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新・気まぐれ読書日記(31) 石山文也 虚栄

「がん治療開発の国家プロジェクトは覇権争いの場と化した」という帯に惹かれて手に取った。医療サスペンスにしては変わったタイトルが何を指すのかが読む前から気になったこともある。現役医師でもある久坂部 羊の『虚栄』(角川書店)は、がん治療開発の最先端に鋭く切り込む。「主な登場人物」だけでも24人、470ページを超えるがサスペンスフルな展開に魅了されて一気に読了して久し振りの興奮を味わった。

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プロローグは201X年1月、人気歌舞伎俳優が56歳という若さで亡くなる。死因は胃がん。診断から死亡まで、3カ月という速さだった。3月にはバラエティ番組で売り出し中の看護婦タレントが急激に進行する卵巣がんで死亡。彼女自身が番組で歌舞伎役者の死を「普通では考えられない凶悪ながん」とコメントしていたが、彼女のほうはわずか5週間だったから一時は自殺説まで流れたものの主治医によってようやく否定された。4月には45歳のロック歌手が喀血して急死、死因は肺がんの血管浸潤による頸動脈破裂だった。3カ月前に風邪をひき病院でレントゲン写真を撮ったときにはがんは写っていなかった。ところが解剖でがんは肝臓と脳、および腹部リンパ節にも転移していたことがわかった。連続する著名人のがん死を受けてマスコミはいっせいにがんの特集を組んだ。三人に共通するのは、発見から死までのあまりに急激な進展だったので国民の関心が一気に高まった。

政府も総理自らの指示で凶悪化したがんの治療をめざす「プロジェクトG4」をスタートさせる。プロジェクト名はがんに対する四大治療法の手術、抗がん剤、放射線治療、免疫療法から名付けられた。外科グループ=手術は、大阪・阪都大消化器外科、内科=抗がん剤グループは東京・東帝大腫瘍内科、放射線科グループは京都の京御大放射線科、免疫療法科グループは東京の慶陵大免疫療法科が選ばれた。メディア関係各社の中では報栄新聞社医療科学部が中心となる。プロジェクト発足の記者会見ではがん治療の4グループを統合して総戦力でがん撲滅に立ち向かう「集学的治療」の必要性が強調される。ところが、8千億円という巨額予算だけに初年度は各グループ1千億円ずつ、次年度はそれぞれの効果を見て配分を大幅に変えることになり、早くも主導権争いが始まる。

阪都大は「神の手」を持つとされた玄田教授を筆頭にロボット手術導入を強力に進めようとする准教授と対立する講師の主人公・雪野光一が医者としてのありかたを模索する。東帝大は薬品業界に大きな力を持つ朱川教授にかわいがられている講師の赤崎が携帯電話やスマホなどからの電磁波がDNAに突然変異をもたらすことを動物実験で証明したとして科学雑誌にセンセーショナルな論文を発表する。放射線科グループの京御大は福井県に放射線を使った大規模治療センターを計画中で多額の建設費がかかる。免疫療法科グループの慶陵大は米国の大学で実績を積んだメンバーでは紅一点の白江教授が自分の名を冠した研究プロジェクトで巻き返しを図ろうとする。それぞれの研究成果を合わせた「集学的治療」以前に、どの分野が主導権を握るのか騙し合い、情報リーク、そのための暗躍がさまざまな形で展開する。

一方のマスコミは報栄新聞の女性記者矢島塔子が上司に「効果は不明、などと書いたらそんな記事を誰が読むか」と言われながら取材に奮闘する。さらに「偽がん・真がん説」を唱える放射線科教授の医師・岸上は、外科医が手術で治したと思っている患者はすべて「偽がん」なので、手術をしなくても死ななかったという過激な持論を展開する。タイトルの「虚栄」は、主人公の雪野が、がん治療の専門誌を読みながら「ごたいそうなタイトルが並んでいるが、中身はいずれも、実際の治療には結びつかないものばかりだ。仮定と、推察と、希望的観測に基づく推論。医療はがんを克服しつつあるなどとアピールするような論文は、恥ずべき虚栄だ」と思うシーン。あるいは「結局は時代の限界なのですよ。今は医学が進んでいるから、何でも分かるはずだと考えている人が多いようですが、決してそんなことはない。実際は分からないことだらけです。何でも分かるように見せかけているのは、医学の虚栄ですよ」と語るあたりに象徴的だが、医者として患者のために何をするのが最良の善意なのかが、立場上そうできない悩みと共に繰り返し示される。矢島は自身がいるマスコミも読者に期待を持たせる記事ばかりを報道するのは一種の虚栄ではないかと自問し続ける。

そして、この作品に登場する教授や准教授の何人かだけでなく矢島も自身を実験台にした体験取材で偶然、ステージⅣの胃がんが見つかる。もう一人、「がん放置派」の岸上までもがんにかかってしまう。まさに国民の二人に一人ががんにかかる現代、がん治療の裏表を知り尽くしている医師たちは、あるいは情報の最先端にいる矢島はどういう治療法を選択するのか。覇権争いの結末と合わせて彼らの運命はどうなるのか。これが最初に「久し振りに一気に読了した」と書いたゆえんでもある。

ではまた

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