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“3月28日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1860=万延元年  遣米使節の一行がワシントンで第15代大統領ブキャナンに面会した。

一行が乗ったのは米国海軍の「ポーハタン号」。万一、故障や遭難した場合のために別に幕府軍艦「咸臨丸」が海を渡った。こちらには艦長の勝海舟をはじめ、福沢諭吉、通訳のジョン万次郎らがいた。使節一行がサンフランシスコに無事到着したのを見届けたあと艦の修理を待って帰国の途についた。

しかし、正使のほうはそうはいかない。再び海路でパナマへ。当時パナマ運河はまだ完成していなかったので「パナマ地峡鉄道」が特別に用意した汽車で大西洋側のコロンへ移動した。そこで1年ものあいだ一行を待っていた「ロアノーク号」に乗り換えてようやくワシントンに到着した。江戸幕府の代表として日米修好通商条約の批准書を渡す正使だったから、狩衣、烏帽子、腰には太刀を帯びた<正装>でホワイトハウスを訪問した。

副使をつとめた神奈川奉行で外国奉行兼任の村垣範正は『航海日誌』に
「大統領は威厳があったが商人と同じく筒袖股引を着て、何の飾りもつけず太刀もない。このような席に多くの婦女がいるのも奇妙なこと。大統領は四年目ごとに入札で決まるという。国王ではないが、国書を遣わす相手なので正装してきたが無駄のように思えた」
と残している。出発から2か月以上かけてやってきたのに、ということもあって大統領の服装などに拍子抜けしたのでしょう。それにしても大統領は「四年目ごとに入札で」とあるところをみると「選挙」ということば自体を知らなかったわけだ。

一行はその後、ニューヨークから「ナイアガラ号」で喜望峰、ジャカルタ、香港を経由して9月27日に品川に帰国した。これは漂流民の津太夫に次いで<2番目に世界一周した日本人>というのがもうひとつ残った記録である。

*1900年  たった一枚の古びた板が幻の古代都市・楼蘭を発見する手がかりになった。

この日、スウェ―デンの探検家スウェン・ヘディンは中央アジアのロブノール砂漠で建物の羽目板らしい板を手に取った。そこには人の手で加工したような穴があった。それは前のキャンプに忘れたスコップを取りに戻った隊員が偶然見つけたものだった。付近にはほとんど砂に埋もれていたが材木にまじり古銭、陶器などが散らばっていたという報告もあった。しかし探検隊も水が乏しく引き返すだけの余裕はなく、翌年の調査まで確認は棚上げとなった。

なーんだ、と言われそうだがヘディンはあきらめなかった。持ち帰った板を細かく分析して国王直々の支援を取り付けた2度目のロブノール遠征で楼蘭をとうとう発見する。

GPSなどが発達した現代とは違い、何の目印もない砂漠の中の一地点に行くというのは至難のわざ。現地隊員の目撃談を信じたことに加え、ヘディンのあくなき執念と正確な測量技術があったからこそが大発見につながった。

*1053=天喜元年  京都・宇治に平等院鳳凰堂が完成して盛大な落慶法要が営まれた。

関白・藤原頼通が父の御堂関白・道長から相続した別荘に造営した建物はすぐ前に宇治川を臨む絶好のロケーション。当時は天災や戦乱、悪疫などで世の中が終わりを迎えるという「末法思想」が広がっていただけに頼通は仏師定朝に命じて極楽浄土の教主・阿弥陀如来坐像を刻ませた。鳳凰堂はそれを安置するための御堂だった。

10円硬貨でおなじみのあの国宝建物はいまや世界遺産になって「優美な姿で屋根のてっぺんを飾る鳳凰はシルエットが美しい」などと形容されるが、創建当時は金色に輝いて建物も朱色だけでなく鮮やかな極彩色でまさに絢爛豪華。日の出に染まる堂宇すべてが輝いて羽ばたく鳳凰がまさに飛び立とうとする<息をのむ>眺めだったろう。落慶法要で頼通は対岸・朝日山の麓から舟に乗り、管弦が奏されるなか宇治川を渡った。つまり川を参道に見たてて<此岸から彼岸へ>。極楽往生のための舞台装置としての派手なリハーサルでもあった。

父の道長は晩年には阿弥陀浄土の世界に没入し、邸の東、いまの京都会館や美術館のあたりに壮麗な法成寺(ほうじょうじ)を建立した。五重塔をはるかにしのぐ八角九重塔もあり道長は阿弥陀堂のなかで毎日十万遍の念仏を唱えた。栄耀栄華の果ての無常観で「御堂関白」といわれるのはここから。頼通も父と同じようにひたすら極楽往生を願い平等院は父の法成寺にならってこの世で行った<善行の結晶>として財力のすべてを傾けた。

当時のわらべうたには「極楽いぶかしくは、宇治のみ寺を礼へ(うやまえ)」とうたうが、造営に莫大な費用がかかったことを飢えや病気に苦しむしかない庶民は「この御堂のために地獄に落ちる」とはやした。

頼通83歳でいよいよ死が迫った。多くの僧侶が念仏を唱えるなか、阿弥陀如来像から五色の糸を伸ばした「御手の糸」を握って臨終を迎えたと伝える。果たして極楽往生したのか。

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