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“8月22日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1981=昭和56年  直木賞作家の向田邦子が台湾での航空機事故で遭難、51歳だった。

午前9時54分、台湾・台北空港を高雄に向けて離陸した遠東航空103便、ボーイング737-200機は約10分後、空港の南南西約150キロの高度2万2千フィート=6,700mで突然、2度の空中爆発を起こし山中に墜落した。乗員・乗客110名は全員死亡、搭乗者の中にわずか1年前に直木賞を受賞した向田がいたため日本国内に衝撃が走った。

その2年前、向田は自身のルーツを求めて石川県の七尾湾に浮かぶ能登島を訪れた。親友の評論家・秋山ちえ子が東京から同行、大阪からは同じくデザイナーの森南海子がかけつけ金沢近代文学館館長の神保千代子が案内役をつとめた。東西13キロ、南北6キロの島は加賀藩の流刑島の伝説があったが神保が<政治犯ばかり>だったことを突き止め、向田を安心させたことで訪問が実現した。

4つある島の集落のうち中心部にある向田(こうだ)をめざした。向田が「私は同じ字でも<むこうだ>だが本当は<こうだ>が正しい。<むこうだ>は“詫び状”の父がやったことなの。理由は出席簿の順があとになるほうが得で楽になるからと小学校の時さっさと自分で<こうだ>を<むこうだ>にしたのよ。我が父ながらあっぱれ、よくやるものよね」と本当とも作りものとも思われる話をして皆を笑わせた。多くの親戚に会って上機嫌の向田は泊まった旅館で「乳がんでおっぱいを切りとったけど腕の力は衰えていない。腕相撲は強いんだぞ。横綱を張れる自信あり」と軽口をたたいて相手を次々に負かしていった。そのあと有名な「向田の火祭」を楽しんだ。高さ30メートルに組んだ大松明に火をつけた2百本の小松明で点火し、大松明の先端に付けた御幣を奪い合う勇壮な祭りである。

このときはスラックスにデザイナーに作らせたスモックと呼ばれる上着といういつもの組み合わせだったが、向田は森が着ていたイギリス製の楊柳模様の木綿生地に目をとめた。森は「ほめられたからにはお届けしなければ大阪の女がすたる」という楽しい言葉を添えて贈った。秋山と向田はその生地でお揃いのスモックを作った。向田はそれを着て台湾旅行に出かけた。向田の搭乗は現地に飛んだ実弟が遺品の中にこの生地の切れ端を見つけたことで確認された。秋山はその半年後に亡くなった母親の棺にお揃いで作ったスモックを小さく折りたたんで入れた。「向田さんにお会いしたら、あなたの好きだったスモックをことづかってきました。これを着て、天国で、ほどほどに仕事をして下さいと伝えて」と託した。

能登島からの帰りの飛行機で秋山が「火祭りの炎が手を広げたあなたに見えた」とうっかり口を滑らせたら「まだ死なせないで。これから貪欲に生きようとしているんだから。それより秋山さんそういうのが見えるのは過労からくる幻覚症状だからお医者さんに行くといいわ」という憎まれ口が返って来た。しばらくしてご丁寧にも疲労回復の漢方薬とロイヤルゼリーが送られてきた、とエッセイに書いている。

山本夏彦は「本の読者は<蚤>に似ている」と書く。たとえ流行作家であっても死ぬと同時に読者はぱっと去る。蚤は人が死んで冷たくなると同時に去る。それと同じであると。しかし向田邦子は読者が増えこそすれ減らない。こちらの予言は的中しなかったが「向田邦子は突然あらわれてすでに名人である」と評したのはたしかにその通りである。

*1956年  フランス探検隊がアフリカ・サハラ砂漠で先史時代の壁画群を発見した。

アルジェ発のAFP電が伝えたゾウ、サイ、カバ、ワニなどが描かれた壁画群発見のニュースは世界中の考古、地質学者を驚かせた。壁画遺跡はアルジェリア南東部に広がる台地状の山脈にあり現在は「タッシリ・ナジェール国立公園」としてユネスコの世界遺産に登録されている。発見された壁画は数万点以上もあり砂岩の洞窟などの壁に描かれていた。現地語で「河川の大地」の意味という。湿潤な気候だった当時、川の両側にはアフリカ糸杉などの密林が広がり多くの動物が生息する豊かな<緑野>だったことを裏付ける証拠となった。

*1890=明治23年  警視総監から「女優の芝居も許す」という訓令が出された。

「欧州各国にもその例あるを以て、男女俳優混合して興行するも不問に付す」と諸外国の例を引いての苦しまぎれの判断ではあったが出雲阿国などの遊女歌舞伎が寛永年間に禁止されて以来の出来事。メデタシ、メデタシ、晴れて女優サンが公認されたわけだ。

川上音二郎の妻で一座に所属した川上貞奴が日本初の女優とされる。芸妓時代、伊藤博文や西園寺公望など名だたる元勲から贔屓にされた貞奴も自由民権運動の活動家で書生芝居をしていた音二郎と結婚してからは音二郎の度重なる選挙落選などで苦労続き。米国公演では女形の病死で貞奴が急遽代役に立つことでしのいだ。

ところが興行師に資金を持ち逃げされたシカゴでは、あまりの空腹で倒れたのを観客が「鬼気迫る迫真の演技」と評価して大ヒットに。それが人気を不動にしての凱旋興行につながったのだから警視総監の判断はタイムリーな<地ならし>となったわけだ。

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