもっぱら木嶋佳苗という超弩級の女犯罪者の事件としてとらえられているが、佐野は、インターネットの爆発的普及の中で、人間関係の希薄化は急速に進んでいる世界史的なうねりが最初に起こした大きな出来事のひとつが、この事件だったように思えてならないと分析する。別海町で芽生えた木嶋佳苗という女の<悪の輝き>は法廷でのやり取りの中に最も底光りしている。そして、その質疑応答の中にこそ、木嶋佳苗に翻弄された男たちの愚かさも滑稽さもまた色濃くにじみ出ている。私はむしろ、木嶋に殺され、金をだまし取られ、冒涜され、手玉に取られた情けない男たちの群像劇としてこの事件を描きたかった。悲劇より喜劇のほうがずっと真実に近く、お涙頂戴の悲劇より格段に恐ろしい。「東電OL殺人事件」の被害者が大堕落した“聖女”だったとすれば、木嶋佳苗は、悪魔に魂を売り渡したとしか思えない“毒婦”だったと。

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